頭の世界から腹(ハラ)の世界へ

ワダ:
今回のクエストカフェ・インタビューは、サイエンスライターの長沼敬憲さんに登場していただきました。今日は、よろしくお願いします。
長沼:
はい、お願いします。
ワダ:
サイエンスライターというお仕事ですが、科学系専門のライターさんということになりますよね。長沼さんが、サイエンスライターになった経緯は、どういうところからなのでしょうか?
長沼:
元々は大学を出て、普通の雑誌の編集などをやっていまして、それでフリーになりました。よくあるケースだと思うんですが30歳を過ぎて、だんだん体の分野に関わる機会が増えてきたんですね。最初は健康雑誌とかに記事を書いていたんですが、少しずつスピリチュアルな要素が入ってきたりして、その中でバランスを取るというか、やっぱり偏らない様にするためのひとつのキーワードが「サイエンス」だったんですね。
科学の勉強も、有り難いことに仕事を通じてやれる様になってきて、ここ数年で融合されてきて、身体の生理のところから人がどういう風に生きれば元気にいられるかとか、生命力が高められるかということが自分でもわかる様になってきたので、その中で、昨年(2011年)ご縁をいただいて本も出せる様になったと言うことです。
ワダ:
「腸脳力」という本ですね。腸の超能力、面白いですよね。
長沼:
はい。ありがとうございます・・・笑
ワダ:
この本について、後でお話をお聞きしたいと思いますが、大学は理系だったんですか?
長沼:
全然です。一応、農学部なんですけど。元々高校が文科系で、普通に進学校だったので、農業がやりたくなって、文科系でも入れる学部に入ったんですね。でも理系的な勉強は全然しないで、農業について自分なりに学んでいました。
ワダ:
農業生産の方なんですか?
長沼:
大学を出たら田舎暮らし、自給自足をやりたくて、きっかけ作りにそういう学部に入ればいろいろ縁ができると思って入ったんです。それがそんな雰囲気じゃなかったんで、自然により近い何かやれることないかなと思って山登りをやるようになって。
ワダ:
高校生で、自給自足を目指して大学を選ぶなんて、希少ですよね・・・笑
山岳系の匂いがします・・・笑
長沼:
僕は明治大学でワンダーフォーゲル部にいたんですが、六大学系のワンゲルは結構厳しくて、いわゆる体育界系なんですね。
山登りもかなりきつくて、自然に親しむとか味わうっていう世界じゃなくて・・・明治は、山岳部で植村直己さんが出てて、部室が隣同士なんですよ。
ワダ:
へ〜そうなんだ・・・
長沼:
だから、何にも知らないで入っちゃって、相当しごかれたと。
ワダ:
自然に親しむというより、とにかくカラダ作りですね。
長沼:
そうそう。
ワダ:
なるほど。でも、それは意味があったんですね〜・・・
長沼:
修験道みたいに山に入って、高い山に登ろうということではないんですけど、本当に修行の世界でね。
ワダ:
でも、そういう中で何か景色を見て楽しむとか、仲間と楽しむってところじゃない中に強制的に置かれたことが、結果的に自然の中の厳しさとか、山の温度変化はこうなんだとか含めて、カラダで知ることがいっぱいあったんじゃないかと。
長沼:
そうですね。すごくありました。きれいごとじゃないリアルな世界。
やっぱり頭で思い描いていた自然や農業の世界とリアルな自然のギャップっていうのは感じましたし、あと肉体と向き合うというか、僕もそんなに体を鍛えていたわけじゃないし、どちらかというと虚弱な方だったので、そういう人間が放り込まれて、そこでちょっと突き抜ける様な経験できたのは、僕が変わったきっかけになったんですね。それで逆に力を抜くというか、楽に生きることの意味がわかったんですよね。
ワダ:
大学の時に何かそれを感じたんですか? それともそういう経験があって、その後ということですか?
長沼:
直接は大学3年の終わり頃ですかね。やっぱり本当にしんどかった時期があって、精神的にも、今までと違う景色が見えた瞬間があって・・・。
ワダ:
景色というのは世界観?
長沼:
そうです。マックスまでいって、そこでひっくり返った様な感じがあって。それから本当に力を抜くとか感じる世界ですかね。頭の世界から、それこそ脳の世界から腹(ハラ)の世界にシフトチェンジする感覚が確かにあったんです。それで、これでなんとか人生を生きて行けるかなという気持ちになれて、じゃあ別に田舎とか特別なところに行かなくても「ここが全部自然なんだ」と思えて・・・
ワダ:
おぉ〜すごい達観ですね!
長沼:
なんかそう思えたんです。
ワダ:
そこにいくまでは、かなり悶絶したんですか?
苦悩したというか・・・
長沼:
苦悩しましたね〜
ワダ:
自分がやりたいことは何かということに苦悩したんですか?
それとも生き方そのものを?
