愛ある食卓で、世界の人たちが友達になれる料理

ワダ:
今回のクエストカフェは、NPO法人国境なき料理団の本道佳子さんに登場いただきました。今日は、よろしくお願いします。
本道:
はい!よろしくお願いします。
ワダ:
佳子さんは10年ほど前に帰国して、国境なき料理団として活動してますが、今回6月でこの湯島食堂は終了して、新たなステージへとシフトしていくということですが、その辺りのお話から、聞かせてください。
本道:
そうですね〜。湯島食堂が始まった時には、最初は湯島食堂の食堂が盛り上がって下さって、たくさんのお客様に来ていただいて。それで、去年の夏に「やっぱり私は、国境なき料理団をやってきたいために、この湯島食堂を作ったんだ」ということを思い出しまして、それで今までの毎日やっている食堂、レストランっていう形態をスパッとやめて、自分の活動ベースの拠点として『国境なき料理団 湯島食堂』となっているんです。
でも、湯島食堂のこの場所は、6月いっぱいを持って卒業となるんです。
今後も「湯島食堂」というブランドは残していきます。
湯島食堂ということで皆さんが覚えてくださっているので、このまま世界中どこにでも持っていこうと思っているんです。
前々から「自分が行った場所が自分のレストラン」って思っているので、これからは「自分がお邪魔した所が、その日だけ国境なき料理団・湯島食堂」って思っているので、世界中が自分のフィールド、世界中の場所が自分のレストラン、その日が、その場所がって思っていますね。
この湯島食堂型の日本型ビーガンっていう、卵も牛乳もチーズも使わない野菜料理っていうのは、湯島食堂のブランドとして創り上げておいて、こういう形をご希望の方がいればどんどん教えにいきますし、世界中で野菜を中心とした食べ方がどんどん広がっていくといいなって思っています。
アメリカでは、ポップアップレストランって言って、“行ったところでお料理を食べさせるよ”という動きがあって、5、6年前からムーブメントが始まっているんですね。
ポップアップレストランっていうイメージで私はずっと動いているんですけど、行った所でその日だけお店をやるっていう。
アメリカでは、ある時は教会があいていたら教会で、ある時は銀行の会議室で食事会をやったりとか、多分私の動きは、今までもポップアップレストランなんです。
ワダ:
ポップアップって、飛び出す絵本のだね。。。
本道:
はい、そうです。
だから今回はそれを前面に出して「日本で初めてポップアップレストランをやった人」って言っていこうかなって思って。
HPとかネット上で「今度岡山に行きます」っていうと、本道佳子さんのことが好きな人がいてくれたら、追っかけになってくれるんですよ。
岡山に行ったよとか、東京に行ったよとか、盛り上げてくださるというんですかね。
ワダ:
軽トラとかバンとか改造して、屋台お弁当屋さんとかあるけど、もっと身軽にだね。
本道:
そうですね。
もう場所は持たないし、そこに行って、そこが空いてたらやるという。
でも需要と供給じゃないですけど、レストランも日本中、世界中ありますが、必ず休日はある訳だし、その休日にその空いている時間帯貸してもらって開けていくっていうのが、これからの時代、不動産とか持たなくて、ランニングコストも少なくするにはいい動き方だと思うんですね。
ワダ:
カミーノ歩いていて、カミーノで出会ったイタリア人とかがね、自分たちで材料買ってきて、料理してくれるんだよね。僕はその横で洗い物とかして・・・笑
本格的なイタリアの家庭料理。すぐにリゾットとかチャチャって作っちゃう。メチャクチャうまいんだよね!
本道:
うん、誰でもポップアップレストランなるんですよ。
ワダ:
ビーガンのスタイルは、日本に帰って活動を始めた頃から?
本道:
はい。最初から卵も牛乳もチーズも使わない野菜だけのお店にしようって決めていました。
ワダ:
国境なき料理団も、やっぱりビーガンを提供しているの?
本道:
そんなことないです。国境なき料理団のチームになってくださる方は世界中にいらっしゃいますので、やっぱりその土地で、その土地の人たちを大きくするというか、生かすとか、育んでいくのは、その土地でできたものだから、別にビーガンに限ってはいないです。ビーガンじゃなくちゃ入っちゃいけませんとか、そういうことはないです。
ワダ:
なるほど。国境なき料理団としての活動で、佳子さんが主催者の方に呼ばれて行くわけだけど、そこで食とか食べることについて、料理と共に伝えていると・・・
本道:
私のスタイルはビーガンなんです。卵も牛乳もチーズも使わない。皆さんはそれぞれなさっている食に対する想いでそのお店だったり、ご家庭だったりを作っていっていただければよくて。
私が思うのは、その皆さんと共に、初めて会った人とでも同じ食卓を囲むことによって、そこは平和な食卓、平和な波動が生まれると思うんですね。その波動が、そこが楽しかったね、おいしかったね、仲良くお話しできましたねっていうような、そういった波動が、隣の家もその隣の家も、そうすると県も越えて、国も越えて、そうするとその波動が、どんどんどんどん地球の遠いところまで行くと、あれ?実は国境なんてなかったんじゃないかっていうようなことで、この国境なき料理団の想いはできています。
ですから国境なき料理団といって、大きな遠い国の紛争地帯に行って料理を作るとか、そういうイメージじゃないんですね・・・笑
ワダ:
あははは〜!
本道:
食卓に愛さえあれば、世界は愛ですよというような。
ワダ:
なるほど。
本道:
ですから誰でも入れますと。もちろん1回ご飯食べてくださったら、もう自動的に種は入っちゃってますから、もう入っちゃっていますよっていう・・・
ワダ:
おもしろい!共感がないとね。そういう考え方にしても、佳子さんのそういう空気に触れて、ああそういう考えいいな、じゃあ自分も国境なき料理団としてっていう宣言みたいなものだね。
本道:
はい、ですから、それに対して私は何をして下さいとか、そういうことは別になくて、いつか必ずみんなと共に同じ日に、いただきますっていう言葉を、感謝を込めて同時多発的に食べるというイベントはやりたいと思っているんです。
それは、今までだったら東京に集まりましょうとか、大阪集まりましょうとか、そういう所にみんなを呼んで、みんなでイベントをするっていう時代だったんですけど、今インターネットでみんなと繋がっていますから、何月何日何時にっていう風に、みんなのところでいただきますっていうような食卓の風景とか、ニコニコした顔とかをネットで繋げていけたらとか、そういうことをやりたいなと思っています。
ワダ:
いいね!ツイッターやFacebookとかでね。
本道:
そうですね。世界中の地図があって、日本の所をクリックすると、わあ〜たくさんの人がいただきますをしているって、愛ある食卓でご飯を食べているっていうのが光のようになっていて、世界地図の中で日本をクリックすると、何万人の家族や仲間ががやっているとか、ああ〜とうとう北朝鮮も二つ光が灯ったとか、そういうバーチャルだけど、そこでリアルなところの人たちが参加して下さるような、そういう国境なき料理団のイメージが最初からありました。
ワダ:
面白いね!なるほどなるど。
本道:
私がいろんな所に行って、こういう想いを持って料理しているんですよってお伝えすると、本道さんの料理は、いったいどこで食べられるんですかって。その時はいえ食べられないんですよと。呼んでくださったら行きますからって言ってたんですね。
自分は場所とかを持ちたくなかったんです。何も持たないでそこで生きていきたかった。その場にいて料理を作ることによって、その場をニコニコさせたかったんです。場所を持つと、そこを維持したりとかそういうことは不得意だなと思っていたので、何も持ちたくなかったわけです。だけど皆さんの想いの方が強くなったから、ここが出現したんだなと思ったから受け容れたんですね。
ワダ:
なるほど。それをやるんだったら前に話してくれたけど、人種や国や宗教とか関係なく、みんな食卓を囲んで食べられるのは野菜だと。佳子さん自身が徹底したベジタリアンであってという話ではなくて、肉も魚も料理するし、ただテーマが食卓をひとつにできるというところで野菜を選んだということなんだね。
本道:
そうなんです。きっと今に人種や宗教を越えて、みんなが長いテーブルが繋がっていって地球を一周したり、何週も何週もしたりする食卓になると思っているんですよ。個々のテーブルは一つかもしれない、四人掛けかもしれないけれど、その何月何日どこどこでっていうことが重なっていったらそこは一つになるなって、もうイメージはできていて、そうすると世界は一つになるなって思って。
いつか世界仏教徒会議みたいな、そういう世界会議みたいな、私のイメージでは南の島なんですけど、それが開かれたときにはシフトして、世界中から色んな人が集まった時に、それじゃあみんなで、それぞれの野菜料理でおもてなししましょうっていうのをやりたいんです。
ワダ:
各国の個性でね。ビーガンオリンピックみたいな・・・笑
本道:
そうですね(笑)そうするとそこに並んだものは、いろんな人たちが心配なくお箸、フォークをつけられるなと。だから私が目指しているお料理は、世界の人と友達になれる料理だと思っているんです。
ワダ:
うんうん。地球のパワースポットがあって、それを結ぶとレイラインという・・そんなイメージだね、食のレイライン!
本道:
そうなんです。
ワダ:
そのレイラインが、何十キロも離れた場所じゃなくて、隣の家だったりするんだよね。
本道:
そうなんです、そうなんです!でもレイラインは自分で出現させればいいなって思うんです。食でレイラインができればいいなって思っています。
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命をいただいて、自分の命が活かされている

