GDPが高くても幸福度が低いニッポン

ワダ:
今日は『幸福途上国ニッポン』の著者である目崎雅昭さんに登場していただきました。よろしくお願いします!
目崎:
はい。よろしくお願いします!
ワダ:
さて、目崎さんとは、今年5月に、仲間たちが集まって、東京は青山エリアの3会場で「遊識者会議」というのを行ったんですが、その時の中心的なメンバーが目崎さんだったんですが、とても面白いイベントで、盛りあがりましたね。
目崎:
そうですね。本当に面白かったし、いいイベントになりました。
ワダ:
その中で、目崎さんも一コマ講座があったんですが「不幸でないことは幸福なのか・・・幸福途上国にっぽん」というタイトルでした。
実は、目崎さんが『幸福途上国ニッポン』という本を出されていて、これは非常に詳細なデータやいろいろな裏付けから、日本って本当に幸せなのかということをしっかり分析をしていて、面白かったんですが・・・
目崎:
もともとデータの裏付けを取る前は、僕が個人的にずっと思っていたことでした。日本にいるとすごく閉塞感を感じたり、何か息苦しさを感じたり、とにかく小さいころから「あれしろ、これしろ」「あれだめだ、これだめだ」ってことにずっと反発しながらも、しかたなく従っていた部分と戦っていたような思いがあったんです。
ワダ:
それはご両親との関係で?
目崎:
両親も学校の先生も、周りの人すべて、生まれた時からの環境としてですね。小学生の時は、先生からボコボコにされてて、自分がやろうとしたことに対して「ああやったらだめだ。こうやったらだめだ」でした。まあ、自分自身も好き勝手にやろうとしていたんだけど、小学校の頃は、すごく厳しい環境にあって、もう軍隊みたいな小学校だったんです。
ワダ:
公立じゃないんですか?
目崎:
公立ですよ。千葉でそういう地域だったんでね。軍隊みたいな体育会系の学校だった。
当時、先生に殴られたりする体罰は普通で、小学校2年生くらいからありました。くだらないことで体罰をうけていました。そんな環境でありながらも、、ある程度自由にやりながら、自分が抑圧されていることを無意識的に感じてもいて。
18、19歳くらいで、初めてヨーロッパへ、スイスのジュネーブにフランス語の短期留学で行ったんです。その時に周りの友達、クラスメイトに、日本人はほとんどいなくて、同世代の大学生、世界各国から来た人たちが、すごく好奇心旺盛で知識もたくさんあったのです。僕は当時フランス語はできず、英語もちっともできなくて、でもそれは語学の問題ではなく、彼らとはバイタリティから何から全然違うなと感じました。
もう一つは、ものすごくストレートに感情表現をして、何か楽しそうにしている人たちがいっぱいいたんです。なんで僕にはできないんだろうと、思いました。自分もああいう風になりたいんだなって思っているにも拘わらずできないのは、僕の先天的な性格の問題なのか、それとも生まれ育ってしまった環境のせいなのかって考えたんです。
おそらく僕は、小さい頃はもっと感情表現を豊かにしていた記憶があります。大はしゃぎして、騒いでいたのが、だんだんと自分の感情を抑えるとことが正しいと思わされる文化に馴染んでしまった。もちろん日本の社会でも、すごく社交的な人もいる。だから、人によるのかもしれないけれども、僕はどちらかというと、本当はやりたいんだけれども、環境によって抑えていた部分、つまりシャイな部分と社交的な部分の二つがあります。でもスイスで感じた自分を抑圧しているものは、少なくとも僕のせいじゃなくて、自分が育った社会のせいじゃないかと感じ始めていたんですね。だったら、自分でリハビリをすることによって変えることも可能だとも思いました。だから、とにかく彼らみたいにもっと自由に自己表現したい、というのが、最初からあった。
日本という枠組みを超えた、外側のいろいろな世界を見ながら刺激を得ていったのが18〜19歳の頃からでした。そのなかで、結局その根底にあったのは、そもそも日本という社会は、人間をあまり幸福にしないのではないかというところです。
いろいろな人に「日本の社会っておかしいじゃん」って言っても「いやそれって、単に欧米かぶれしているだけじゃない」とか「お前は外人じゃないんだから」とか「うちら日本人なんだから、それは違うでしょ」とか「日本には日本の文化があるのだから」っていう切り口で言われた時に、当時の僕は理論的な反論ができなかった。絶対自分の方が正しいはず、という思いはあったのですけどね。そこで切り口として出てきたのが「幸福度」だったんです。
たまたま英国の雑誌エコノミストで、十何年前に幸福度に関する記事を読んだのです。そこに、1人頭のGDPと主観的幸福度の相関関係のチャートがあったんです。そこでは、日本人はGDPが高いにもかかわらず、幸福度や生活満足度が低い。そして、僕が個人的に幸せそうにしていると思っていた人たちの国はやっぱり幸福度が高かったし、貧乏な国の人たちはあまり幸福ではない、といった、自分で肌感覚で思っていたものと、この数字のプロットすごくマッチしたのでです。だから、これをもっとしっかり研究してみよう、と考えたのが、もともとのきっかけだったんです。
そこから掘り下げていって、日本という国を、いかに客観的にデータとかを出しながら、幸福というのは文化に関係なく、人類に普遍的なものであるか、つまり、もともと人間として求めているのは同じなんだという切り口で表現したてみたんです。
ワダ:
自分たちは、世界的にも幸せで豊かだって思い込んでいる人が今でもいるのかなって思う。こんな時代になっていて、だんだん気付き始めていると思うんだけれども、間違いなくバブルの頃までの日本というのは、諸外国に比べて治安がいいとか、日本は平和でいいねっていうことを擦り込まれてきた気がします。
目崎:
完全に擦り込みなんですね。例えば、日本は確かに治安はいいかもしれないけど、日本と同じくらい治安がいい国なんて、実はいくらでもある。でも日本は、いろいろな名目のもとに個人を抑圧していて、その代償がどれくらいあるかということに気が付いていない。あとは、集団主義という構造の問題ですね。集団主義というのは、基本的に人間はあまり信用できませんから、ひとりひとりが好き勝手やったら、みんなまとまりがつかなくなっちゃうので、ダメなんですよ、だからあなたは好きなことをやってはいけませんっていう、ことが大前提なんです。
だから、ひとりひとりの判断は信用しないし、好きなこともやるんじゃなくて、まずあなたが我慢してくださいということです。みんなが我慢すれば、それはみんなよくなるんだから、そのよくなったものがみんなに還元されるからいいでしょうと、いうロジックなんですよね。
ワダ:
なるほど・・・
目崎:
本来人間は、そもそも信用できないものなのか?
そして、我慢の末にみんながよくなるとして、いったいどこまで我慢すればいいのか?このシステムである限りは、未来永劫、我慢し続けなければならない。そうすると、いくら社会が豊かになろうが平和になろうが、結局みんなが我慢しているから、ある程度まで還元されてはいるんだけれども、それ以上の個人に対しては還元されないですよね。いつまでも我慢をつづけるのですから、これが結局、根底の問題だと思っています。ただ、これを日本の社会でしか生きてない人に理解してもらうって非常に難しいわけです。
ワダ:
“幸せ感”を感じていますからね。
目崎:
そうなんです。その“幸せ感”って「本当にそうなんですか?」っていうのが、僕の疑問です。自己を否定した“幸せ感”でずっと生きてきた人に対して、本当のところ幸せを感じているのですかって聞いたところでわからないんですよ。
ワダ:
無感覚になっている。感じないように生きてきちゃったものね。
目崎:
自己否定して生きてきているから、その人にいまさら「いやおかしいですよね」って言ったところで、結局なかなか理解されないことが多い。だから、それがひとつのネックかなとは思ってます。でも、年齢的に高齢の人ではなくて、若い人や日本から国外に行ってた経験がある人たちだと、すごく共感してもらえる人が多い。あと、日本って何かおかしいなと違和感を感じている人たちですよね。主流のメインストリームで自己の抑圧をして生きてきた人たちは、それがすばらしいと肯定されてきているのだから、その肯定されているシステムすべてを根底から覆すことはなかなか難しいとは思っています。
ワダ:
新しい自分に変わって自己表現していこうとするほうが大変で、慣れ親しんでいる方が、そのまま続けられるので、新しいことをするよりもマンネリ化しているほうが楽ですよね。そういう感覚で、マヒし続けることを選んでいる人が非常に多い。でもさっき目崎さんが言った通り、それを伝えても変わらない。
目崎:
地球規模というか、人類としてそもそもどっちの方向に進んでいるのか、という視点で見た時に、民主主義というものが世界に広がっていくとか、インターネットとかが広がっていくのは、どんどんと個人の自己決定権が広がっていく、という事実があります。個人の意思や決定権が重要だという人間の欲求があって、自分の人生は自分で決めたい、という人類の望みがあると思うのです。それは民主主義の根幹でもあるわけじゃないですか。個人個人の意思が反映していったものが、民主主義の国家であると。その流れは地球規模で起こっていて、、そういうひとつの大きな流れに対して逆らうのって無理だと思う。
だからって、伝統的な集団思考というものもあるわけだし、それ自体を否定もできないと思う。もともと人類というものは、集団主義から始まっているので。だから、集団生活っていうのは、絶対必要なんですけど、ただその集団を維持するためとか、大義名分だけのために、どこまで個人を抑圧するのかが、問題となるのです。いわゆる滅私奉公という発想には、いろいろな意味での嫌悪感が出てきていると思います。自分自身の人生をずっと否定してきた年配の人が、彼らの人生を肯定するためにお前も同じことをやれと、若い世代に言ったところで、あまり説得力がなかったりする。そうなってくると時間の問題で絶対崩れると思う。
ワダ:
若い子たちは感覚的にそれをわかっているじゃないですか。だから働き方も全然変わってきているし、こんな経済環境の中で、どんな大企業でも一寸先はわからないという状況になっているから、みんな今就職志向としてそこを目指していないですよね。やっぱり本当に自分がやりたいこととか、やって楽しいかなっていう、ここ行ったら高額な給料をもらえるからっていうことでは選んでないですよね。
目崎:
そうですね。ただ、確かにそういう若者って増えてきていると思うし、一つのトレンドはあるのだけれども、まだまだ主流は、そういう風ではないと感じています。たとえば、僕が就職活動しようとしていた時の20年くらい前では、まだ大企業に入ってっていうのが主流であって、僕みたいに外資系に行くっていうのは、完全に否定されていた。そういうのが、今は外資系に行くことがタブーではなくなってきている。でもそれは、価値観が多様化したのではなくて、主流のトレンドが変わっただけなのだと思います。
日本の会社に行くのは、昔はローリスクだけれども、ローリターンでした。でも外資系はハイリスクでハイリターンでした。今は、日本の会社へ行ってもリスクはハイリスクですが、ローリターンです。それにくらべて外資系がハイリスク・ハイリターンだったら、なぜ日本の会社へ行くのですかと思いますよね就活している学生に話を聞いてみると、なんだかんだいって、結局、今の自分たちの価値感ていうものに対する自信揺らいでしまう。そこに、親の40代、50代の世代が「基本は好きなことをやりなさい」と言いながらも、結局自分たち自身が好きなことをやってきていないわけだから、好きなことってなんなのか、よくわからないのですよ。
とりあえず、確率的に大企業行った方がいいんじゃない、みたいなのとか、どうせだったらいい学校に行った方が選択肢が広がるからいいんじゃないみたいな、そういう思考になってしまう。だから、結果として、昔とあまり変わっていない。
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日本の社会システムは、人間の意志を尊重していない