長沼:
自然に生きるというのはどういうことかということがよくわかってなくて、要するに自分らしく生きるって口で言うのは簡単なんですけど、自然の中に入って行けばより自然に近づけるって、よりナチュラルになれるって安易に思ってたんですね。
でも自分は不自然なままなんですよ。頭の中では都会はあまりよくない場所で、田舎とか自然の方がなんかいい場所だと分けて考える意識もあって、いい場所に自分の身を置けば自分もよくなれるっていう感じもあったんですよ。
ワダ:
ええ。
長沼:
その辺が全部頭の中で考えていた世界だったんですけど、それが何となく取れてから、都会も自然なんだと。都会も自然の一部だし、別に田舎と都会を分けるのも変だし、生態系で土の中ばかり見るのも変だなと思って。人間関係が一番の生態系だろうとか、いろいろそういう気づきがあって、生意気にも卒論でもそういうことを書いたりね、自分で整理できて、すごくそれが自信になったんです。自分のなかでの見えない自信っていうか・・・
ワダ:
大学生でそういう意識を持つ人って、なかなかいないですよね・・・
長沼:
そんなに特別なことなのかよくわからないんですけどねぇ〜
ワダ:
そういうものが湧き出してきてたんでしょうね。内側から求めるというか・・・
長沼:
それはすごくありました。自然になろうと求めていた頃は、確信とか何もないですし、やっぱり果てしないっていうか・・・僕は努力すればいいと思っていたんですよね。当時は頑張ったり努力したり、とにかく極限までやろうという感じでいたんですよ。
ワダ:
なるほどね〜わかるな〜
長沼:
でも果てしなくて、自分のやっていることは別にそれほど大したことはないっていうのかな、もっとすごい人っていっぱいいるわけで、どこかで限界も見えてくるんで諦めるっていう世界もあるんですけど、そこのギリギリのところで葛藤がありましたね。
ワダ:
求めていくとね、上には上があるからきりがないですよね。
長沼:
そう! それで自分はこんなもんかと思って精神的にフェードアウトする人もいるのかな。
周りを見てるとそういう雰囲気がわかるわけですよね。そこは微妙なとこなんですけど、フェードアウトしていく人を見ていると、何か成功したり、つかみ取るっていうのと違うものが必要なのかなぁと・・・でもそこがよく分からなかったんですよね。
ワダ:
例えば、現世的なところでいくと、このくらいの収入になって、こんな家に住んで、こんな車に乗ってとかね。そういうひとつのゴールって若い時に見たりするじゃないですか。
長沼:
そうですね。
ワダ:
浜田省吾の歌でMONEYってあるんだけど「純白のメルセデス、プール付きのマンション、ベッドの横にはドンペリニヨン」って。そこに行って初めてゴールじゃなかったと気づくのもあるかもしれないけど、多くの場合、そこに近づいた段階で先が見えるというか、頂に登った時に初めて、まだたくさんの尾根が続いてるとわかる時がある。
長沼:
そうですね〜。僕は山登りを実際にしてるんで、疑似体験として人生が凝縮されているところがあるなあと。短い経験でしかしていないですけど、やっぱり人生のシュミレーションとしてね、そうした思いは繰り返し繰り返しあって・・・当時はまだ大学生じゃないですか。社会人にもなってないし、人生これから長いなあって、そういう感覚があるんだけども、どうしていいかがわからない。一体どうやって生きていくのよっていう感じでしたね。
ワダ:
それはどういう仕事をしてみたいなこと?
長沼:
う〜ん、要は何をやってもいいと思ってたんですよ。普通に生きていきたかったんですけど、それがどうも何て言うのかな? 自分の中でやっぱり掴めていなかったというか、何か安心して生きられない感じがあって。他人はわかんなかったと思いますけど、これを引きずって、このまま社会人になって、それなりに頑張っても多分苦しいままだろうなとか、人の評価と関係ない次元なんでね・・・評価はやっぱり、いろいろと仕事のキャリアを積んだり、スキルを身につけないと絶対得られないから、それはそれで頑張らないといけないと思うんですよ。でも、当時の僕が求めていたのは、そういうものじゃなかったんでしょうね。
ワダ:
今、朗らかな笑顔ですが、当時は暗い感じだったんですか。
長沼:
暗いですね。
ワダ:
あはは!・・・笑
奥さんと出会って明るくなった・・・笑
長沼:
あぁ・・・それはかなり助けられてるね(照)
やっぱいろいろ取れていかないと・・・大学の頃なんかもう、怪しかったですから。

心と魂は別もの。心は腸の中にある。

ワダ:
出身はどこなんですか?
長沼:
山梨です。
ワダ:
山梨だと自然が豊富ですよね。山梨ってね、ライバル意識があるんですよ。岡山県人として。桃、ぶどうは山梨といつも競ってるんで。
長沼:
そうね、そう言えば・・・
ワダ:
山梨は街中だったんですか?
長沼:
ええ、甲府の隣の町なんですが、ほんと平凡な町に生まれて、親もいい意味で平凡でしたしね。
ワダ:
でも自然はたくさんありますよね。
長沼:
自然っていうか、もういわゆる自然じゃないんですよね。ベッドタウンというかね・・・
ワダ:
そういう所から大学行く過程の中で、農業とか田舎暮らしというのは、逆に方向が違うんじゃないかって、東京に来るわけだから。
長沼:
僕の中ではすごい閉塞感があったし、この場所に居ることも辛かったっていう感じですかね。
ワダ:
山梨に?