ワダ:
僕は、イワシが好きなんだけど、それを粗食って言っていいのかわからないけど、粗食って好きなんだよね。飽きないしね。
飽食の時代と言われて久しいけど、食を見直す時代だと思うな。例えば、動物の命をいただくということに対する罪悪感とかじゃなくて、感謝して命をいただくっていう気持ちを大切にしていこうと思うし、人間は動物にしても、野菜にしても、他の命をいただいて生きてきたんだっていうことよく理解しておきたい。
今は、食べ物が単なるモノになってるところがあって、ファーストフードも否定はしないけど。少し前に食品偽装とか。あれなんかは明らかにメッセージだったと思う。バナメイエビじゃだめなのか、おいしいじゃないか、クルマエビと言わなくちゃいけなかった背景は何なのかって。
原発事故の問題とかあって、食の安全性みたいなのもあるけどね・・・
本道:
やっぱり命を食べているというか、命をいただいて自分の命が生かされているっていうところでみたら、食品偽装なんてありえない話ですよね。でも、みんなが頭で食べていたから、クルマエビだったら高く払うけど、バナメイエビだったら安いみたいな。それは作り手サイドの話で、お客さんは、本当はおいしければ何でもいいはずなんですよ。
私は、湯島食堂が始まる時から、みんなに言っていたんですけど、お金はいただくけれども、お腹いっぱいにならないというレストランを作りたいって。
ワダ:
それいいね!
本道:
それはもちろん、満足していただくように、見かけだったりとか雰囲気だったり、もちろんそれは作りますけど、私はもうこれで十分ですっていう、みんなの気持ちを作っていきたい。
お金はたくさん払うけど、もう満足ですって言える自分になるっていうんですかね。そうすることによって、身体的には8割方しかお腹いっぱいにならなかったとしても、あとの2割は自分のエネルギーというか、想いで満足させるという。感謝だったり、願だったり、今までよくぞこの自分の一つのお皿に来てくれたなこの人参は!みたいな。そういう想いで自分を満足させられるお店になったらいいなって思ってるんです。
そうすると、7割8割しかお腹いっぱいになっていないんです。でも少し余力がある方が消化液とかがたくさん出て、消化しやすいはずなんですね。今まではいっぱい食べるから、消化液が出たとしてもうまく機能しない・・・
ワダ:
胃袋がいっぱいになっていたら、中でほぐれないというか・・・
本道:
はい、そのまま腸に行って負担になったり、病気が多くなったりとか。でもそんな事例が多くなっているから、もうそんな食べ方はダメですよって言われているように感じて。
ワダ:
うん。
本道:
私も何年か前から断食道場におじゃましていて、そこに行ったきっかけは震災なんです。もしもそういった、いきなりご飯が食べられなくなる時がきたとしたら、断食道場でシュミレーションしていれば、三日くらいはくらいは、何も食べなくても生きていけるって、自分が元気なうちにやっておけば、どうぞみなさん先にお召し上がりくださいってできると思って、それがあって行ったんですよね。
震災の時も、東京は本当コンビニやスーパーの食料がなくなって、買い占めたりするんですよね。でもそんなことは全然スマートじゃなくて、私は次の日から、湯島食堂で炊き出ししましたけど、そんなに自分だけ生きていっても、その先の楽しい世界はないだろうなと思ってみんなに分けましたけど、みなさん、ぜひどうぞっていうような世界になってほしいですよね。
ワダ:
満たされたいっていうのは、飢餓感。飢餓感の源泉が何かを見ていかないと、本質的には痩せない。ダイエットの多くは、我慢するでしょう。でも、本当は、心の源泉にある飢えが問題で、心の飢えとは何なのかを理解できれば、そんなに食べなくていいんだっていうことに気がつくことができる。
本道:
そうですね。
ワダ:
今の若い子たちって、例えばクルマいらない、大きな家はいらないとか。そういうのって、経済的な面でいえばモノを買わないし、もらったものでいい、借りればいいとか。それは彼らが新しい時代の空気感を掴んでいるんだと思のね。彼らにはもう十分なんでしょう。
本道:
うん、本当にそうですね。モノで満たされた時代は終わりでしょう。
ワダ:
それよりも、何か心を満たすものが欲しいっていう思いはすごくあるから。
本道:
はい。
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愛を柱としていたら、社会は変わっていく

