アーティストという定義は難しい。これは僕の考えだけど、アートを追求していくと行き着く先は生き方になると思う。アートの語源は、ラテン語のアルスと言う言葉で、「自然の配置」「技術」「才能」などという意味があるらしいけれど、アートも人間が何か手を加えて創造すること、人工のとかそんな意味もあるようだ。
アート=芸術というのは何を表現してもいいと思う。それはその人がどうしたいのか、何を表現したいのか、その品質のレベルはともかく、その人が表現したいことを自由に表現するものはすべてアートであって、他人がとやかく評価すること自体、意味が無いと僕は思っているのだ。。。もちろん、芸術評論家とか、鑑賞者がアートを見て、どうこう思い、それについて発言するのは自由だし、それはそれで構わないことだけど、それらの意見や評価に一喜一憂するようでは、芸術家=アーティストとして真っ直ぐじゃない。
アートというのは誰かの評価のためにやるのではなく、自分で表現せずにはいられない思いを表現することであって、売れる作品を狙って制作したり、評価されるために制作するのは純粋なアートとは言えない。もちろん、そういう商業主義や大衆の反応そのものを作品の一部と考えるものもあるので、それはそれでアートなのだろう。。。
まあ、僕のアートに対する定義はともかく、マヤさんの活動は、生き方や生活の一部となっていて、やっぱりアーティストらしいアーティストだなって思う。そもそも、何をやってる人ですか?って訪ねられたら、答えようが無いから、アーティストって言ってあげると、相手が納得したり、安心する→思考の混乱を避けられるという意味で、そう言うのがいいのだと思う。ほとんどの人は、行為に意味を求めるし、何か箱や引き出しに整理すると落ち着くように、何かのカテゴリーに主分けすることで、理解できる快感があるからだろう。
いずれにしても、ものの見方だろうけど、生きると言うことはアートだと思う。もっと自由でいいし、評価なんか気にしないで、好きなように生きればいい。。。制限を外して→法律の範囲で。。。笑 やりたいように、生きたいように生きる。いわゆるアーティストから感じ、学ぶことは、そうした自分という存在、人生をいかに表現するかへの挑戦というところだろうか。。。僕はアーティストをそのように見ている。
僕は、これまでニューヨークは3回しか行ったことがないけど、ニューヨークは大好きだ。若い頃、ニューヨークに暮らしてみたいという憧れもあったりした。僕の友達には、マヤさんを含めて何人かニューヨークで何年も暮らした友達がいるけど、そうした友達と交流を深めながら話を聞いていると、いつの間にか自分と友達とニューヨークがひとつになって、住んだことはないのに、ニューヨークが自分の一部になったように感じられて面白い。海外の生活、自分が体験したことのないことを身近な人が体験していると、不思議だけど、自分がやったような気になって、それはそれで意識が拡がるし、そもそも自分と他者をわけるものはないという本質からすれば、そうした身近な人の体験を自分に取り込んで人生を深めて行くと言うことはとても大事だし、生き方を深めて行く中で重要な事だなと思う。
マヤさんのインスタレーション作品は大きなものが多いので、なかなか展示の機会に巡り会えることが少ないかもしれないけど、彼女が制作するコンバーススニーカーへのペインティング作品なら購入することもできる。このシリーズは、コンバース社からもそのコレクションにセレクトされていて、そんな素晴らしい作品を履くのはもったいなくもあるけど、オーダーした人に、その人だけの世界でたったひとつのコンバースを手に入れることができる。僕も持ってるけど、興味ある人はぜひ、おすすめの一点です。他にも手提げトートなどもあります。
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