長沼:
うん、とにかく違和感があって。でも僕はいじめられたりしたわけではないし、親との関係も悪かったわけじゃぁないから、誰かが悪いっていうことができなかったんです。そういう対象がいなかった。何となく産まれた頃からあるような感じで、とにかくそういうことを相談できる人が簡単にいなかったんですよ。でも周りは良い人ばかりだったから居心地が悪いんですよ。
ワダ:
ああ・・・
長沼:
反発する材料もあんまりないから、やっぱ内側にこもっていくっていうのかな、意識が向かっていくんだけど、結局、本とか読んだり、一人で考え事をしたり、そういう風になっちゃうじゃないですか。
どうしても自分でわかっちゃうんですよ。観念的になり過ぎてて、日常のバランスもどんどん取れなくなるなっていう・・・そういう危機感があったんで、ほんと外に出なきゃ駄目だと、飛び切り外に出なきゃ駄目だと思って、それである種爆発するというか、そういう体験をしないと自分は多分プラマイゼロになれないなと思ったのが高校の頃、進学の時期に一番そういう思いが強かったので変な選択をね・・・
ワダ:
面白いな。でもなぜか田舎暮らしなんですよね。
長沼:
うん、場所だったんですね。
ワダ:
あっそうっか。山梨じゃなくて別の田舎。
長沼:
そうです。当時田舎暮らしの走りだったりして、有機農業とか自然農法とか、いろいろそういう農業の考え方が出始めた頃で、ちょっとユートピア的なね、共同体というかね、いまいる場所よりクリエイティブな感じのイメージが・・・
ワダ:
でもそれって、もしちょっと間違えてたら危ない団体に・・・走ったかもしれないですね。
長沼:
そうです。僕は本当にそこがいつもストッパーがあって、簡単に言うと親の顔が浮ぶっていう世界ですよね。だから、ほんと危ない世界には関わることはなく。まあ、大学の体育界系のワンゲルだったら一応健全に追求できるだろうって、そういうバランス感覚がなぜかあったんで助かったんです。
ワダ:
面白いですね。周りに平均的ないい人たちがいて、いつも幸せというか、そこそこの健全な平穏な世界があって。でもその中だけでは自分は何かもっと自分の可能性みたいなものがあるんじゃないかって逆に感じてきたっていうかね。
長沼:
そうです。どこかで和田さんが「生命力」っていう言葉を使ってたんですけど、僕もその言葉はすごくフィットするっていうか、この世界はこんなもんじゃないだろうっていう思いがあって、自分自身もっと自分の中にあるものが発揮していけるというか、そういうシチュエーションというか、生き方があるだろうっていうのは強くありましたよね。ちょっと超人願望みたいなね、若い頃は特に・・・
心って取り扱いが難しい面があって、感情の起伏とか腸の働きとも関係しているんですけど、その辺がうまく自分でこなれてくれば周囲の人間関係もよくなるし、和の力でいい人生送れると思うんです。でも、僕はそういう心と魂ってのは別のものだと思っててね、心は体の中にあるんですよ、具体的には腸の中にある。で、魂って外にあるもんなんですね。それを神経で感じるものなんですよ。だからその二つの葛藤が人生のテーマにもなるんですよね。心が練れてない人は、やっぱり魂の声が聞けないって問題があってね。
ワダ:
なるほどね、すごく分かりますね。
長沼:
そうなんです。だから、腸脳力の腸は第一歩で、もう一歩先につながらないといけない世界っていうのがあって、僕はそれを直観だと「腸脳力」の本では書いたんですけど、感情と直観は全然違うもんなんです。その違いもちゃんとカラダで理解しないとあいまいになっちゃうんです。全部見えないものっていうかな。
ワダ:
例えば、がんになったりとか、あんまりここで言い切ることはできないけど、そういう状態っていうのは、やはり生き方に非常に大きく左右されてるし、がんって基本的な原理は細胞分裂するときのミスコピー。それがなんで起こるかってところで、いまセシウムとかの放射線の問題とかもあるけど、それが普通、それだけ意識とか、そのときの状態がやっぱ起伏が激しいっていうか、安定してないと、やはりその時にいろんな障害がミクロの世界で起こりますよね。
長沼:
いわゆるストレスってことなんだと思うんですけど。心の問題を先に考えないと、もっと悪い影響になる場合もあるし。
ワダ:
心は訓練次第で、整えることができるみたいな。
長沼:
まあ、できますけど、現代人は特に食べ物でやられていますね。和田さんのようにある程度自分でコントロールできる人は全然問題ないと思うんですけど、そういう術(すべ)を持ってない人は、大体食べものでやられて、感情を劣化させてしまっていますよね。その結果、思う通りの生き方ができない。頑張ってもどこかで行き詰まってしまう・・・腸と感情が密接につながっている、そこに食べ物が関与しているって知ることが、まず大事なんです。
ワダ:
内蔵と感情がつながっている?