本道:
私は、本当に破壊と創造の人ってよく言われるんですけど、これでいいなって思ってそこに向かっていくんだけど、いやこれは自分のちゃんとした目標とは違うなと思ったら、まあ苦しいんですけど、一旦そこをバスっとなくしちゃうんですよ。
はい、やっぱり私は動きながら生きていくっていう人なので、一つの所になかなかいられないんですよ。だから場所を持ちたくなかったっていうのはそうなんですけど。
でも場所ができて、何とかやっていましたけど、やっぱり自分の形態は動く人とだっていうところに戻り、今後は、例えば岡山に呼んでいただいたり、熊本に呼んでいただいたり、あちこち呼んでいただくんですけれど、今後は、もっとそちらに力を入れていくということですね。
ワダ:
なるほど。
本道:
自分の中では、飲食店の今までのスタイルを全部変えたいっていうか。本当は、食を扱う人たちって愛ある人だと思っているんです。命を作るっていう人たちだから、シェフを目指す人たちって愛ある人たちだと思っているんだけど、やっぱりシステムの中に入っちゃうと、それより合理性だったり、ボスから言われる金額を安くしてとか、本当にやりたくないことやっている人達がすごく多いと思うんですね。
でもそうじゃなくて、本来の本当の料理人は、お客さんのことを思って、こういうものを出したいっていう、そこにコミットメントしているお店をやっているっていう感じですかね。
ワダ:
本来、料理を提供するというのは、本当にいい食材を、自分も食べたいし、提供したいものがあったら、それを料理してどうぞっていうだけなんだけど、そこに経済活動が入ってくるといろいろと考えなきゃいけないところもあって、もし自分が作っていて、それが余裕があったり、作ることが楽しかったら、そこで提供して終わりでもいいんだけどね、究極は・・・
本道:
はい。
ワダ:
だけどレストランにしても基本的に事業だから、どういう場所で、どのくらいの設備投資で、どういう人材を入れて、どのくらいのお客さんが来て利益が出るか、そこに投資家がどれくらい投資するかっていうビジネスの世界だから、レストランというのは、基本事業になってるから・・・
本道:
うん! でも私は、昨日のお客様もそうですけど、今苺ができはじめて、すごくおいしい苺ができる時期なんですね。
ワダ:
うん。
本道:
だから、苺の農家さんまで行って採ってきましたからね。そういうところまでしたいんですよ。だから、イワシが好きなロビンさんには、できればイワシ釣ってきたいみたいな。
ワダ:
それは最高!
本道:
でも、本当のもてなしってそれだと思うんですよ。たくさんの料理なんかいらなくて、「いやあ、今日釣ってきたんですよ〜」って言って、イワシ焼いて、ご飯と味噌汁とか、それだけでも本当にいいと思います。
ワダ:
それを本当に真心込めて、焼き具合とかも本当にこだわって提供する。
本道:
やっぱり愛を柱としていたら、社会も全部変わっていくと思うんですよね。今、愛を忘れちゃっているようなところがすごく多いと思うんで。だから、よくこの頃愛とか使うんですけど・・・
日本人が愛とか使うと、なかなか慣れていないから、なんなんですけど、これからは日本の人たちも世界基準になっているから、今までは恥ずかしいって言っていたワードも使って、世界を一つにしたらいいですね。
ワダ:
そうだね!
本道:
お腹いっぱい食べるっていうのは、もうこれからの時代の生き方じゃないなと。
もうその時代は終わっている。
ワダ:
やっぱり僕たちの時代は、高度経済成長期を幼少期に生きてきたから、三丁目の夕日じゃないけど、兄弟多かったりして、早く食べないとお兄ちゃんに取られちゃうとか、で、腹いっぱい食べたいみたいなね・・・笑。そういう時代があったけど・・・
本道:
あはは!・・・笑
ワダ:
いま若い子でも、腹いっぱい食べないだろうしね。やっぱ少食ってキーワードだなって思って。健康法でも、あまり食べない方が体にいいし、日本人は特に栄養摂り過ぎてるようにも思うけど。
本道:
そうですね。栄養過多で病気になっている人が多い気がするんですよね。
ワダ:
本来満たされていると、人類のほんの一部の人、例えば、フランスのルイ王朝とか、そういう一部の人が豊かな食事をしていて、実は、ほとんどの人が、飢餓か小食だったと思うわけ。
本道:
はい。
ワダ:
だから、お腹空いていているのは当たり前。だから逆に、生きるためのスイッチが入っているような気がするんだよね。でも、ずっと満たされていたら何もしなくても入ってくるとか、体の機能としても生命活動として眠っちゃうというか。
本道:
うん。
ワダ:
例えば、サプリメントを飲むと、何か野菜とか外から摂らなくても、毎日すごい量のビタミンとか入ってくるとか、どうなんだろう。
本道:
20代の後半にニューヨークにいて、VIPの人たちにお料理を作る環境にいさせていただいたんですね。そこでVIPの人たちっていうのは、毎日お金持ちの人たちは、フォアグラやキャビアだというものが、普通の食卓の中に出てきていて、その人たちに一番喜ばれたのが粗食だったんですよ。
ワダ:
ほお〜!
本道:
たまたま、ほうれん草のお浸しを丁寧に作って出したものだったりとか。本当にそうやって、いつもいつも私たちからしたらすごいものを食べている人たちが、実は、粗食に傾くっていうのを目の当たりにした時に「ああ、これから日本人は10年とか遅れながら、アメリカとか目指していましたけれど、そこがいっぱいいっぱいになったら粗食だな」って思っていたんですよね。今そこに来ていると思いますね。
ワダ:
で、質のいい物をね。
本道:
はい、そうですね。
ワダ:
だから結局、野菜とかでもこの何十年かで、大量生産で農薬とかバンバン使って作ってきたけど、それで結局、一つの野菜からの栄養価が減っているっていうじゃない?3分の1とか・・
本道:
そうですね。
ワダ:
そういう意味では、少なくても質のいいものっていうのは、本来の野菜の栄養素がしっかり詰まっているっていうような、自然農法で作るとかっていうのがそうなるんだと思うし。
本道:
そうですね、そう思います。
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自分のやりたいことは、天に投げて忘れちゃう