ワダ:
大企業って、一回は経験してみると面白いなって。大企業ならではの組織とか規模感とか、そういうのを、僕もそうだったけれど体験してみて、その先で考えてもいいっていうのもあるけど、最初の段階で、個人事業主の元で就職して働くって、それ以外の世界をあまり見る機会がないし、年とってくると大企業に入れる機会もなくなるから、見聞を広げるっていう意味でも、大企業という選択はあると思う。
目崎:
そうなんですよね。僕は別に否定しているわけじゃないんですが、何が正解かっていったら多分わからない。最終的に、自分でこれだっていう確信を持ってやるしかないと思う。でもそれを自分でどうやったら確信を持てるかっていうと、日々の本当に細かい選択肢の中から、これは好き、これは嫌いというものを積み上げていくと、大きな自分の目標だったり人生っていうものに対して、確信が出てくると思う。
でも、日本の社会って、生まれた時から「こうあるべきだ」ばかりを刷り込まれる。例えば、もう幼稚園生だからとか、男の子だから女の子だからとか、お兄さんだからお姉さんだからとか、何々家だからなんだとかってね、その人が何をやりたいかではなくて、あなたが何をすべきかっていう、それをガチガチに固められちゃう。
無意識のうちに、人生というものは、何らかのやらなければいけないマニュアルがあって、それにいかにうまく従うか、なんですよね。それが善き日本人であり、よい子であり、優等生でありっていう、こういう構造でずっときちゃっていると、一度も、「じゃあほんとに自分は何をしたいのか?」っていうことを問わないんですよね。だから、食事なんかにしても、好き嫌いしない子がよい子になる。確かにそれは、好き嫌いなく食べたら健康的にはいいかもしれないけれども、でも生まれた時からずっと口の中に、三回も無条件で全部入れられちゃうわけじゃないですか。でも味覚って必ず好き嫌いがあるはずなのに、それはだめですと否定される。だから、結局好き嫌いすることを否定されてしまう。そんな繰り返しの人生が日本人の根底に刷り込まれている。
だから日本では、自分の意思は、基本的に自由じゃないんです。人間の意思なんてどうでもいいんです。でも、そんな環境で育てられた人が大学生になると、急に決まり文句のように学長みたいな人が出てきて、「高校までと大学は大きく違います。それは何かというと、高校までは知識を入れるだけなのだけれど、大学になったら、自分で積極的にやっていかなければならない。これが大学です」とか言うじゃないですか。でもそんなことは、本来は小学校からやるべきなのです。大学からやるから遅いんです。小学校から高校まで知識の詰め込みをして、急に大学になってから自分の頭で考えてやれって言われても、できるわけがないんですよ。当然、やらないよりはマシですけれども、それまでの人生で自己決定をしたことない人が、いきなり自分の好きなことをやれと言われてもわからないじゃないですか。
だから、日本という社会は、システム全体として、人間の意思っていうものを、そもそも尊重していない。結局、幸福の話にしても、究極はなんだかんだいっても、日本人は幸せなんだよねっていう話がよく言われる。じゃあ、その幸せって、誰がどういう基準で決めているんですかと言った時に、日本人とはこういう条件で住んでいるから、幸せだろうねというひとつの予測にすぎない。
じゃあ、あなたはどれくらい満足しているんですか?って聞いたら、いや、私は本当に幸せですって言うなら別ですけど、出てきた結果というのが、日本人の生活満足度は全然高くない。そのうえ、1958年から日本人の生活満足度は変わっていない。
バブルの絶頂期で失業率が2%以下でお金がじゃんじゃんあって、年金の問題も全くなくて、格差も世界第二位で少ない国だった80年代後半、ジニ係数なんかもものすごく低かった、そんな時代でも、生活満足度は上がっていなかったんです。
結局、日本人の幸福度の問題の本質は、人間の意思というものが重要になっていない社会構造にあるんです。
ワダ:
比較対象するものが目の前にないから、自分がどういう立ち位置にいるかがわからない状態。
例えば、フランスに住んでいたら、隣はドイツ人、全く性格の違う人が住んでいて、同じラテン系でもスペイン人は全然働かないとか、イギリス人はこうだとか、近隣の国としてありながら、ある意味ユーロでつながっている。アメリカでも広いけど地域によって伝統や文化が違うし、犯罪やリスキーなところもあれば、セレブリティの住むところもあったり、ギャップが大きいものが目の前にあって、そういった情報が日常的に自分たちの体感覚で感じている。
日本にある1億総中流的な意識の背景は何なんでしょうね?
長屋文化って昔からあるけど、平べったさというか、長屋感覚というのは、日本人のなかの文化としてもともとあったものなのかな。
目崎:
個人主義というものは最近の話しで、ドイツ、イタリア、スペインなどは第二次世界大戦前後まで全体主義国家でした。地域差は多少あるにしても、世界のどこでも、国家や社会に対して個人の意思は重要ではないというものが、社会の構造のなかにありました。だから最近は、もっと個人を尊重するという、人権問題がでてきたのです。
人権の本質とは何かというと、ひとりひとりの人間はすごく重要ということを強調している話ですよね。例えば、拷問はだめとか、人間として最低限の生活を国家が保証するとか、どんなことがあっても、命は大切ということが、だんだん浸透してきたということです。
僕は幸福論とは、人権と全く同じだと思っているんです。だから人権問題を追及していくときに最終的に何が重要かといえば、それは意思の問題、つまり個人の意思になるのです。
今この瞬間にその人が何をしたいか、何を求めているかが、なるべく優先されるべきなんです。その点で、日本はどうなのかって考えると、だんだん人権という話が浸透してきているから、少しずつ変わってはきていとは思います。でもまだ、人権というと、個人の生命や意思が最重要という感覚は浸透していない。人権なんかよりも、社会の秩序を保つことが優先するんだ、といったものが、無意識のうちにシステムの中に入ってしまっています。
ワダ:
例えば、労働時間とかの問題で、時間外労働についてのことを無視したようなところが日本はかなりある。それに対して、抵抗できないのが日本人なのかなと。
目崎:
そうですね。この前、ホリエモンがツイッターでつぶやいているので、興味深いものがありました。誰かがホリエモンに「ブラック企業に勤めていますが、どう思いますか」って聞いたら、ホリエモンが「そんなの辞めればいいじゃん」って。
これは結構本質をついている。ブラック企業の問題を、そこに働いている人の責任だと言ってしまったら、本当は問題があるのは間違いないですし、法律で規制する必要があるのは確かだとは思います。でも、現在のところ、最終的にそれでもいいとしている人たちがいるから、システムとして成り立っている。
これって政治の問題でも、メディアの問題でも同じだと思います。政治が悪い、メディアが悪いと言ったところで、結局そこに投票する人がいて、つまらないメディアを買って見る人がいるから、続いてしまう。最終的に何処で悪の連鎖を切るのが一番いいかって言ったら、消費者側がつまらないメディアを見るのをやめればいい。会社も、個人がそういう企業で働かなければいいんですよってなれば、会社側は対応をせざるを得なくなるのです。
女性の解放運動というのも、同じですね。日本は男女平等指数で135カ国中101位とか、日本の女性の国会議員の数が11%とか、世界で最低レベルです。パキスタンやイランより低い。中国でも20%はいる。パキスタンでも20何パーセントいるから、その半分ですよ。
なんでこんなことになっているかって言うと、ひとつは、日本の女性っていうものが、今の状況を受け入れている現状があります。それを見て、日本の女性は、海外の女性とは違うからと言って肯定してしまっているところもあるし、女性とはこうあるべきだと小さいころから洗脳されているというのもあると思うけれども、ひとつの実態は何かと言うと、そこに違和感を感じている日本人の女性は、みんな日本からいなくなっているのです。
ワダ:
なるほど。
目崎:
ものすごい頭脳流出ですよ。僕の知り合いや、個人的な話ですが、僕のいとこは、もう日本に帰ってこないです。それに女性の方が海外に行きやすいですし。
ワダ:
結婚とか?
目崎:
日本人の男性とくらべて、日本人の女性は人と出会いやすいのです。変な話、女性が別の文化で全く言葉ができなかったとしても、下世話な話ですが、ちょっとかわいければ、男はアホだからよってくる。それで、男勝手に話してくれる。
女性としては、その人ととりあえず一緒にいて、話を聞いていれば、言葉を覚えます。この人アホだけど、一緒にいればいいやって思えば、文化も覚えて、だんだん語学も上達する。そしたら、その人を切って、次の人にステップアップすればいい。だから、女性は現地の社会に溶け込みやすいのです。
ワダ:
確かにそういう面もあります。
目崎:
女性は簡単なんです。じゃあ、男性はどうかというと、まったく違います。どんなにイケ面であったとしても、言葉ができなかったら誰も相手にしてくれない。ちょっと言葉ができたくらいじゃだめ。そうすると、その地域に溶け込んでいくいくことが非常に難しい。
日本人の男で日本のエリートと呼ばれるいい学校へ行って、いい大学へ行って、いい会社へ行って、MBAを取りに欧米のトップ校に行くような、それも30ちょい前後くらいで、初めての海外経験する人たちがいます。
彼らは日本式のコミュニケーションしか覚えていません。でも英語の筆記テストや能力はある。頭もいいし、仕事もできるし、知識もある。だから、海外でも学校の成績はいい。でも、授業で発言するかって言ったら、ほとんどできません。友達ができるかといったら、あまりできません。もちろん女はくどけません。すると、おおきなフラストレーションがたまってくる。そういう時に、彼らはどうするかと言ったら「あいつら白人はバカだよね。俺の方が優秀だし、日本人って優秀じゃん。こいつは全然わかってないね」と、彼らのシステムを否定し始める。
ワダ:
自分を肯定するために。
目崎:
そうなんですよ。劣等感のために。それで、そういう人たちが日本に帰ってくるとニッポン万歳になるのです。自分は世界でトップをとったけど、日本こそがこ世界一素晴らしい、と言い始める、頭の固いおっさんになっていく。でも、海外で順応できた日本人女性は、そんな人たちと付き合っていられないから、優秀な女性はどんどんいなくなってしまう。
彼女たちが日本に帰ってきて何かやろうとしても、女だからとかって叩かれたりとかするから、日本人の男とは付き合っていられない。それで、外国人の男と結婚して、日本からいなくなってしまうということが多い。それは仕方がないことだとも思います。
そこで、日本に残った女性人たちは、比較的にコンサバな人たちで、日本万歳系の男性は、やっぱり自己主張しない日本女性がいいと吹聴する。本当は、それがいいんじゃなくて、それしか相手ができないんだろう、というだけの話。
ワダ:
日本女性っていうのが、本来の女性という、男と女という女性ではなくて、従順な、三歩後ろを歩きますみたいな。
目崎:
ある意味奴隷。それに、日本人女性が世界でモテるっていうのは、大ウソです。欧米の社会でモテるような男性が日本に来て、彼らが日本をどう言っているかと言うと、まったく違います。日本人の女性は、見た目はかわいい子たちがたくさんいる。でも、付き合っていてもおもしろくないっていう。何故かと聞くと、何を聞いても、何をしたいかがよくわからないから、僕は奴隷と付き合っているわけじゃないんだと言ってました。だから、面白くないからもう付き合わないって言うんです。もちろん、ひとりやふたりが言ってた話ではないです。それが実態。でも彼らは、普通そんなことを言わないし、日本に長くいればいるほど、そんな本音は言えない。
僕は、日本に対して批判的なことを彼らにわざと投げるのです。すると彼らは、「そうそう、そうだよね」とい感じで、どんどん話に乗ってくるから、そういう情報が入ってくる。
日本人は素晴らしい、という幻想みたいなものがあって、こんな素晴らしいんだから、こんないい国なのだから、これを維持しなきゃいけないという使命感がある気がします。でも実態として、本質は虚構の世界なのです。
ワダ:
映画のマトリックスの様な感じですね。
目崎:
本質はどうなのかというと、自殺率は世界でトップレベルで、出生率も世界でも最低レベル。過労死なんて世界でもありえないおかしな話で、、有給休暇の消化率も最低で、結局、何のために生きているのかが、よくわからない。生きるために働いているはずなのに、働き過ぎて死んでしまうのですから。だから、生活満足度も、1958年から少しも上がらない。いくら物質的に豊かになっても、この国はなんなんだろうと思いますよ。
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幸福にならなければいけないのではなく、
人は幸福になることを求めている