長沼:
腸って食べ物を扱う場所なんで、食べ物の内容によって感情が影響されるわけですよ。その結果、本来の力が発揮できないっていうか、自分らしさを見失ってしまうケースが多いので、食べ物は入り口として重要ですよね。たまったものをデトックスすることも含めて。
ワダ:
それ、面白いですね。どんなものを食べてもね、自分の意識、心がしっかりしてれば自分で調整できるって考えがちだけど、それ以上に食物の影響ってのは大きいってことですよね。
長沼:
結局、食べ物の質を追求しなくなったわけです。つまり、食べ物なんかどうでもいいってことで、我々は今の生活を手に入れてるんで。でも、食べ物も命なんでね、命の質が劣化してるので、それを食べてるわけだから、当然その影響を受けちゃうわけですね。それがもう無視できない要素になってきているんです。
心の問題と食べ物の問題。だから、食べ物しかやってないって人もダメだと思うんですよね。これを食べれば健康になれるって信じ込んで、それは頭で食べてるっていう状態なんで、そこから抜け出さないとね。なんとか健康法とか、なんとか食事法をやっている人は、大概そこで自分は正しいことをやってると思って、それで逆に心を満足させて、ある一定の安定を得てる。もちろん、そうやってうまくいかない人もいる。いずれにしても、そこから抜け出し、突き抜けないと、腸と心がうまくつながらないんですよね。
ワダ:
例えば食事療法によってがんが消えるとかね、そういうことをなかなか理解できない人がいて、やっぱりどこどこ大学の先生に頼らなきゃみたいな、がんと戦うとかね、僕はそういうがんと戦うっていう概念が好きじゃないんですけど、戦うから、より逆方向にいってるみたいな。そうではなく、がんとひとつになるっていうか、がんそのものを愛するほうにいくべきだと。
そのときに、食事療法とかいろいろと変えていくと。でも、頭ん中でやってるとか、もしくは効くか効かないかわかんないっていう思いとか、もしくは、最先端の抗がん治療でとかってなってる人には、根本的にそこがやっぱり受け入れられてないから、なにやってもダメなのかなと。逆に、抗がん治療で効果出たりする人もいるけど。
長沼:
そうですね。
ワダ:
ほんとに末期の人が、全部消えちゃう人とかいるじゃないですか。
長沼:
今まさにそういう本作ってるんです。土橋重隆先生というお医者さんの本なんですけど、治りたい一心でね、自分を変える気なんてさらさらなくて、ただ治してください、治してくださいって思いで健康食品をとるとか、食事療法ってのは、逆にうまく治せないのかもしれません。
土橋先生もおっしゃっていますが、そういう場合、不安や恐怖がベースにあるから、それが持続したままではうまくいかない。前向きな思いで取り組んでいるつもりでも、じつはその裏返しなんですよ、心の中は。だから、逆にその部分を見つめてね、今までの生き方を振り返らないといけなくて、ライフスタイルも仕事のスタイルも含めてね・・・それがうまくチェンジできて、そこに食事がはまった人は、結果的に「玄米食べたらがんが治った」っていうことになる。玄米に治す力があるわけじゃないんです。
ワダ:
玄米を食べる自分がいるってことですね。
長沼:
そうです。だから、主体性っていうか、自分が中心なんですよ。そこに気づけない人が、結局、自分のげたを預けてるわけですね。外側の価値観とかいろんな情報とか、お医者さん、専門家とかにね。それが逆に、がんならがんを体験することでひっくり返れば、その人にとっては、すごい素晴らしい体験になると思うんです。
ワダ:
それはやっぱり、存在のバイブレーションっていうのがね、すべて魂だと思うんです。魂は外にあるって長沼さんが言われたように、同じ意味だと思うんですけど、僕はその存在が多次元にまたがってあると。多次元にあるっていうより、多次元にまたがってある。その中心は、この今の僕たちの時間を含めて4次元世界じゃなくて、5次元、6次元と高次にまたがって、ただ全体としてこっちに偏っていま存在していて、もっと高次な存在は、僕はここにあんまり関わらない状態で存在していると思うんですね。その全体として、おんなじ場所にはあると思うんですよ。で、ここに結晶化してる、物質化してるっていうようなところがあるから、その高次な意識のレベルで健全性を保てるならば、ここは組み変わると思うんですね、自然に。
長沼:
ほんとにそう思います。
ワダ:
だから、そこにアクセスできたら、実は人間って一瞬のうちに変われるんじゃないかっていう、ひとつの超常的なことを思ってるんですけど。
長沼:
いやいや、僕は全然不思議でもなくて、究極そうだと思いますよね。ただ、それはもう達人の域の話なんで、媒介が必要だろうと。きっかけとかね。それは食べ物でもいいし、別に何でもいいんですけどね。
ワダ:
玄米にしても、いろいろと他に野菜とかそういう健康なものっていうか、それを食べるってこと自体も、完璧に意識的にその状態になるってことじゃなくても、やっぱり効果ってある程度でるわけじゃないですか。
そういうものを食べることによって、これまでの食生活から改善すると、どのくらい健康な状態になると思いますか?