ワダ:
ニューヨークに5年、ロスに5年って聞いていたんだけど、その前は、東京で料理していたんだったっけ?
本道:
はい、高校を卒業して会社に入ったんですね。その会社はその当時、ペンションを日本中に広げているデベロッパーだったんです。
そこの営業部の中で、お料理の先生がいて、その付き人だったんですよ。一番若くてカバン持ちみたいな・・・笑
いろんな料理の先生のところでアシスタントさんみたいなポジションにいて。そこから料理の世界ってこうなんだなって。それで、営業をしていない、いろんなペンションに行って、オーナーのように裏方で料理を作っていたんですよ。
ワダ:
へえ〜!そんなお仕事があったんだね。。。
本道:
でもやっぱり自己流だから、誰かに教わらなくちゃ、勉強したいって思った時に、日本では、料亭だったり、ホテルだったりと門を叩くんですけど、その当時、女性なんて、料理人になるより主婦になれとか言われて・・・笑
だめだこりゃと思って、アメリカに行くんですね。どうしてニューヨークだったかというと、あの小さなマンハッタン島に世界中から移民が集まって、人種のルツボって言われていたくらいだったから、あの小さな岩盤の上にいけば、世界中のお料理が食べられるかなって思ったんです。そして金融の中心地、行ってみたらそういうことだったんで、お金が世界中から集まっていたから。
その当時も、アメリカの料理なんてって言われていましたけど、ぜんぜんそんなことはなくて、お金の集まるところはレストランもとてもすごくて。
ワダ:
やっぱり世界中がそこにあった?
本道:
ありましたね。でも私の動機は、最初から世界中の料理を勉強したかっただけで、移民のお母さんの料理を食べたかっただけなんです。例えばアイルランドの移民とか、インドの移民とか・・・それで世界中の人が、どういうものを食べていたかっていうのを、一瞬にして食べたかっただけなんですね。
ワダ:
ということは、向こうでいろいろと知り合いになったりして、お母さんとかいるからちょっと行って食べさせてもらってもいい?みたいなそんな感覚?
本道:
ああ、よくやっていました。
ワダ:
本道:
最終的に、ハドソンリバークラブっていう大きなレストランに行き着くんですけど、その時、本当に「わあ、ここに来るのはこのためだったんだ!」って思ったのが、働きに行くっていうよりも、自分は勉強しに行くっていう感覚だったんですね。キッチンは世界中の人が集まっていたんです。例えば、食器を洗う人はフランス語を使う西アフリカ系の人だったり、野菜早く刻む人は、スープのセクションにいて中南米の人なんです。だからサルサみたいな楽しい音楽をかけながらタタタッと切っていくんですね。その形はどうでもいいので、早く大量に切るっていう人たちだから・・・それがどこに行くかっていうとスープのセクションにいくんですよ。そこのボスがプエルトリコとかそういった人で、スープを仕込む。きれいに形よく作る野菜のセクションはタイ人とか。手が器用だから。
火を扱う一番メインな場所は、若いアメリカ人の有名な料理学校から来た、兵隊みたいにイエッサーみたいな・・・
前菜のあったかいセクションは中国の人とか。ケーキとかパンとかのセクションは、アメリカ人の女性のシェフかゲイの人だったんです。
ワダ:
へえ〜!
本道:
そんなところに、日本人の20代後半にポンと入って、みんなから可愛がられて、よくしてもらって、フランス人はだいたいソムリエさん関係がいて・・・
今日のお昼はチキンだよ〜っていうと、チキンをそれぞれの持ち場に落とされていくんですね。そうするとお昼の時間になると、それぞれの国のチキンになっているんです。
私はあっちでこっちで「よしこ〜」って呼ばれると、みんなの所に行って一口ずつ食べさせてもらうと、アフリカ料理食べたり、南米食べたり、タイを食べたり、フレンチ食べたり、その一つのランチのまかないで、世界中を食べていたんですよ。それが面白かったですね〜。
ワダ:
それは、本当に貴重な体験だね!
本道:
各持ち場それぞれで作っているんですけど。みんな自分の所のがおいしいからよそのは食べないんです。私くらいなんです。いろんな所のを食べるのは。
ワダ:
自分たちの文化圏で好きな物を作って食べるから。
本道:
そうそう!同じステーキでも、フランス人は塩コショウにマスタードだけつけて食べるとか、アメリカ人はグレービーソースかけてるとか全然違うんですよね。
でもそれが、ああよかったな〜ここに来た目的はこれだったなっていう感じでした。
ワダ:
そこではスーシェフ(副料理長)までいったんだよね。
本道:
正確に言うと、そのリバークラブから半年後に、野村證券のエグゼクティブダイニングっていうところに出向させられて、その時に、そこの二番手になったんですね。
ワダ:
そこはハドソンリバークラブが運営管理していたんだ。
本道:
そうなんです。その時に、同じ年のアメリカ人のシェフと一緒にそこに行くんですけど、その彼は、現在ハワイのカウアイ島でエグゼクティブシェフをやっていて、若い20代後半の時に、彼チャーリーと将来どうなりたいかってよく話し合っていたんですね。
彼はニューヨークでは、バリバリなレストランに行き、郊外に自分のお店も作りそこも流行ってというようなちゃんとした素晴らしい道を歩んできたんだけども、当時話し合っていた時には「僕は早くリタイヤして、誰も来ないような南の島で軽くシェフをやる」って言っていたんですよ。
ワダ:
へえ〜!
本道:
20代後半にそんなわけないじゃないのって。きっとそんなことないよって。ヨシコはどうするだ?って。私は食で世界が平和になることをやるんだって、そんなことできるわけないじゃないかって・・・笑
そう言っていたんですけど、今はお互いそれをやっていて、去年彼のところに遊びに行ったら、本当に南の島でエグゼクティブシェフをやっていて、私は本当に食のことをやっているねって、お互い話したんですけどね。
ワダ:
すごいね、それ!これまでの過程では、20代後半からそれを意識してやって来たわけじゃないでしょう?
本道:
全然です!
ワダ:
どっちかっていうと、それを忘れていたなみたいな?
本道:
はい、毎日毎日だけをやっていたんです。だから自分のやりたいことっていうのは、天に投げて忘れちゃっているっているんですけど、そうすると、そういう道になっているんだなって、お互いをみて思いましたね。
ワダ:
自分は絶対こうなりたいっていう夢を持って走っていく人もいるだろうけど、それが得意な人、そういう形がいい人もいるだろうけど、しがみついて、一生懸命梯子登って、登ってみたら全然違うとこだったっていう人も、結構いるんだよね。梯子かけ間違てたみたいなね。
本道:
はい。
ワダ:
目標っていうのは、その人に合う、合わないってあるじゃない。夢を追いかけるっていうのも、その時はそうかもしれないけど、時間が経ったら違っていたりするからね。
本道:
私がよく皆さんに言うのは、私の経験から言うんですけど、私の場合は、こういうふうになりたいとか、こうしたいって一応、天にお願いするんですけど、その後は忘れちゃう。そうするとある時急に「あ、これは自分が言っていたことなんだ」ってなるんですね。
でも、人それぞれですよね。着実に目標を掲げながら一歩ずつ登って行きたいっていう人もいるだろうし、そういう人にとっては、本道さんの忘れちゃいますよっていうのはどうもしっくりこないでしょうね。
ワダ:
僕なんかもね、よく想いというか、それを紙に書いて、封筒に入れて、机の引き出しの奥の方にしまっちゃうのね。ある時書類整理しようと思って、一応チェックしたら、8年くらい前に書いたようなのが出てきて叶ってたみたいな。
本道:
へえ〜!素晴らしい!!
ワダ:
結局、回り道はするかもしれないけど、だいたい思ったことは叶っていたりする。そういう思いを書いたものを、燃やして儀式するのもよかったりね。
なんかそれをずっと持っておく必要はないなって、最近すごく思っていて・・・
本道:
ああ、確かに〜。
ワダ:
ニューヨークに最初行った時には、就職がなかなかないから無償で働かせて欲しいって、働き口見つけたとか・・・
本道:
はい、そうです。最初から別に働く気はなかったんで、習えればいいって思っていたから・・・
ワダ:
じゃあニューヨークには、何年いようとかってのも別に考えていなかった?
本道:
うん、全然考えていなくて。でも多分10年くらいは日本からいなくなりたかったんですよね。それは何故かわからないですけど、1990年くらいに行って2000年は外国で世紀末を迎えたかったんです・・・笑
ワダ:
911の時は、まだアメリカだったの?
本道:
911位の時にちょうど帰ってきたばっかりで。私は911のワールドトレードセンターの隣のビルにいたので、みんな私が倒れてしまったんじゃないかって、すごく心配したっていうことを後で聞きまして。
ワダ:
ずっといると思っていたから・・・
本道:
うん。それは1992年か1993年に、やっぱり爆弾を積んだ車がワールドトレードセンターの地下に入って、爆発したことがあったんですよ。
ワダ:
ああ、あったよね。
本道:
はい。その時私は隣のキッチンにいたんですけど、私だけ「逃げよう!!」って言ったんです。そうしたらみんな「ヨシコ何言ってるんだ。ここはThis is New York」とか言っちゃって。Fire!とか言って、わざとガスコンロの火をバーっとやったりして。
ここはエイリアンの街なんだからって。だから911の時も、みんな逃げなかったのかなって思ったりしましたね。
ワダ:
最初は、世界の料理が食べられたらいいなっていうところからいっているから、そこで行動出来るところがすごいよね。最初はちょっと勉強できるならお金いらないから手伝わせてって言う感じで、それだったらいいよって、受け入れてくれたわけでしょう?
本道:
そうですね。それでもう本当にお金がなくなった時があって、朝50セントのコーヒーをお友達と二人で分けて飲んだっていう時があったんですよ。でも本当にお金がなくなって。どこか仕事を探しにいかねばと思って、街をフラフラ歩いていたら、日本食レストランにウエイトレス募集っていう張り紙があって、私は勉強しにきているから、日本食レストランで日本食の勉強をするんだったら日本でやってる、だけど勉強だから、初めてのことだったらいいだろうと思って、ちょっとだけ敷居を低くしたんです。
日本食レストランだけは働くまいと思って行ったんだけど、ウエイトレスはやったことないから、サービスだったら勉強になるだろうって、ここに張り紙があるんですけど働かせてもらえませんかって行ったら、日本食レストランの若いオーナーの人が話を聞いてくれて、どういう事情でニューヨークに来たんですかって言ったら、じゃあここで働かないで、いいところを紹介してあげるよって、ケータリングの人を紹介してくれたんです。それで、そこで働かずにケータリングの人の所に行って、すぐに働くことになったんですよ。
ワダ:
不思議だよね〜。そんなことばっかりだもんね!・・・笑
本道:
はい、そうなんです・・・笑
ワダ:
運ばれるんだよね。
本道:
そうなんです。結局、私は何もしないんだけど、目標のニューヨークで、一番の世界のお金持ちに自分の料理を出すっていう目標が達成されたので、あ〜もういいや。ニューヨークのこの目標は終了!って思って、辞めますってシェフに言ったら、周りにも「なんでこんな短期間でこの地位まで登ってきているのに、日本人の女性で初のシェフなのになんで辞めるんだ、このままいったらすごいぞ」って。「いえ、私は世界の一番の人たちに自分の料理を食べさせるっていう目標はもう実現できたので、西に行きます!」って・・・笑 でも、やっぱり今思えばそれも破壊と創造ですよね。積み上げてきたけどバサっと切るという・・・
ワダ:
うん。
本道:
これがもうちょっと持続型になればよかったんでしょうけど・・・笑
ワダ:
あはは・・・笑!
いやあ、でももっと先のお役目があったから、多分今に至っているんだと思うんだけど。ロサンゼルスはやっぱ同じ感じで?
本道:
全然違うんです。ニューヨークはユダヤ人の王国なので、金融とかお金持ちの世界ですけど、ロサンゼルスは、ヘルスコンシャスなフルーツ採れたから食べていますとか、同じベーグルでも全然違うんですよね。体にいいものを摂っていきましょうっていう人たちで、オーガニックだとかマクロビとかを一生懸命やっている人たち。でも、今思うと、ハリウッドとかはクリエーターが多い街なので、例えば、ランチに重たいお肉いっぱい食べちゃうと、午後眠くなっちゃうじゃないですか。それを野菜を中心に食べていれば、午後の動き方も軽やかですから、そういうクリエーターの人たちは、自分のアイディアをたくさん出していかなくちゃいけない職種の人たちだから、そういう粗食になったのかなって思ったり。
ワダ:
それは、本当にそうだと思う。僕たちが若い頃、ニューヨークでヤッピーっていう言葉が流行ったでしょう?
本道:
はい、ありましたね。
ワダ:
佳子さんが行っていた時代でしょう?多分行ったばかりの頃だと思う?
本道:
うんうん。
ワダ:
昼間っからカフェでマティーニ飲んだりして。やっぱ金融のストレスかな?
本道:
うんうん、そうだと思います。油っぽいポテトを食べてみたりとか、ハンバーガー食べてみたりとかそうでしょうね。
ロサンゼルスの人たちは、やっぱり自分の生活を楽しんでいますよね。仕事の後にサーフィン行ったりとか。休みの日は午前中サーフィン行っていたかと思えば午後にはスキーに行っているみたいな。
自分の生活を楽しんでいる途中に仕事しているみたいな。だから朝とかもスムージーだけで行くとか。でもいろんな文化が見られたので、すごく良かったなって思いました。
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日本の野菜料理を見直したら、やっぱりおいしい