ワダ:
女性議員が少ない。会社の役員も少ない。会社の中でも女性の地位とかなかなか高くならない、未だに男が社会を作っている。男の社会に女性が頑張って入ってきている状態。そもそも男の世界が基盤になっているから、女性は生きにくいわけです。その構造自体を、男女雇用機会均等法もそうだけど、男性と女性が平等な社会というものをやるのであれば、そこの枠組み自体が変わらないとおかしいですよね。
目崎:
欧米では、60年代〜80年代にウーマンリブとか女性解放運動をやったときには、最初は少し行きすぎた感じがありました。アメリカでは女性が肩パット入れて男と張り合うような感があったけど、最近はやっぱり違うという論調になっています。そこまでやるのではなくて、女性は女性なりのライフスタイルがあるのだからという風になっている。でも、日本の場合は、行き過ぎるどころか、ほとんど進まないまま、欧米の結果だけを見て、そうだよねと自己肯定してる感じがします。
女性はもともと男性と違うのだから、同じことをしなくていいんだよね、という、最初から変わっていない状態になってしまっている。本当は、社会の中で差別された、既得権益を持っていない人たちが運動をしていかない限り、社会は変わっていかない。トップダウンは無理だと思う。既得権益をもった男性は、その権力を放棄する理由がないので。だから、ホリエモンが言ったように「やめればいいじゃん」という精神が重要なのです。それが昔は、例えば、共産主義の時は「労働者が立ち上がれ!」という話だったわけです。でも共産主義は最終的にはおかしな所へいったわけだけれども、ああいう運動があったということは、歴史的には意義があったと思う。
資本家が搾取してい、19世紀の資本主義に対して、労働者立ち上がりなさいと説き、暴力的にひっくり返さない限り、社会は変わらないんだというマルクスの話から、世界の半分が共産主義になってしまった。そういった思想と行動によって、社会は変わっていく。だから、日本の社会も、暴力的な改革がいいかどうかは別にして、行動する主体者が自分の行動を責任をもってやっていくというをことをやらない限り、結局だめなんですよね。
そういう意味では、幸福の話っていうのは、実はひとりひとりが取り組むのに一番簡単な話なのです。まず第一にあなた自身が幸福になってくださいっていう話じゃないですか。あなたが何をしたいか。とりあえず、それを最優先にすれば、最悪OKなのです。自分が幸せだから。それで自分は幸せになったけれども、周りの人が幸せになっていないならば、それは好ましくないでしょうけど、実際はそんなことにはならないのです。個人が幸せを感じている人たちが多い社会になるので。
ワダ:
自分が幸せになるって、自分が何をしたいかっていうことをわかっていない人が圧倒的に多いですね。僕の周りは、たまたま自分は何をしたいってわかってる人がたくさんいるんだけど、違うフィールドに行ったら、お金のために、生活のために働いている人がほとんどでですね。
目崎:
そうですね。でも、「生活のために働いている」と言っているだけで、多分実際は違うと思う。子どもがいるから、家族のために働いているとかっていう話は、本当にそうなのかな、と思います。例えば、僕の親父から「お前のために一生働いているんだ」と言われても、あまり嬉しくない。むしろやめてほしい。自分も大人になったらそれをしなきゃいけないの?と思います。ものすごく暗い人生ですよね。それが人間としての使命だ、などと言われたら尚更。
人間としての使命とは、結局労働して、子孫を残すという機械的なためだけでは決してないと思います。もちろんそれは、生物として根底にはあるかもしれない。でも、結局人間が、意思を持ってしまって、主体性というものを認識してしまった瞬間に、必然的に「幸せを感じること」の重要性が無視できなくなってしまっている。人間に認知する能力がなければ、別の話ですが、。他の動物とかは、自己認知する能力がないから、幸福論もへったくれもなくて、彼らはただ単に、自動的に彼らの世界観の中で生きているだけです。動物には、善悪はない。犬が何かやって、ダメ出しするのは人間の話であって、犬からしてみれば関係ない。ただし、猿山の猿の世界であっても、猿山の中でのルールはあるし、生物界の力関係はある。変なことをやったら、そいつが淘汰されていくっていうシステムの中で自動的にやっているだけであって、そこに対する瞬間的なモラルのようなジャッジメントが特にない。でも人間は、そこに善悪というものが生まれてしまったために、その中で、「いかによく生きるか」とか、「人生って何なのか」っていう意味を問い始めてしまった。
でも、人間の生命に本質的な意味があるのかと考えた時に、僕はおそらく無いと思う。単なる人間のおごりだと思うんです。人間という存在を宇宙規模で見ていったときに、どう考えても人間の生命というものが、宇宙の存在にとって、意味があるとは思えないですよね。
銀河系だって、そのうち無くなっちゃうわけで。そもそも、太陽だって燃え尽きて、燃え尽きるときに膨張していって、地球を飲みこんでブラックホールになって消滅して終わりですよ。
宇宙の中のこの地球の、このよくわからないゴミみたいな人間が、ごちょごちょと自分の意思がどうだとか、生命とか意思とか、存在意義とか言ったって、そんなものはないと思うのです。でも、僕は悲観的な話をしているわけではないです。それは一つの見方であって、じゃあ本当に人間には存在意義が無いのかって言ったら、実はあると思うのです。ちょっと矛盾しているように聞こえるかもしれないけど。人間の存在意義は、僕があると思うからあるんです。ただそれだけ。それで充分だと思う。人生の意味は、僕が作るのであって、僕は意味があるんだって勝手に確信して、そこに意味をつけるんです。宇宙とか神から与えられるものではなくて。僕が意味があると思った瞬間に、そこに意味が出てくるんです。
ワダ:
みんなが共通して認識できる本質的な真理、究極の真理があるのかもしれないけれど、基本的にそこではなくて、自分がどうそれを考えるかだけだってことですね。
目崎:
視点としては二つあります。真理とは、科学的に統一論としてあるかもしれないし、一つの法則のもとに宇宙が動いているというのは当然あると思う。ビッグバンの前がどうであったかとか、それとは別で、今の現象として、我々が存在していて、いつかは死ぬだろうという確実な未来があって、でも今生きていることに対して認識している。これも何か確実な現実というのがあるわけです。その中で、僕らが死というものまでの時間をどうするのかという課題も突き付けられている。そこの意味を、宇宙的なものとか、使命があるといった認識をすると、おかしなことになると思う。生物として子孫繁栄しなくてはいけないとか、そんなものは誰かが決めただけの話ですから。
たとえばある宗教では、、自然としておかしいものは認めない、というのがあります。でも、そもそも自然とは何なんですかという根本的な問題がある。自然の定義もよく分からないうちに、「自然としておかしいから」と決めつけ、同姓と結婚するのはだめだとか、セックスをしても子どもが生まれないために避妊をするのはダメだとかなってしまう。そそもそも、「自然」の定義は難しい。
化学物質だって自然のものからできている化合物であり、「自然」と言えなくもない。まあ、そういう話はとりあえず置いておきましょう。もうひとつの視点として、ぼくらの外側に存在する客観的な世界と同時に、もっと主観的な、意識の問題があると思う。そこがとても重要であって、意識があるから我々は物を認識して、そこに対して価値をもっている。意識があるからこそ、人類は人生に意味を問い始めたという事実もある。その意識が体験する最高潮のものを、僕は「幸せ」っと定義したい。
それならば、どういう風にやれば意識が最高潮の体験ができるのかというと、それは頭の中だけではなく、肉体的な体験も当然出てくるだろうし、社会の中での人間のかかわり合いも当然出てくるし、個人としてのポテンシャルや能力もあるのだから、潜在能力をなるべく発揮したいというのもあるし、、好き嫌いや、喜怒哀楽、そして感動したりと、いろいろな体験をすることによって、意識の経験値が高くなり、充実したと感じるのが満足感であり、幸福観であると思う。
ワダ:
目崎さんの話で面白いと思うのは、そもそも幸福ってなんで求めなきゃいけないのかって、なんで幸せにならなきゃいけないのかっていうところにいく気がしてきた。つまり、今の日本で、自分は幸せだと思って暮らしている人たちがいて、その人の満足度っていうのは、幸福度っていうのはそこそこで満足している。でも、究極の幸せって何かっていう話になると、自分の自由意思で決められて、自分がやりたいことをやって、そこで何か満足をというひとつの究極の幸福論というのはあると思うのだけれど、みんなそこに行かなければいけないわけではないのだけれど、その辺りはどうですか?
目崎:
別に幸福にならなければいけないっていう話ではなくて、人間は無意識のうちに、幸福になることを求めているのだと思うのです。別に選んでいるわけではなくて、幸せという意識が出てきた瞬間に、必然的にそれを達成する方向性にいかざるをえないと思う。そこそこ満足しているっていう人も当然いるんですけど、結局、そこそこの人が、本当に自分に選択肢があった時に、そこそこの満足は選ばないでしょう。もちろん選択肢がないと、最初から洗脳されてきてしまったら、話は別ですが。
生まれてからずっと奴隷である人たちに対して、この人たち奴隷だし、奴隷の世界しか知らないのだから、奴隷のままでいいじゃん、っていう話に近い気がする。奴隷は奴隷なりに、奴隷としての幸せの追求もあるのかもしれないけれど、奴隷以外のもっと自由な人間として、人類が普遍的に求めているものがあるのだと考えています。だから、もっと自由な、選択肢があって多様な価値観の認められる社会にしたほうがいいと思っています。もちろん、そういった選択肢の中で、奴隷がいいって選択をするのはありだと思う。
ワダ:
全部の可能性を理解して、その中でどれを選びますかっていう社会になっていないということですね。
目崎:
そうなんです。結局そこの問題であって、最終的に自分の意思で決定して奴隷を選ぶのであれば、その人の満足度は高いのだけれども、奴隷しかないって最初から決まってたら、それはだめですよね。
何のために社会があるのかとか、社会の目的論にもなってくると思います。究極的に社会を作る意味っていうのは、その社会を構成している個人の満足度が高くなかったら、そもそもその社会がある意味って、僕は無いと思う。
ワダ:
みんながもっと本質的な幸せってなにかを考える時間や場、学校でも幸せとは何かと考える授業をしっかりと充分にやって、目崎さんが言うように、いろいろな選択肢があって、感情的にも解放されてとか、そういうところに国が動くなり、もちろん自分たちが声をあげるとか、そういったことが無いこと自体が、大きな問題ですね。
目崎:
当然幸福論とか、幸せというものを主体的に考えるということは重要だとは思うし、出発点になるとも思う。そういうことを考えていったら、必然的に何が問題かっていうことが見えてくるとは思います。ただ、一つ問題があるのが、幸福論て、世の中にある幸福論の多くは、脳科学とか心理学とか、ポジティブ心理学とかいう話が多い。彼らが何を言っているかというと、幸福とは自分の問題なのだから、あなたの気持ち次第で、いくらでも変わるのですよという論法。確かにこれも間違いではない。でも、これをやってしまうと、今の現状の社会システムを肯定してしまうことになる。
これは仏教的にいっても、自分の煩悩があるからだめだみたいな、そんなのを捨てて、物じゃないんだっていう、これも自己の内面性を改革する話ですね。。これは危険性があると僕は思っています。もちろん、内面性の問題もあるけれども、社会全体として、人を幸福にしないシステムがあるんだっていう認識ができないと難しい。
じゃあ、その人を幸福にしないシステムって何かって言ったら、実は我々が勝手に思い込んでいる日本という社会構造の文化の本質なのです。本当は日本に固有のものでもないにもかかわらず、勝手に日本固有と思っていて、それを守ろうと勝手に思っているケースが多いのです。そこの認識ができない限り、大きな方向転換はできないと思う。
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人生観を根底から変えなければいけないと思って旅に出た