長沼:
食べ物の質の力だと思うんですよね。玄米が全部いいわけじゃなくて、玄米が体にいいか悪いかって聞かれると、それは個々の玄米によりますってのが答えで、その辺のスーパーで売ってる安い玄米もあれば、ほんとうにお百姓さんが丹精込めて作った玄米もある。それはエネルギーが全然違うので、たとえばひとつのリンゴが体にいいかとか悪いかって言えないわけですよ。それを言うからいろいろムリが出るってのがまず第一点で。逆にいい質の玄米を食べたとしたら、それは玄米が持ってるエネルギー、それ自体の生命力で癒してもらって、自分の質がちょっと上がるというんですかね。そういう力が食べ物にはあると思います。
ワダ:
ということは、ほんとに丹精込めて、心をこめ、愛情もって育てられた品質のいい玄米とそれをすべて頂いて、感謝と共に自分自身が玄米とひとつに、愛になるんだみたいな、そこに至るともう完全ってことですね。
長沼:
そうですねー。やっぱり出会いなんでね、安易にいいものには出逢えないんですよ。食べ物に限らないですよね・・・だから試行錯誤というか、自分の質が上がっていかないと、いい人に出会えないのと同じで、質のいい食べ物にも出逢えないし、サプリメントも含め、みんなそうなんですよ。だから、出会いが変わってくるんです。出会いのグレードが。体の質のレベルが上がってくるにつれて、出逢えるものが変わってきて・・・。
ワダ:
お陰さまで、僕も平和で幸せな人々と本当に情熱的で素敵な人としか出逢わない。これはやっぱりそういう世界だと思いますね。共鳴しあうっていうか、引き寄せるっていうか。
長沼:
そうです、そうです。自分の内側から縁が作られてく感じですかね。そこに、頭で向かっていこうとしてもダメなんですよね。頭で食べてもダメで、それだったら別に変わらないんですよ。ファーストフードを玄米に変えたとしても、それだけでは表面的なものが変わっただけなんですよ。だから、自分が中心で、自分の中身がまずある、意識があるっていうのに気づけるかどうかなんですよね。
ワダ:
深いですねー・・・笑
長沼:
でもそれをね、僕は言葉や文字で仕事をしてるから、言葉や文字で伝えようとしているだけで、変わる人はふと変わるんですよね、理屈を超えたところで。その人は玄米を食べることで新しい生き方をつかんだ感覚があるので、「私は玄米やって変わりました」って言うかもしれませんが、そこはなんだろうな、なかなか活字レベルでは伝えにくい面があってね、体にいいんですか? 悪いですか? って二元論みたいな話で展開されてることが多いんで、そこからまずは抜け出す必要があるんだと思いますね。

photo

柔よく剛を制する。最小限の力で生きたい。

長沼:
武術の世界にね、「柔よく剛を制する」って言葉があって、力づくでやるよりは、最小限の力で最大限の効果を出すのが武術の極意なんだと言われてるんですね。それを人生に還元していけば、人生の達人になれるだろうっていう意味も込めて、こういう言葉があるんだと思うんですけど。。。だから、僕もなるべく最小限の力で生きたいなと。
ワダ:
そうですね。例えば、仕事で誰かを紹介してくれるという時に、やはり直観でピンとくれば会うし、ピンと来なければまたの機会にする。タイミングを大事にします。自分のカラダに聞くというか。。。その時に会わなくても、数年後とか何かのご縁で出会うこともある。うずまきのように、少しずつ近づいてくるみたいな。そのベストのタイミングでしか出会わないようになってる。 無理な力を使わない。
無理に会っても、タイミング違えば破談したりとか、うまくいかなかったりするケースが多いですよね。
長沼:
そうですね。
ワダ:
だから、時を練るっていうかね、そういうのすごい大事だなって思ってんですよ。
長沼:
待つ感覚は腹の感覚なんですね。それはすごく実感があって、頭は追いかけたがるんですよ。「早く、早く!」って、自分の頭で思い描いたものにすぐに追いつきたくて、獲物に向かって走っていく感じなんです。それは大概、はずすことも多いし、ハンティングと一緒で失敗することも多いんですよね。
だから、腹を据えるっていうのは、どっちかっていうと女性の力ですね。女性はどっしりと家にいて、それで母性の力で引き寄せるって感じじゃないですか。だから、男性の中にも女性性とか母性ってあると思うんですけど、そっちの力を使った方が、自分の力、男性的な強さをもっと発揮しやすいと思うんです。これって、生理学的に人間の体のしくみをみても言えることなんです。だから、待つことの方が楽だし、そこに不安を持たない状態に意識が変わると、本当に人生の展開が自由自在になってくると思うんです。

葛藤がないと人と言うのは進化しない

ワダ:
著書の『腸脳力』についてお話を伺いたいんですが、本当にさーっと読めて、非常に深い。体のことも判れば、意識や心のこと、魂のこと。後半、最後の方に、すごく深いスピリチュアルなとこも書かれていて、いい本だな〜と思います。
長沼:
ありがとうございます。
ワダ:
この本でもっともインパクト受けたのは、人間や生命体っていうのは腸から進化してきるという話です。
長沼:
はい、そうですね。
ワダ:
微細な生物っていうのは、食物を取り入れて、消化して、排泄すると。その構造から、要するにワームっていうのか、チューブ状の生物。
長沼:
そうですね。生命の進化のある段階で、脊椎動物、背骨持った我々の直接の祖先になってからは、消化管が食べるために作られるわけです。つまり、それまでは細胞レベルでやってたので、細胞膜が全部、口であり肛門であったわけですよね。
ワダ:
ええ。
長沼:
それが段々と多細胞化して、進化してく中で、最終的に、全部の細胞に栄養がいきわたるようにするにはどうしたらいいかってことで、消化管というチューブ状のもので取入れ口と排泄口を作って、それで血管を使って、栄養を各細胞に分配するという、人間が一つの町みたいなものですよね。まあ、この社会の流通システムというのは、そこに原型があるんだと思いますね。で、そのときはまだ脳はできてなかったんです。
ワダ:
ミミズは脳がないんですかね?