ワダ:
今のビーガンっていうところにきたのは、やっぱりロサンゼルスの影響が大きい?
本道:
うーん、その時は、別に肉も魚も使っているケータリングをやっていたけど、でもやっぱり日本に帰って来てからですね。ビーガンでいこうって決めたのは。
それは何故かっていうと、アメリカとかオーストラリアとか、いろんな国におじゃましますけど、私はビーガンって言われているものを別に美味しいとは思ってはいなかったんですね。でも日本の野菜料理を見直してみたらやっぱりおいしいんですよ。それを外国で作るとみんな美味しいって言うんです。だから、自分はビーガンって言っていますけど、日本型ビーガンだと思っていて。これは日本の昔のおばあちゃんたちが作っていたような、地方でまだ残っているけど、そういう野菜食だと思ってるんですよ。
ワダ:
日本の野菜料理だよね。
本道:
そうです。
ワダ:
新和風野菜料理!ヌーベルジャポンベジタリーヌ(適当)。。。笑
本道:
そう思います。だから、昔のものをただ今作っているっていう・・自分なりに世界の人も食べられるように、アボガド使ってみたりナッツ使ってみたり。昔の精進料理をそのまま複刻するのではなくて、自分のエッセンスをそこに入れたっていう感じの創作ビーガンだと思っています。
ワダ:
確かに、向こうのビーガンってサラダみたいなものばっかりだよね。
本道:
はい、カサカサしたようなものばっかりね。
ワダ:
それで、特にビーガンローフードなんかに行ったら1回目は「ああ、これがビーガンローフードか」っていう感じなんだけど・・・笑
本道:
うん、毎日食べられないですよね。でも日本の野菜料理だったら、毎日食べられるますよね。
ワダ:
うん。僕は、ほぼ毎日食べているのは、ベビーリーフを塩麹とオリーブオイルだけとか。塩麹ない時も塩とオリーブオイルだけとか。
本道:
へえー!おいしそうですね!
ワダ:
そのくらいシンプルだと毎日でも食べられるけど、ドレッシングもあっさりしたものだといけど濃いものとかはね・・・
本道:
うん。
ワダ:
アメリカサイズって一人前がすごいじゃない。
本道:
はい。
ワダ:
ロメインレタスのシーザーサラダとか出ると、2人前位のがデンと出てきて、ドレッシングの量がすごいもんね!
本道:
ドレッシング食べているみたいなね。ポテトもケチャップたくさんつけるけどケチャップを食べているようなものですよね。
ワダ:
向こうはみんな、あれだけの物をみんな食べるんだよね?
本道:
食べるんです〜!
ワダ:
サラダ食べた後、次に前菜がきてメインがくるよね。
本道:
全部食べるんです。だからあんなに大きくなっちゃうんです。だから同じようには食べれないんですよね。
戦後復興っていうことで、牛乳や小麦が入ってきましたけど、やっぱりあれはDNAが違うんですよね。
ワダ:
アレルギーとかアトピーとかすごいけどね。
本道:
はい、そうですね。去年ですけど、生まれたばっかりの赤ちゃんにケータリング頼まれて、うまれる二日前、お母さんが病院に入院したところからビーガンで全部やってみたんですね。生まれて1週間くらいを毎日三食、そこで作ったり届けたりしたんです。
ワダ:
お母さんに?
本道:
ええ、そうしたらもう本当に母乳の出がいいとか、赤ちゃんに湿疹が全く出なかったりとか、とても良かったって言っていましたね。
ワダ:
子供の大豆アレルギーとか、野菜でもアレルギーがあるからね。
本道:
うん、でも最初は、急に乳製品が入ってくるからアレルギーが出ちゃうんだと思いますね。野菜だったら大丈夫ですね。
ワダ:
Facebookで「牛乳は飲ませていません」ってシェアしている人がいて、ふむふむって読んでいて、はっと思ったのは、僕が小学校の5、6年生の頃、1週間に1回は下痢してたくらい、お腹が弱かった。お腹の痛さが尋常じゃないから、何度も盲腸かと思ったんだけど。。。笑
当時は子供だからよくわからなくて、親も特に気にしてなかったんだけど。学校のトイレが汲み取り式で怖くて、嫌いだったので、家が学校から300mくらいだったから、裏口から抜け出して家に帰ってトイレ行くのね。家のトイレも昔はく汲み取りだったから、それも怖いんだけど。。。もう帰る途中、死ぬかと思ったよね・・・笑。あれは絶対に牛乳だったね・・・きっと・・・
本道:
私も中学の時に、牛乳を飲まない運動をやったんですよ。
ワダ:
へえ〜。
本道:
それはまず先生のところに行ったんですけど「お弁当に牛乳は合いません」っていうことを言ったんですね。それは、ご飯と牛乳は合うはずがありませんって。そうしたら先生が「それは本道だけが思っているのか?」って言うから、それまで何回か言っていたので「まだ私だけです」って言ったら「わかった。お前は牛乳のお金払わなくていいから、みんなに拡散させるな。お前は影響力があるから」とか言われて・・・笑
ワダ:
あはは!・・・笑 先生もすごいな。。。
本道:
それで、牛乳は自分だけ飲まなかったんですけど、やっぱり牛乳とご飯は絶対合わないって、昔から思っているような変な子でしたね。
ワダ:
それは中学校の時?
本道:
そうです。
ワダ:
生徒会やっていたとかじゃなくて?
本道:
全然してないです!ないけど、生徒会長になりたい人が、応援演説を頼みにきていましたね・・・笑
ワダ:
部活とかは?
本道:
ブラスバンドでした。
ワダ:
すごいね。トランペットとかできるんだ・・・
本道:
いやいや、みんなと同じ旋律は弾けないので、パーカッションだったんですね。だけど太鼓とかそういったのじゃなく、いつも鈴とかシンバルとか、一人だけこう目立つやつだったんですよ・・・笑。みんなと違うものをするという。
ワダ:
あはは・・・笑。ここぞという時に、バシャーンって!
本道:
そうそう!
ワダ:
ここでもやっているよね、結界張るのに・・チーンって。
本道:
そうですね!慣れているんですね・・・笑
ワダ:
そこからきているのかな?
本道:
そうですね、鈴とか大好きでしたね。
ワダ:
生まれはどこなの?
本道:
東京です。父親が千葉の柏っていうところに引っ越したので、そっち行ったんですけど。私は本当にみんなと一緒っていうのが苦手な人だったので、早く千葉から出て、いつもどこかに行きたかったんですね。小学校くらいでも一人旅していたし。
ワダ:
小学校で。。。すごいね! 兄妹はいるの?
本道:
妹がいるんです。超真面目な。今はお寺にお嫁に行って。お寺のお守りさんやっていますね。姉がこんなだと、一人はちゃんと真面目な人ができる・・・笑
ワダ:
お父さんがオープンで自由とか?
本道:
いえ、そんなことはなくて、私をなるべく普通に育てようと努力していたんですよね。
ワダ:
家の中で、佳子さんだけがちょっと変わった子だったの?
本道:
そうですね、でも小さい頃の最初の記憶が「こんなはずじゃなかったー」だったんです。
だから、今回人間として生まれて、本道佳子さんってなったら、もう少し楽しいかなって思って向こうの世界から来たとして、で、最初の記憶が「こんなはずじゃなかったー」という。
ワダ:
へ〜・・・!面白い!
本道:
はい。それで、出たり入ったり自由だと思っていたのが、身体にカチってハマっちゃって、こんなはずじゃなかったっていうのが記憶かなーと。
でも、親は小さい頃から、ちゃんと普通の人に育てようと一生懸命やったけど、私は普通の人になんかなるまいって心の中で思っていて、いつも空想していましたね。
ワダ:
妹さんはそうでもないの?
本道:
妹は、いつも個性を出してガツンってやられている姉を見てたので、ああいう戦うというか、自己主張するのはやめたんですよね。ちゃんとお勉強もできて、ちゃんと出来る、いい人になっていきましたね。
ワダ:
家系の中で、おじいちゃんとか、ひいじいちゃんとかが活発な人だったのかな、そういう場合・・・
本道:
それはあります。実は、この本道っていうのが長野県の山奥にあるんですけど、そこの父親の一番上のお兄さんになる叔父さんがちょっと変わっている人で、その叔父さんに小さい頃からよく「本道さん家の跡取りはあなたですよ」って言われ続けてきたので、そこのお家によく行っていたんですね。
そこのお家は、戦争で若い部下をたくさん死なせてしまう状況を自分が作ってしまったと言って、戦争から帰ってきても、ずっと昔ままの生活をしていたんですよ。ですから、昭和だったけれどもガスを使わないで、コタツも薪だったりとか、そこに私はよく行っていたので、私は帝王学って呼んでいますけど、よく言われていたのは「何かを勉強するなら日本一の人に弟子入りしなさい、もしくは世界一のところに行って勉強しなさい」って言われ続けていたんですね。
ワダ:
へえー!何歳ごろ?
本道:
もう小学校の時から。だから世界に行ってとか。
ワダ:
ずっとどこかで響いてたんだろうね。今はその叔父さんは?
本道:
もう亡くなっています。
ワダ:
ずっと最後までそういう生活されていたの?
本道:
そうです。若い頃は、叔父さんのカバン持ちみたいなことをしていて、叔父さんはこんにゃくを作るお芋で農林大臣賞をたくさん取っているような人だったんですよ。
何かを目指して日本一になりなさい、それが済んだら世界一になりなさいって。
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日本の女性が、世界でとても重要だと思う