ワダ:
目崎さんの視点、論点は鋭いんだけど、何ゆえにそのような視点を得るに至ったんでしょうか?その根っこのところを少し教えてください。
何しろ、世界を旅して、10年くらい放浪していたじゃないですか。そこに出ざるを得なかった目崎さんもエネルギーがあったわけで、情熱とかいうよりも…
目崎:
行かざるを得なかったみたいなのがありますよね。行かないと救われないみたいな。
ワダ:
それは、さっき言っていた、子どもの頃にはめられていったものに対する反動?
目崎:
二つあったんですよ。ものすごいプレッシャーもあったけれども、ギリギリ魂が殺されていなかったっていうところが幼少期の中であった。そこのギリギリ死んでいなかったものが18〜19歳くらいから開花していった。死んでいなかった部分がだんだん大きくなってきて、でも僕も普通に就職しているわけで、大学を出て、会社とかで働いている中で、お金を稼ぐというなんか資本主義の一番最先端のところにいて、朝から晩まで金のことばかり考えていたわけです。
ワダ:
国際金融トレーダーとして、外資系で金融のど真ん中にいたわけですよね。
目崎:
デリバティブのトレーダーでした。デリバティブっていうのは実態のないものを適当に理論的に値段をつけてくる。理論的にこうなったら、この値段がこうだろうってことを、こっちとこっちの価格を組み合わせていって、金融の派生商品を作る。その世界にいた時にものすごい違和感を感じた。
現存の僕の知っている社会であり、世界っていうものの中で、ずっとこのまま生きていったときに、何かおかしいことになるのではないかという、普通に稼いで、いい車に乗って、いい家に住んで、家族を持って、なんとかっていう、こういう人生がちっとも羨ましくもやりたくもなかったし、あとは周りにいた上司だったり、10歳上、20歳上の人たちになりたいとも思わなかったんです。何なのかなって全然わからなかった。
学生の頃はいろいろ理想はあったけれども、全然金がなくて、お前は口ばっかりだと言われる。今度社会人になってある程度稼ぐようになってきたら、なんか別に金ってあっても物が買えるだけなのだから、なんかしょうがないよねって。物もそんなに、車なんて何十台ってあってもしゃーないし、家なんていくつもあってもしゃーないじゃないですか。何なのかなと、よくわからなくなった。よくわからないからこそ、今までの自分の既存の価値観が通用しないところに、自分自身を飛びこませて、根底からのパラダイムの変換みたいなことをやっていかないとだめだなって思ったんです。そこでひとつターゲットになったのがインドだったわけです。よくわからないけど、何かインド人は何か知っているのではないかと・・・笑
ワダ:
一番の対極にありますね。
目崎:
自分の想像のできる世界観の中で、インドとアフリカが 一番遠いところだった。あとは南米も気になった。3つの個所に、半年から1年くらいずつ行こうと考えたわけです。それも1週間や2週間じゃしょうがないから、半年から1年くらいずつなら、最高3年くらいあれば世界1周できるだろうと考えて、旅を始めたんです。
周りの人は、なんで会社をやめるのとか、頭おかしくなったんじゃないかとか、いろいろ言われましたけど、僕にとっては必然的な動きだった。まだ自分が若いうちに、何か今やらないと取り返しのつかないことになるのではないかというのがあったんですよね。自分の魂はぎりぎり死んでいなかったんだけれども、社会のプレッシャーってすごく強いなって感じていたので、そこのプレッシャーに、自分は弱い存在だなって気づいていて、金融の世界に居続けることでどんどん自分の人格が歪んでいくのがわかった。
金融の世界で生き残ることが不得意でもなかったので、そうすると、このままいくことによって、こういう風にはなりたくないよなって思う周りにいた人たちになってしまうのでは、という危機感があった。でもそれを客観的に見れている自分がいたので、その時にやめないと、手遅れになるなと、完全に川を渡ってあっち側に行く前に、まだ棺桶に片足つっこんでいるくらいなら、ギリギリでリハビリできるかどうかというくらいだと思ったんです。
自分の危機感みたいなものと必然的なもの、そういう中で、最初はよくわからないけど、人生観みたいなものを根底から変えなきゃいけないっていうのはありました。やっぱりその根底にあったものは、自分が幸せではなかったということ。社会の中で、一見それだけを見ると幸せな人生のように人は言う。でも、僕は幸せじゃないのだから、そんな人生いりませんっていうのが、単なる僕の解釈ですよね。だったら自分がどうやったら幸せになるかってことは、僕しかわからないのだから、やるしかない。社会がなんていおうが関係ない。そんなことで、ほんとに両極端のアジアからインドに行って瞑想寺にずっと1年くらいいました。
そこでずっと自分とは何ぞやとか、いろいろなことをやっていました。ただ、瞑想をやったらやったで、そういう世界にいるスピリチュアルな人たちは、ちょっとまた行き過ぎているところもあるので、そこでまた、金融にいたころの違和感をまた感じたんです。
結局、インドには2年間くらいいたんですが、その後世界を回りながら、世の中の幅を見ることによって、自分軸が少しずつ形成されていったというのが、10年間の旅の中でのひとつの集大成ですかね。
最終的に善悪の判断基準というものが、それまでは日本の社会ではどうなのかとか、日本のモラルに引きずられていたものが、モラルの善悪の基準値、つまり自分という軸が形成されてきた。これは、日本とかじゃなくて、自分としてこれはこうあるべきだとか、人間としてどうなのかとかいう人間の基準値として判断できるようになったというのが、ひとつの大きな収穫だとは思いました。
ワダ:
以前、写真とか見せてもらいましたけど、アフガニスタンとか中東のあちこちに行っているでしょ。
目崎:
その前に、アジア各国を周ってブータンとかも行きましたし、ネパール、ミャンマー、カンボジアから周ってインド、パキスタン、アフガニスタン、イランですね。イランにいた時に911があったんです。アフガニスタンに行ったのが2001年の8月でで、その直後ですね。
イランで911が急に起こって、そのあとシリアとかヨルダンなど中東を周ろうと思って、シリアのビザもとっていたんですが、911が発生した当時はイスラムの国のどこにアメリカが爆撃するかわからなかった。
特にイランもひとつのターゲットになっていたので。まずいと。で、イスラム教国からは出なくてはいけないというのがあって、隣のトルコだったらNATO加盟国だから、まさか爆撃はしないだろうってトルコに逃げた。その後に、中東へは行けないから、東ヨーロッパを周ろうと思って、ブルガリアからずっとルーマニアとか周り、そこまで行ったらだんだん旅に疲れてきたんです。
ワダ:
それは、充分でしょ〜・・・笑 普通の人は、最初の段階で疲れると思うけど・・・笑
目崎:
相当疲れが溜まってきていて、特にパキスタンからブルガリアまで、全部普通のローカルバスで行ったので、ヘロヘロになってバスに乗るのも嫌になってきました。、ヨーロッパの後アフリカに行く予定だったんですが、西アフリカはフランス語圏だったので、フランス語をやらないとまずいと思いました。。
フランス語は学生の頃ちょっと学びましたが、それから7〜8年まったく手をつけていなかったので、もう一回フランス語をやろうと考えていたのです。そうしたら、ちょうどパリを旅をしている途中で仲良くなったフランス人の友だちが、「パリに小さい部屋だけど余っているのがあるから、貸してやるよ」というので、まずはパリへ行きました。