長沼:
ないっていうか・・・ほとんど神経の束に近いですよね。
ワダ:
ずっと考えたんですよ。いわゆる昆虫には脳はあるんですか?
長沼:
ありますよ・・・笑
でも、すごく小さいくて、いわゆる神経の先端がちょっと膨らんでるような感じというか。
ワダ:
つまり、外の反応に対してただリアクションして生きてる。
長沼:
そうですね。
ワダ:
そこに自分の意志というか、それによって、意思なのか何なのか、匂いがすれば飛んでいくし、みたいな。
長沼:
そうですね。
ワダ:
フェロモンとか、花とかね。
長沼:
実はそういう感覚はぼくらも持っていて、ざっくりと言えば、そこに感情とか本能の起源があるって感じでしょうね。脳の中に感情の母体があるわけじゃなくて、もっと前のところに、思考とか認識力が生まれる前に、それ以前の生きたいっていう欲求とか、もっと食べたいとかね、生命の歴史を過去に遡っていくと、生きることと食べることはほとんど一緒になってくるんで。それがぼくらの生きる原点なんです。
ワダ:
例えば、誰か好きになるとか、そういう感覚は、基本思考じゃなくて、なんかこう、ふわっときて、そこからすでに始まってる。
長沼:
はい。生殖器も、骨盤も、腸もみんな下半身というか、人間の体でいえばね、大体、同じ場所にあるじゃないですか・・・そこが生命の源でもあるんです。脳は、そうした根源的な世界からすごく離れてますよね。
ワダ:
考えたことあるんですけど、なんで鼻の頭に生殖器がついてないんだろう? 頭の上とかね、なんでダメなんだ、帽子とったらやばい、帽子みんなかぶって・・・みたいな・・・笑
長沼:
あはは、それはおもしろい・・・笑
ワダ:
ちゃんと下にあるってのが不思議だなって思ったんですよ。
長沼:
やっぱり体には、いわゆる重心ってありますよね、力学的な。それは頭じゃなくて、腹っていうか、腹・腰の部分にあるわけですよ。一番力が集まる場所っていうかね。だから、そこに大事なものが集約されてるって感じですよね。生殖とか食欲とか、大体カラダをつかさどるものは、脳以外の場所にもうできてたんですよ。
逆にいうと、脳は神経の先端が膨らんでできたんで、消化管系の腸とは異質のものですよね。だから、体の構造上、神経系と消化管系でケンカするんですよね。つまり、感情的な欲求と、頭でこうあるべきだっていう脳の思考と、両者の間で葛藤が生まれるようになったんで、そこをどういう風に処理していくかというテーマが生まれるようになったわけです。
原始的な脳ではそこまで問題は生じないんですけど、要は前頭葉、いわゆる、脳の新皮質、知能つかさどる部分が、いわゆるサルから別れたと考古学的にいわれている流れの中で大きくなっていったわけですよね、700万年くらいかけて。そこで、そういう他の生物にはない特殊性を身につけたんで、逆に他の動物が味わえない独自の生き方ができるようになったわけですね。それがぼくらの共通したテーマになっていて、それを突き詰めることが覚醒につながってくるんだと、ぼくは思ってるんですけどね。
やっぱ、対立とか葛藤がないと、人って言うのは進化しないというか、変化しないと思うんですね。ずっと同じものが続くんですよね。それは人間以前というか、人間以外の生き物の生き方だと思うんで。だから、人って存在は、ちょっと特殊な領域にいることになったんですよね、この地球上で。そこに、いろんなものが詰まっていて・・・まあ、対立を乗り越えた先に真善美があると、そういう構造のなかに僕たちは住んでいますよね。

photo

腸がきれいな人は、ココロもきれい!?

ワダ:
腸のあたり、この部位がつかさどるものとは何でしょうか?