ワダ:
海外でも呼ばれて活動してるけど、それはどんなご縁で?
本道:
私は、自分の想いは全てだと思っているので、世界に行きたいと言っても誰かが呼んでくれないと行けないじゃないですか。だからまず、お願いの仕方として『食で世界が平和になるっていうものを伝えに世界中へ行きたいので、よろしく〜』って天にお願いするんですよ。そうすると、どこかが呼んでくれるというこの仕組みをやりまして。
ワダ:
うんうん!
本道:
それで『2ヶ月に1回くらい呼んでください』って天にお願いしたら、去年はそういう流れになったんです。本当にそうなったなっていうのを今実感していて。だから、想いですべては出来上がっているっていうのを、去年はあらためて体感しましたね。
ワダ:
それはどういうところからオファーが来たの?
本道:
私は、日本の女性が世界で核だと思っているんですよ。世界中に日本の女性が住んでいて、こんな所にも住んでいるのっていう女性が結構いる。その人たちがスイッチを入ってくれて、こういう食べ方をしたらいいんだとか、そういうふうに思ってくれたら、そのコミュニティはどんどん愛が広がっていくと思っているんです。
だから、まず日本の女性のところに、お料理作りに行ったり、お話しにいったりするんですね。そうすると、そこに来てくれた人が「ぜひまた来てください」って言われて、今度はその配偶者、その国の人を連れてくるんですね。そうするとその配偶者の人たちが「野菜ってこんなにおいしいんだね!」ってなると、その次は、その国の人たちだけのコミュニティに呼ばれて行くようになります。
ワダ:
なるほど〜
本道:
はい。そんな感じで、どんどん広がっていくっていうか。
ワダ:
今後は、どんな展開でいく感じですか?
本道:
そうですね。少し自分のことを見つめて、自分のことを書き始めてみようかなとか。それは、私の人生をいろんな人にお話すると「本当に面白いですね!」ってよく言われて。「これがストーリーになったら朝ドラになるのに!」ってよく言われるんですよ。だからそんな人生を書いてみようかなって。
ワダ:
うん。
本道:
今Facebookとかそういったアウトプットするものがあるので、ちょっとずつ自分のこんな人に出会ったとか、こんなことがあったとか書いているんですけど、本当は一日4個くらい劇的なことがあるんですよ。ですから、そういうのが人生にずっとあるので、それを書くだけで映画になりますねってよく言われます。
ワダ:
なるほど〜。そういう話をいっぱい聞きたいね。。。興味深い!
本道:
はい! できればいいなと思っていますね。
ワダ:
まずじゃあ次のシフトは、今までのように、流れるままに次のステージがあるんだろうなって感じで・・・
本道:
はい、そうですね。きっと多分、平行宇宙のどこかを掴むっていうだけだと思いますけど・・・みんなが共に勉強しながら、自分の生まれてきた目的とか、そういうのをちょとでも知るきっかけになってくれたらいいなって思っていますね。
ワダ:
そうだね。おいしいネオ和風野菜料理で、身も心も組み替えて、きれいにしていって欲しいな。
本道:
そうですね。セミナーとかなさっている方がたくさんいらっしゃいますけど、そこに食が入ると、ふわふわっていうイメージを膨らませたところが、シュッと今の自分に返る気がするんですよ。だから、食と一緒にコラボさせるっていうのはすごくいいことだなと思っています。お勉強してそれをハラにストンと落とすというこのスタイルは、新しい形だなと思っています。
ワダ:
ケータリングもできるしね。
本道:
はい!
ワダ:
ハワイの方でも動きが出ているんでしょう?
本道:
そうなんです。
世界中でお料理教室してくださいとか、お食事会してくださいっていうオファーをいただいているので、2ヶ月に1回ハワイに行ったりとか、世界中に飛んで、いろんなことを共有しながら作り上げていけたらいいなって思います。世界中に飛んでお料理する人ってあんまりいないですよね・・・
11月はハワイのKCCっていう、世界中からシェフになりたい人が集まる学校で、とうとう講演をさせていただくことになったので、今回、国境なき料理団の想いというか、食で世界が平和になったらっていうこのお話を、ぜひしていきたいと思います!
ワダ:
これからますます楽しみだね。ポップアップレストラン、湯島食堂、国境なき料理団、応援していきたいと思います!
本道:
よろしくお願いします!
ワダ:
ありがとございました!
本道:
ありがとうございました!
ワダ:
今後とも、ますます応援していきたいと思ってます。今日は楽しいお話をありがとうございました!
本道:
ありがとうございます。また、皆さんとお会いできるのを楽しみにしていま〜す!
* 制作協力 : 藤田明子
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【取材後記】