3ヶ月くらいパリで語学をちょこっとやったらアフリカへ行く予定だったんですが、やっと何年かぶりに、次の日に明日はどこに泊まるかを考えなくていいという事実がすごく嬉しかったのです。そのうえパリは楽しくて。、勉強だけじゃなく生活としても、僕はパリがすごい好きなのです。気の合う仲間もできました。パリって、あまりビジネスが最優先の都市ではないのです。ロンドンなんかはとは対照的です。僕は昔金融の世界にいたので、ロンドンで働いていたこともあったし、周りの人間も金融の人間ばっかりだったので、僕にとってロンドンは、みんなスーツ着て地下鉄の中でFT(フィナンシャルタイムス)とか読んでいるみたいなイメージです。いい車に乗って、いいレストランに行ってみたいなライフスタイルが多い。
それに比べてフランス人は、そんなのどうでもよくて、セーヌ川とかその辺に行ってサンドイッチ食べていればいいじゃんみたいな感じです。カフェとかでも、スターバックスで紙コップでコーヒーなんかふざけるなと。コーヒーは座って飲め!みたいな感じです。ラテン系の人たちには多いんですが、「お金は基本的に汚いものだ」みたいな感覚があって、お金ではなく、もっと生活というものを豊かにしなきゃいけないんだというのが根底にあるので、当時の僕にとってはすごく居心地がよかった。
結局1年ぐらいそのアパートにいたのですが、ほっておくとそのままパリに居着いちゃうくらいの感じだったので、そろそろアフリカに行こうかと。。。笑
ワダ:
その間は日本に帰っていないんですか?
目崎:
それまでは、ほとんど帰っていないです。身内に不幸があって少し帰ったりもしたけど、基本的 には全然帰っていない。で、ちょうどパリからアフリカに行こうと考えていた頃に、昔の会社の同僚で、友達としても仲良かった友達が、インターネットのビジネスを立ち上げるから、日本に帰って来てくれという話になりました。どうしようかと思ったけど、実はアフリカへ行くの大変だなって躊躇していたんです。
それまでは僕の知らない世界に飛び込んで行って、そこから吸収してやろうっていうのがあった。インドでやパキスタンとかアフガニスタンなどの世界でも最貧国の国々をみて、中東の全然違う文化も見て、なんとなく「貧乏な国の人たちは、本当は幸せなんだ」というものは幻想なんだ、ということがわかってきた。そうなったときに、アフリカに行って何か学ぶことがあるのかなっていう気持ちが募ってきてきたのです。でもアフリカは人類発祥の地だし、自然もあるし、何か違うから、やはり行かなきゃいけないなとも思いました。絶対行かなきゃいけない、という使命感のようなものもありました。でも、病気はすごいしね。
ワダ:
リスクは高そうですよね。
目崎:
めちゃくちゃ高いし、戦争のリスクもあるし、政情不安だけじゃなくて、インフラも整ってないです。もしも旅の最初がアフリカだったら、自分のエネルギー満載だったからまだ良かったかもしれないです。それに、旅をはじめた頃は、自分と異質なものを探していました。それが時間とともに、、異質なものを探すのではなく、人類共通のものってなんだろう、という視点にシフトしてきたのです。
そんなときに、日本に帰って友達と一緒に起業するという、、そういうのもありかなって思って、「じゃあ行くわ」と言って、とりあえず帰ったんです。その後1年半くらい日本に戻っていた時期がありました。それでインターネットのビジネスをやたんですが、最初に僕がアイデアを出したわけでもないし、仲間とやっているのは面白かったけれど、ビジネス自体への情熱がそんなにあったわけではなかったので、ある程度収益になる目処が立ったところまでできたら、興味がなくなってしまいました。それに、まだアフリカにも南米にも行っていないし、そもそも旅が途中というのがどうもひっかかっていて、「申し訳ないけど俺は旅に出る」と言ってアフリカに行こうと思いました。
でも、その時にもう一つ考えたのが、大学院で勉強をすることでした。旅をいろいろしていく中で、特に文化について勉強したいと思ってました。それまでは自分なりに本を読んで、旅先で出会ういろいろな人と話したりして、文化とはこうだろう、という勝手に自分なりの理論を作っていたんですが、それを一回アカデミックな世界でどれくらい通用するか試してみたかったのです。、そこで、ロンドン大学で社会人類学を学ぶことにしました。
そこは人類学で一番歴史のある学科でした。だから、アフリカへ行く前にそこへ応募して、受かったら、まずそっちへ行き、だめだったらアフリカに行こうと思ったのです。結果は運よく合格したので、イギリスへ行って人類学の勉強をしました。
ワダ:
その後のアフリカはどうだったんですか?
目崎:
アフリカは大変でしたよ。
ワダ:
どれくらい行ってたんですか?
目崎:
1年くらいですね。何が大変かって、1年でアフリカ全土を周ろうっていうのが大変。特に移動が大変で、インフラが何もないから、ある地点から次の地点へ行くのに、どう行ったらいいかわからない場所が沢山あるんです。バス代わりとして、乗り合いで普通の乗用車に9人くらい詰め込まれて、そのまま砂漠の中を10時間くらい走っていくとか。
ワダ:
わ〜それは強烈だぁ!
目崎:
強烈ですよ。だって、クーラーとかないんですよ。
ワダ:
みんなぴったりくっついて・・・
目崎:
ぴったりどころか、僕の膝の上におっさんが乗っているんですよ、お尻が僕の三倍くらいあるおばさんがこっち側にいて、僕はひとり身だから挟まっていて、おっさんが3時間くらい僕の膝の上に乗ってますから、休憩で車を出た瞬間に、足がしびれて倒れました。
ワダ:
ガンガン揺れるし・・・
目崎:
ひどいどころか、砂漠の夏の暑さはハンパじゃないですし、車内は臭かったり暑かったりするから、窓を開けると、外の方がもっと暑い。熱風が来ちゃうから、閉めるしかない。拷問です。
ワダ:
笑えない。。。笑
目崎:
クルマはなかなか出発しない。いつだって聞くと「すぐすぐ」って言っても、6時間くらい待たされたり、半日以上待たされたりするのが普通にあって、そのうち次の日になっちゃったりとかね。
ワダ:
アフリカでは戦争とかもあるけど、根本的に犯罪とかのリスクもすごく高いでしょ。その辺りは大丈夫なんですか?
目崎:
場所と時間と、どういう風に旅をするかによるんですよね。
ワダ:
地元の人たちに聞いたり、危険なエリアとか?
目崎:
それもあるけど、アフリカ自体の治安から考えたら、多分、リオデジャネイロの方がヤバいですし、もっとひどいところもいっぱいある。リオなんか本当にヤバい。まあ、気をつければいいんですけどね。行った瞬間に身ぐるみはがされるような場所は地球上にはないのでね。
南アフリカのヨハネスブルグの治安は悪いですし、ソマリアとか行ったらわからないですけど。まあ、ソマリアでもそこまではないと思いますけどね。スーダンとかも行きましたけど、スーダンの首都ハルツームだって、全然OKなんですよ、今はわからないですけど。アフガニスタンなんかでも、当時タリバンの政権をとった時だったので、治安はよかった。
政情不安といえば、中央アフリカのチャドに、カメルーンから陸路で行こうと思ってビザをとったことがありました。旅の途中で知り合って仲良くなったスペイン人がチャドのNGOで働いていたんです。そこへ遊びに来いと言われて、そういう現場を見るのも面白いと思い、じゃあ行くかと。
彼のアパートを自由に使っていいよって言われてたので、明日カメルーンから国境を渡るってメールで伝えたら、突然、「ダメだ、クーデターで内戦が起こった」と返信がきました。「俺らもあと数時間で脱出するから、危険だからお前来るな」と言われてしまい、僕はそのままカメルーンに立ち往生になったんです。そいつはそのままパリへ行ってしまった。そこでナイジェリアを経由して西アフリカへ行ったんです。
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一生懸命あくせく働くのはバカらしい
毎日タンゴが踊れることがハッピーみたいな人がいっぱい