チャクラに関連しますね。
長沼:
生物の一番ベースにあるものが腸で、それは食べ物を消化する器官であると同時に、人間の情動、感情のベースでもある。いわゆる、腹が据わるとか、腹を見せる、腹を探るとか、昔の人はよく使っていたじゃないですか。覚悟とか意思とか、そういう感覚はやはり、腹であり腸に宿っている。言ってみれば、体の器官と感覚が重ね合わされるわけです。心臓や肺ももちろん大事ですけれども、進化の過程でどちらも腸から分化してるんで、生物としての根源的な意思、感情は腸に宿っているという言い方になるんです。
ワダ:
あっそうか〜! 最初は単純なチューブなわけだから・・・
長沼:
そうなんです。東洋医学では五臓六腑っていいますが、そこには全部感情が宿ってるという捉え方をしていて、好きとか嫌いとか、怒りもうそうだし、そういう感情はハートで感じますよね。ドキドキしたり、ワクワクしたり。でも、それは腹では感じない。
ワダ:
なるほど。
長沼:
腹の感覚はもうちょっと深い場所にあるんですね。それで、人間の脳はもっとあとの段階で、消化管ではなく神経系が膨らんでできあがったんです。そこは感情ではなく思考ですよね、ものを考えたり、分析したりする・・・だから、腹と心臓と脳と、この3つが調和してないと生き方がアンバランスになるんです。でも、今は腹のほうがなくなっちゃってて・・・
ワダ:
忘れられてる。
長沼:
はい。ある程度人生でいろいろ経験を積んだ人は、頭でっかちじゃなくて、ハートを使って生きてる人が多くて、そういう人は和の感覚があるから、人生的にはうまくいってはいるんだけど、でも、ここ一番っていうときに力が出せたり、自分の意思を貫けたりできるかっていうと、そこは難しいという・・・特に今の日本人は、和の精神はあるけど、ここ一番の力はないという印象がありますよね。
それはやっぱり、腸の弱さも含めて、食事の質の問題も含めてね、腹とか丹田とか昔の人がよく言ってたものが、相当に劣化してしまっているんです。だから、優しくて穏やかではあるんですけど、本当の力が出せてないっていうか。
ワダ:
ちょっとこう誤解を受けるかもしれないけど、腸が汚れてる人は心が汚れている、腸をキレイにすれば心もキレイになるって書かれてましたよね。
長沼:
影響を受けるっていう意味ですよね。そのときの健康状態とか精神状態っていうのは、実際にはもっとトータルなものなんです。環境も含めて、その時のコンディション、仕事の状況とか全部トータルでみないと、その人の本当の意味での評価っていうのは生まれないんですけど、そこで結構見落とされてるのは腸の健康状態で、それが相当のレベルで足を引っ張ってて、その人の本来の感情が発揮できてない。そういう意味で心の汚れとかダーティなものに自分自身を引きずりこんでる要因になってる面がすごく強いから、逆にそこを変えていけば、もうちょっと思い通りに自分自身と向き合ったり、社会で生きていけると。
ワダ:
象徴学的な考えでいくと、やっぱり腸に宿便がたまってるとか、腸に溜め込むってのは、手放したくないわけじゃないですか。手放せない背景をもってるとやっぱ溜まってくると。便秘もそうだけど。
長沼:
そうですね。
ワダ:
便秘してる人や宿便が溜まってる人ってのは、何か別のことで、人生における手放せないものがあるということが、象徴学的には見えるんですけど。
長沼:
そこまでちゃんと理解できてれば、便秘になってもいいと思うんですよね。逆に自分自身に目を向けるきっかけになるんですよね。簡単にいうとストレスなんです。何かストレス抱えてて、一番最初に感じるのが腸なので、それがお通じの状態につながったり、お腹の硬さや痛みにつながったりする。でも、そういう見方をしないで、便秘だからとにかく出したいと、すっきりしたいと。それだと、まずはサプリメントや下剤という話になって、それでは全然根本が変わらないんですよ。逆の言い方をすれば、根本につなげる手段や意識があれば、自分の体調っていうのは自己を知る手がかりになるんです。
ワダ:
ストレスのある仕事だったら、少し仕事を休んでリラックスできるところでゆっくりする。そうすると、当然すぐに体調が治ったりするわけじゃないですか。
長沼:
そうですね、それが一番理想なんですけど、僕の感覚では、日常の中でのちょっとしたことが大事なんだと思います。ほんの一言、苦手な人に声をかけるとか、余計な心配をやめるとか、端から見るとほんのちょっとしたことですね。でも、そういうことがすべて体に影響している、腸は繊細ですから、すごくダメージを受けている。
たとえば、ハワイに行けばね、体調も楽になるし、気持ちもハッピーになるじゃないですか。そういう体験は、食事とかちょっと超えちゃうとこもあるんですよ。でも、そういう場所に行かなきゃダメなのかっていうと、それじゃあみんな天国に行かなきゃダメだって話になっちゃうので、まずは目の前の日常ですよね。自分自身の内面に目を向けたがっていない状況を変える、そこに食べ物が入ってくると役立つって感じですかね。
ワダ:
なるほどね。例えばさっきの話でいうと、 物理的に、強制的に腸をキレイにする。例えば、コロニクスとかコーヒー浣腸とかね。
長沼:
物理的にすっきりしますから、そうした手段が感情に影響を与えるのもあると思いますね。やっぱ溜まってたり、下痢みたいにストレス性でお腹痛かったりすれば、精神的にも当然めいりますからね。だから、そこは医学的に体の負担ない形で整える必要もあります。
ワダ:
やはり強制的に排泄させることによって、そこで楽になるからっていうのもあるし、象徴的にはそれがないから、一時的かもしれないけど、それがずっと継続的にない状態になれば、そっちの物理的なところから、心のクリアリングっていうふうになるのかどうかっていうのが、僕はなるんだろうって思ってるんですけど。どっちが先かみたいなね。