佳子さんは、ミラクルの波に乗るミラクルサーファー・・・サーファーってテイストでもないけど、直感に従って、シンクロニシティのタペストリーを織り上げる。

何かをしっかり計画して行動するとか、壮大な夢を描いて、そこへ邁進するというようなビジョンやプランは彼女の人生には似合わない。世界に対して何かしようという野望めいた思いはなくて、ただ、自分が楽しいと感じる方向へ吹く風に、しっかりと帆を上げて風をつかむ。彼女がハッピーでいる世界は、周りのみんなもハッピーだ。そんな世界をいつも醸し出し、高次の時空間を創造していく。彼女の世界はそんな世界のような気がする。

「何かをしようとしなくていい」これは、僕の中で中心的な人生の柱だ。何かをしようと強い意図を発すると、本当の魂の声を見失ってしまう。魂のささやきは、とても静なので、自分に静寂を作らないとなかなか聞き取れないもの。でも、自分の喜びに従って、ヨットを滑らせるように風に従っていると、魂のささやきを捉えることができる。そんな時、少しだけ舵を調整すればいい。喜びの風は、いつも魂が行きたい方向へと人生を進めてくれるものだから。佳子さんのシンクロのタペストリーは、そんな彼女の喜びの風が織りなす人生の作品。

彼女の料理にはレシピがない。いつも、その時の野菜がどんな料理になりたいか、野菜と対話するのだ。それは、これまでの熟達した料理人としての経験があればこそのものだけれど、そんな技術だけではそれはできない。野菜があって、彼女がいて、それを味わう人がいる。ここに料理のシンクロニシティが生まれる。野菜にはエゴがないから、愛そのものとも言える。そこに人間にエゴを入れること無く、その時に、表現されるべく、野菜たちはそのものの魅力をさらに引き出されて、美しい料理となる。そういう意味でも、佳子さんは、野菜たちの最高のパフォーマンスを引き出す役割を持っている。そんな佳子さんの料理を味わえる機会に、僕たちは野菜たちへの最高の感謝を持っていただく。。。それは同時に、最高に素晴らしい体験となる。

彼女は世界が繋がってひとつになる食卓をいつもイメージしている。それは実現したい夢では無く、それはどんな規模でもすでに実現していて、それがどんどん拡がって行くイメージ。本当は、世界に国境なんて無くて、愛と喜びでひとつになれるもの。美味しい料理はみんなを笑顔にする。今日も、佳子さんが行くところ、またひとつ、愛と幸せの灯がともる。僕も、そんな世界を一緒に楽しんでいきたいと思っています。本道佳子さんの奇跡を起こす日本風ミラクルビーガン料理。。。ぜひ、あなたの街でも、佳子さんと一緒にポップアップレストランで、奇跡を創造しませんか・・・

本道佳子 プロフィール

国境なき料理団 団長 /
ヒーリング料理人

高校卒業後、フードコーディネーターに。その後、単身NYへ。

NYにて各国の料理を学ぶ。

NYの野村エグゼクティブダイニングへ、ハドソンリバークラブからスーシェフで出向。世界のエグゼクティブに料理をふるまう。

6年後にロサンゼルスへ移住。ケータリングをしながら、オーガニックやマクロビに触れる。

10年間のアメリカ生活を終え、日本へ帰国。

病院とコラボして最後の晩餐会でシェフをする。そのときに「未来へつなげる命を作るご飯」を作る。

その後、「世界仏教徒会議」でベジタリアン料理を作る。このときの料理が「みんなと友達になれる料理」と呼ばれるように。

2010年『湯島食堂』をオープン。

2011年 東日本大震災の被災地支援としてケータリングを行う。

2012年「国境なき料理団」がNPOとして認定される。

日本・世界の各地で「愛あるご飯」を提供中。

特定非営利活動法人
国境なき料理団Webサイト

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