ワダ:
アルゼンチンでは、タンゴを踊ってたそうですが。。。笑
目崎:
もともとアルゼンチンは、スペイン語の勉強をしようと思って行きました。中南米はスペイン語ができないと話にならないので、旅をする前にどこかに半年くらい滞在して、スペイン語を学んでから旅をしようと思っていたんですね。そしたら、アルゼンチンの居心地がよくて、中南米をいろいろ周る予定だったのが、結局、アルゼンチンに1年以上いました。
ブエノスアイレスでスペイン語を勉強しながらタンゴをやってるっていうのがよかったですね。
ワダ:
何でタンゴってことになったんですか?
目崎:
最初は、アルゼンチンだからってだけで、やってみようと。。。笑
ワダ:
好奇心からでも、なかなかね〜
目崎:
ブラジルに行ったらブラジリアン柔術をやるとか、タイに行ったらムエタイをやるとかね、普通にかんがえるんですよ僕は・・・笑 それで、アルゼンチンだったらアルゼンチンタンゴかなと。ちょっと行ってみたら面白そうだったので、しばらく通っていました。あと僕がスペイン語を習っていたおばさんがいたんですが、そのおばさんがいろいろな人を紹介してくれて、その中で、「俺はタンゴダンサーになるんだ」というシンガポールから来ている若者がいたのです。彼はシンガポールの軍隊上がりの人で、軍隊上がりには見えないんだけれど、その彼がいろいろ教えてくれたんですよ。このダンサーはすごいんだとかいって。
タンゴっていうものに、ひとつの僕の人生が集約されたものがあるかなって思ったんです。
ワダ:
人生が・・・そのとき感じた?
目崎:
感じましたね〜。タンゴの何がいいかって言ったら、踊りというものが僕の中で、ずっと憧れと劣等感と嫌悪感といろいろなものが混じっていたんです。
基本的に踊りは嫌いだった。なんで嫌いかって言うと、日本人の最初にやらされるお遊戯と盆踊り、あれが嫌いだった。なんかつまらない、みんなと同じ体の動き、同じことをやらなきゃいけないっていうのが本当に嫌だった。音楽もつまらないし、その後、バブル期に高校生くらいだったんですけど、ディスコやクラブみたいなのがブームになった時になんとなく踊ってはいたけれども、踊っている自分が、本当に踊っていないというか、なんか音を聞いて動いてるっていうか、やっているんだけれども、なんとなく周りの踊り方をまねているだけで・・・
ワダ:
魂は踊ってないんだ・・・
目崎:
踊ってない、それを知っていた。唯一インドで修行してた時に、セラピーや瞑想の一環としていろいろなことをやった中で、踊りというテーマがあったんです。いかに内面性から自分を表現するかをやらされるんだけど、やれって言われてもできない。
踊りのエクササイズであったのが、みんな目隠しをして、音もなしで、大きなところで、まず自分の内面からの音楽を聞けと。その内面の音楽がわかってきたら、それで踊れって。ずっと静かなんですよ。それで何が出てきたかというと、後ろ回し蹴りとか出てきちゃう。。。笑
ワダ:
へぇ〜格闘系・・・笑
目崎:
もう、僕にとっての体の表現といったら、格闘技しかなかった・・・笑
ワダ:
確か、高校では空手部の主将だったですよね。
目崎:
そうですね、高校1年生のときから空手を始めて、それからずっとキックボクシングとかやってて、だから体で感情を表現するっていうことの一番ダイレクトなものが格闘技になっちゃった。で、タンゴの話に戻りますが、アルゼンチンタンゴの体の動かし方が、格闘技に似てたのです。
ワダ:
キレとか?
目崎:
そうです。体の中心線を動かさないようにして、上半身と下半身を動かしたり、肩の入れ方とか、上体を頭の線を同じにしながら動いていくとか、あっ、これいけそうじゃんっていうのがあった。だから、サルサはだめです。なんかチャラチャラしてて、全然性に合わないんです。音楽も嫌いだし。でもタンゴは音楽がメランコリックな感じで、あれが丁度 感性にあったんです。僕の根暗な部分とその根暗さを外側に表現したいという・・・笑
ワダ:
わかる気がする・・・笑
目崎:
あとタンゴをやっている人たちの陽気さというか、楽しんでいる感じ。夜中の2時とか3時くらいに、じいさんばあさんがちょこっと来て、バーっと踊って帰っていくとか、老人だろうが若者だろうが関係なく、死にそうなじいさんが、若い女の子と楽しそうに踊っていたり、ばあさんが若い男の人と踊ったりとか、若いカップルで踊ったりとか、いろんなパターンがある。
ワダ:
ブエノスアイレスの人は、タンゴってだいたい誰でもできるものなの?
目崎:
結構、そうでもない。若者はそんなにやっていない。意外と年をとってから始めるか、若い人たちが選手としてやっているとか、あとは若い人たちだったら、意外と外国人がやってたりする。
ブエノスアイレスで僕の隣に住んでいた恰幅のいいおっさんがいて、彼はタンゴダンサーだと言っていた人がいました。だからタンゴを教えてやるとか言って、自分の部屋を改造して鏡とか付けて、普通の部屋なんだけど、スタジオっぽくして、タンゴの先生だとか言って、名刺や写真も持ってるんだけど、このおっさん、あんまりうまくないかったんです。
踊りに行く場所には毎晩行ってて、その隣のおっさんとか、他の学生とか、他の先生とも会ったりした時に、僕の別の女の先生に、そのおっさんと踊ってみて、と頼んだんです。その女の先生に、踊った後にどうだった?って聞いたら、彼は伝統的なタンゴダンサーねって言うから、どういう意味って聞いたら、要するに下手ってことねって。
その後、彼とランチを食べることがあって、彼がポロっと「俺は実は弁護士なんだ」と言ったんです。彼は、自分のアイデンティティがタンゴダンサーだった。彼にとって、弁護士ではダサいんです。だからそう言いたくはなかったみたいで。
ワダ:
それって自分のライフワークを生きるっていうか、一番の幸せは何っていったら、弁護士ではなくタンゴダンサーだって、それこそ美しいね。
目崎:
そう本当に楽しそうなんですよ、おっさん。夜とか毎晩タンゴの場所に行って友達がたくさんいて、踊って「おまえ日本に帰ったら、俺を呼んでくれ」なんて言って「日本にツアーで行くから」なんて言う。ちょっと憧れているのもあるんでしょうね。でもタンゴの先生で世界チャンピオンになったりすると、世界ツアーで行けたりするので、彼は無理ですけど、でもそれはまた別の問題で。本当に毎日タンゴが踊れて、俺はハッピーだ、みたいな人たちがいっぱいいる。仕事とかをあくせくやるって、お前バカじゃない?みたいな人たちがアルゼンチンや南米はが多くて・・・
ワダ:
日本にいるとなかなか気づかないけど、全世界の平均を考えると、そういう人たちが大半で、日本みたいに、ほとんどの人がきっちり働いている社会って、僕もずっとスペインとか歩いてみると、財政が崩壊寸前なのはわかる、みんな働いてないから・・・笑 みんな店閉めているし、極端に言えば、働いている人なんかほとんどみない。
目崎:
でもね、アルゼンチンだって財政破綻で国が何回も崩壊しているし、だから、それでもOKなんですよ。それがいいことだとは思っていないけれども、彼らは国を愛しているし、アルゼンチンというライフスタイルに対して家族とか友達とかいて、心の底から好きなんです。
ワダ:
国が財政的に崩壊するのと、アルゼンチンという自分たちが生まれ育っている文化が好きだっていうことは、関係ないものね、そう考えたら。
目崎:
あんまり関係ない。でも2001年にペソが大暴落して、ドルとペソが1対1だったのが1対6で、6倍くらいになっちゃったりとかね、無茶苦茶になったときは仕事がなくなりました。多くのアルゼンチン人は移民の2世3世で、スペイン国籍とかイタリア国籍を持っている人も多いので、スペインとかイタリアにいっぱい働きに行ったけど、その後3、4年経ってアルゼンチンの経済がなんとか復活してきたら、また戻ってきたしね。社会で、経済ってものが一番重要ってことではないんです。それだけのために、生活なり人権なり、人間性っていうものまでも犠牲にしてまで保たなければいけないものではないってことですね。
ワダ:
目崎さんの中には、どこか戦いってものがあるのかな・・・笑 前世とか・・・幼少期のなんらかの抑圧とかってだけではなくて、何か魂の叫びみたいなものをすごく感じます。
目崎:
自分の中で二つあるんです。一つは、格闘技好きで、戦うのが好きで、アドレナリン分泌系の「ウォーっ!」っていうのがあって、もう一つは意外と女性性というか、静かで、何もしなくていいじゃんみたいなね。次に生まれ変わるとしたら、犬とかの方がいいかな、なんて真剣に考えます。でも今の人間の意識を持ったまま犬にはなりたくない。最初から犬としてですね。だから、二面性があると思う。できれば争い事はしたくないのだけれども、争いが起こったら、絶対負けたくはない。。。笑
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自分自身に嘘をつかず、誠実に生きていられるかが重要

ワダ:
現在、メガソーラの会社を起業されて、活動されていますが、ここに至った経緯について、聞かせてください。
目崎:
日本に帰ってきた後に、それまで自分がインプットしてきたものに対して、どうアウトプットしていくかというのがひとつの課題だったので、その中で本を書きたいというのがあったんです。
2年かけて本を書いたんですが、本を書いた一つの理由というのは、まず、自分の思想的な集大成というか、これを書かざるを得ないとっていうのがありました。もう一つは、ベストセラーにはならないとしても、本を出すことによって、日本の社会で同じようなことを考えている人たちと繋がる機会になるなっていうのがありました。だから、その触媒みたいな意味もあって本を出したんですが、おかげで、いろいろな新しい人たちと出会って、人脈が広がっていきました。そういう人たちが繋がることによって、日本の社会をどんどん変えていくことができるんじゃないかなって思ったわけです。
遊識者会議なんていうものは、その派生品のようなものなんですね。結局、あれは僕が本を出して、友達が会社幸福論とかやっている奴がいるから、お前と話が合いそうだって言われて紹介されたのが、荻野さんだった。
彼と仲良くなって、アメリカのワールド・ドミネーション・サミットの日本版をやろうと他の仲間たちとスタートしたものです。
そんな中で、いまの会社を一緒にやることとなる谷本と出会いました。彼は筋金入りの起業家なんですが、何年も前から太陽光発電事業については参入しようと準備してたんです。だけど、日本の太陽光発電の固定買取価格制度での買取価格があまりにも高すぎるので、どうしようか悩んでいるところだったんです。
たまたま、僕の妻の実家が札幌でビルの解体などの事業をしていて、余った土地があり、太陽光発電にも興味があったので太陽光発電の設備を作ろうと言うことになったんですが、地元の業者がとんでもない値段を出してきたんです。もうこれはぼったくりじゃないかって驚いたんですが。こうなったら、自分たちでやってしまおうということで、作ってしまったんです。
もうひとつ、日本の固定価格買取制度は、ものすごい高いんだけれど、あえて参入して、価格破壊をしてやろう、ということです。なるべく安いものを作れば価格は下がるので、最初に儲かったものをなるべく安くできるものにつぎ込んでいって、どんどん安くしていけば、本当に意味のあるエネルギーに太陽光発電になると思ったんですね。
太陽光発電とは高いっていう一般的なイメージがあったんですけど、いろいろ調べてみると、ヨーロッパの方ではかなり安くできている。あとは、まだまだテクノロジーの進歩の余地もあるだろうと、そんなことからメガソーラー会社を立ち上げたということです。
いかに低コストの太陽光発電システムを作るかということが、日本の特に原発以後のエネルギー需要として、大きな社会的意義があるだろうと。
ワダ:
目崎さんは、旅にしてもそうだけど、その時に感じた所に移動しているかんじですね。フランスの話もそうだけど、“今”っていう感覚をすごく大事にしているかなって。
目崎:
そうですね。人生ではいろいろなことが起こるんですが、それに常に乗ってたらブレブレになってしまうから、何か大きなことが起こった時に、一見流れと違うように見えても、それに「ポン」と乗っかることで、人生がすごく開けたっていう感じですかね。
そういう成功体験みたいなものを、意外に積み上げてきてるので、そこに味を占めている感じです。(笑)
ワダ:
多くの人は、自分が本当に生きたい人生を生きていないわけです。人生のチャンスや可能性みたいなものを活かしていない。もったいないわけです。まあ、もったいないかどうかは、その人がどう捉えるかですが、せっかくなら、この貴重な今生を活性化して生きて欲しいなと。目崎さんなんかは、そういう意味では、かなり積極的に生きてる感じがしますが。
目崎:
結局、自分が本当に納得しているかどうかなんですよね。だからそこは、常に主体性であり、自分の意思の問題。そこを、本当に自分自身に嘘をつかないで、正直に誠実に、自分自身に対して、生きていられるかっていう、そこが重要なポイントだと思う。
自分に対する誠実さなんですよ。だから、サラリーマンであってもなんでも、要するに本当はなんだっていいんです。奴隷であってもなんでもね。でも自問した時に、心の底から本当にいいんだって思えば、それでいい。でも、多分、多くの人は、そこまでの確信と納得をしていないでやっているから問題なんですよね。
ワダ:
目崎さんはどうですか?
目崎:
僕の場合、ノーチョイスなんですよ。これしかないでしょってことを、ただやっているだけなので、だから、人に何か言われたってね(笑)。僕は選んでいる感じでもないんですよ。
ワダ:
これをしたいっていう強烈な思いやこれをしなきゃだめだって言うんじゃなくて、一応ここも押さえておかなきゃって、そんな感じで楽しんでる感じ。そうするといろいろなことが起こってくる。
目崎:
そうですね〜、インドは絶対に行かなきゃいけないっていうのはありましたけどね。でも、インドに行った時に瞑想をやろうなんてサラサラ思っていなかったし、最初はインドだからヨガでもやろうかと思って、ちょっとヨガをやったんですけど、格闘技をやっていたからストレッチはやっていたし、瞑想もやってた。それなら瞑想をやった方がいいかなと。無責任にオープンエンドにしているわけではないのだけれど、その場その場の感情だけで、生きているわけでもないんですよ。
ただその瞬間的なものと、中長期的なものと、もっと先のものと、100年後、200年後とか、1000年後の社会をどうあるべきかみたいな、すべてを一応想定した中での、“今”の瞬間なんですよね。だから、その時に何やればいいかなっていうのを動いているって意識ですよね。
ワダ:
これからの目崎さんのビジョンや展開はどんな感じで拡がって行く予定ですか?
目崎:
そうですね、今のところはメガソーラーをできるだけたくさん作っていくというのもあるんですけど、エネルギーに関しては太陽光だけじゃなくて風力とか、エネルギー全般にいろいろ関わっていければなと思っています。
僕としてはエネルギーについては、地球のためにやっているのではなく、やっぱり人間のよりよい生き方を追求していくひとつの活動なんです。そこは、これから先、僕が生きているうちに、こうあるべきだっていうところまでの達成は不可能だと思っているので、死ぬまで飽きることはないと思う。
あと、日本の社会に関しては、こうするべきだというのはあるんですが、日本に近い社会って、やっぱり韓国なんですよ。自殺率が世界1位でね。
ワダ:
韓国が・・・知らなかった。
目崎:
はい。出生率も低いですし、幸福度も低いんですよ。でも、経済発展はしているんですよね。社会構造がすごく似ていて、言語も似ていますけどね。だから本当は、日本が変わることによって、社会がこんな風に変わっていかなければいけないっていうような、見本みたいになればいいと思うんです。だから、「幸福途上国ニッポン」が韓国語で翻訳されることになったんです。
ワダ:
それは素晴らしい!
目崎:
韓国人の人が読んでくれて、韓国と同じだと。僕は対象を日本に限定しているわけではないので、日本を一番よく知っているから日本で始めただけで、今後はもっと地球規模で広げていければいいかなと思っています。それと同時に自分自身も、楽しんで生きなきゃいけないので・・・笑
ワダ:
自分を楽しんでますね・・・笑
目崎:
仕事にしても、何にしても、人生をしっかりと謳歌していきたいなと思います。
ワダ:
目崎さんと初めて会った時、一言では語れない非常に厚みのある人物だと感じたので、改めて、今日はじっくりと濃い話が聞けてよかったです(笑)
本当にありがとうございました!今後が楽しみです。期待してますよ!
目崎:
いろいろとお話できてよかったです。楽しんで生きたいと思います。 ありがとうございました!
facebookコメント ご感想などご入力ください。
【取材後記】

僕も人生を旅として捉えているので、実際に旅することはとても大事だって伝えてるし、僕自身も、旅が好きで、よく旅をしているわけだけど、さすがに、目崎さんの前では、旅してるなんて言えなくなる。。。笑 10年間も海外を旅するなんて、いや、目崎さんのはもう旅じゃなくて、ほとんどそこに暮らしてきたという方がいい。それぞれの場所にしばらく住んで、移動する。。。これはまさに、放浪、ノマド、遊牧の民。。。笑

僕が目崎さんと友達になったのは、比較的最近だから、もう、旅から帰って久しく、メガソーラーの会社を起業して、会社社長になっているし、本も出版していて、あれだけ自由に生きてきて、よく収まるところに収まったなと思うんだけど、いやいや、実際に会って話をすると、そんなやんちゃ魂は何も変わってなくて、表現方法が変化しただけなんだなって思ったりする・・・笑 とにかくパワーに溢れる人物だ。。。

やっぱり、本質的に世界を変えていく人というのは、時代のトレンドに馴染まない、常にアウトローな立ち位置にいて、社会に対してどこか反発しているようなところがあって、やはり「それってどうよ?大丈夫なの?何だかおかしくない?」と常識というものに、常に疑問を持ち、時代の流れに押し流されない自律した意志をしっかりと持ってないといけない。

目崎さんの視点、生き方はまさに、世界を旅して、そこに暮らしてきた体験から、人々の生き様や肌の温度、その土地の水を飲み、食べ物を一緒に味わい、腹の中に入れて、そんなところから文化や伝統に触れてきたからわかる、日本人ってなんだろうという、外から見た違和感、世界とのズレなど、それが悪いって言ってるのではなくて、違いがあるってことを知ってる、理解してることはすごく大事で、やはり、自分が自分のことをあまり理解できないように、日本の中だけで物事を考えていては、日本という国は見えてこない。

若者よ、いや、新しい自分を生きようと思う者よ。。。旅に出よう!
旅は人生を変えてくれる。人生が旅なら、旅は、魂に触れ、魂を磨いてくれる。
これからの目崎さんの人生の旅もまた、興味深い!

目崎雅昭 プロフィール

国際文化アナリスト
幸福研究家
日本メガソーラー整備事業(株)
代表取締役 社長

慶應義塾高校、慶應義塾大学商学部卒。在学中、米ペンシルバニア大学へ留学。ロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)社会人類学修士号。

1993年メリルリンチ証券へ入社。デリバティブ(金融派生商品)トレーダーとして金利スワップを担当。東京、ニューヨーク、ロンドンで勤務し、世界のマーケットと格闘。メリルリンチ社内で世界一の収益をあげる。

メリルリンチ証券退社後、世界100ヶ国以上へ10年近い歳月をかけた旅に出る。インド、アフリカ、南米を中心とした、まったく違う世界観で生きる人々と身近にふれ合うことで、パラダイムの変換を目指す。

アジア諸国を歴訪後、インド南部のアシュラムにて1年間、瞑想に没頭。内的な旅に目覚める。インド各地を歴訪後、パキスタン、タリバン政権時代のアフガニスタンへ。その後イランを歴訪中、9・11同時多発テロが発生。急遽、中東諸国への旅を断念し、トルコを経由して東欧各国へと向かう。その後アフリカ大陸への準備として、パリで1年間のフランス語研修。

2003年一時帰国。(株)コンパスにて未来予想クイズサイトeBetの立ち上げと運営に参加。

2006年、ロンドン大学にて社会人類学の修士号を取得後、それまでの異文化の体験と世界水準の学術的な理論の融合を求め、チュニジアを皮切りに1年かけてアフリカ大陸全土を歴訪。後に中南米へ渡り、スペイン語研修を兼ねてアルゼンチンを中心に約2年間を過ごす。中南米大陸全土を歴訪。

■ W・Kアドバイザリー
 (Wolfgang Kreft Advisory
  日本代表

■ 生きるアシスト.com
  ブレーントラスト顧問

Well-being Lab
 (幸せ研究所)主席研究員

日本メガソーラー整備事業(株)
  代表取締役社長

世界の旅の軌跡:魂の旅人

著書:『幸福途上国ニッポン』
アスペクト社

共著:『これからの
「教育」の話をしよう』

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