長沼:
食べ物を入り口にして変わってくっていう方法もとても有効で、そういう腸のクリーニングはもちろん、食べ物の量を減らすとかね。ファスティングも含めて、要は腸をキレイにする。いま断食くらいならやってる人も増えてきていますが、その延長で、とにかく便の状態を変えるってとこですかね。それが自分を変える一歩にもなるんでね。
ワダ:
確かに。完全に汚れがない状態ってのは、ほぼムリなので。
長沼:
完璧っていうか、すごくキレイなものを求めてるわけじゃなくて、生命現象なんでね、常に変化してて、いいときもあれば悪いときもあるんですよ。いいときの状況を知るってことですかね。
ワダ:
結局、その状態に近づけるってことなんですね。
長沼:
そうですね。別に悪くてもいいって感じですかね、僕としては。いいものと悪いもの、両方知らないと、おいしいものも食べて、まずいものも食べないと、おいしいものの価値もわからない。でも、体質改善をしっかりやろうと人は、まずいいものを知らないといけないから、集中的にそれをやって自分の体を変えることを考えるべきでしょう。で、それがうまく行ってくると、今度はそれに縛られる段階が出てきて、もうこれを食べないと生きてけないぐらいになっちゃう人もいるんですよ。玄米食から一生離れなれないような人とか。そういう人は、多分、玄米以外の何か食べたときに、すごくネガティブなイメージを持っちゃう。
ワダ:
ベジタリアンの人でビーガンの方なんか完全菜食、中には肉を食べるのは悪いことだ的な人もいるからね。
長沼:
そうです。その意識はどうしても持っちゃうんですよね。勉強するっていうか、いろいろ知識を得ていくと、やっぱり頭のほうが働きやすくなるんで。だから、そこで注意して、逆に病気や体調不良になってもいいから肉も食べてみるとかね。
ワダ:
僕は肉も魚も食べるんですけど、基本的に野菜中心になってしまって。でも、やはり最近はお肉はかなり減っていますね・・・
長沼:
食べるんだったら、質のいいものって感じですね。

現代人は腸に大きな負担をかけている

ワダ:
セロトニンの9割以上は腸で生産されてるっていうのは、すごい驚きだったんです。セロトニンって睡眠をつかさどるので、腸の調子が悪いと、結局セロトニンが作られないから、眠れないっていうのは、腸が元気じゃないってことですね。
長沼:
そういうことです。
ワダ:
アルコールってのは、主に腸から吸収するんですよね。
長沼:
はい。
ワダ:
当然、そこで、腸の壁を痛めたりする。
長沼:
そうですね、壁を傷めるのは、一緒に食べてるものとも関係もあるので、一概にアルコールが悪いとは言えませんけどね。アルコールの場合、もう一つは血糖の問題ですね。お酒の種類にもよりますけど、 蒸留酒以外は基本的に糖が主成分なんですよ。要は血糖値があがるんですね。
アルコールの働きとの相乗作用で一時的にハイになって、その後、落ちるんです。体温も上がって下がりますよね。だから、体にとっては負担がかかる。大体、食べ過ぎになってるから、トータルでやっぱり腸はがんばらなきゃいけない状況になっちゃいますよね。
ワダ:
飲みに行ったら、一番食べてるのは8時から9時くらいか、それから飲んだりしながら、結局11時くらいまでやってるでしょ?
そうすると、胃の中にずっとあって、それが降りていって、腸で消化はじめるのが、夜中の2時頃とかになってるんでしょうね。
長沼:
そうですね。体は敏感だから、逆に目が覚めたりとか。だから、アルコールは肝臓だけでなく腸にも負担をかけてますね。ただまあ、問題は、食べたり飲んだりすることと感情の起伏が関係しているっていう感覚が欠けていることでしょう。
腸が安定してる人で、うつ病の人っていないと思うんですね。そういう視点で調査とかしてないからエビデンスはないでしょうけど、アロマをやっている人とか、臨床をやってるお医者さんの話を総合すると、因果関係は間違いなくあると思いますね。
ワダ:
そういうエビデンスという意味ではね、サイエンスライターとしてできる限り、科学的に認められている、どこにでもあるものを束ねてみて、精査して、そこから書かれてますよね・・・
長沼:
直観とつながることの重要性というのは、いろんな人が言ってると思うんですけど、それをもうちょっと生理学的にちゃんと理解して、自分なりにアプローチした方が、勘違い、取り違えがなくなるんじゃないかなって思いますね。もうちょっと自分の中で、確信を持てるようになるんじゃないかなって気がします。
ワダ:
「いま根っこの自分に還るとき」って最後のほうにありますけど、ほんとに今の話で、腸が根っこで、チューブ状態からはじまったという意味でもそうだし、意思をつかさどるのは・・・
長沼:
腸です。
ワダ:
そういう意味で、腸について、改めてすごく考えさせられたし、ちょっとこれからもっともっと腸を意識して・・・
長沼:
お腹の力を意識するというか、お腹に目を向けるって感じですかね。内側に目を向けるっていうのを、お腹という感じで意識した方がいいでしょうね。内側に目を向けると言っても、どうしても頭のほうにいっちゃうので・・・
ワダ:
だから腹式呼吸とかどんどんやって、それが腸の活性になるでしょ?
長沼:
はい、呼吸はすごく大事だと思います。
ワダ:
腸と言えば、おならについて聞きたいんですが、僕はよくおならが出る方なんです、きっと。ガス化しやすい。腸に問題があるのかなと思ったこともあるんだけど・・・笑
逆に活性化してるのか・・・
長沼:
食べてる内容によると思うんですけどね。おならは臭くなければいいと思います・・・笑
ワダ:
あまり意識的に匂わないようにしてますけど・・・笑
臭くないと思いますよ、自分で言うのは説得力に欠けますが・・・笑
下痢してるときってきついじゃないですか。。。なんの話や・・・笑
長沼:
とにかく便の臭いが変わってくるんですよ。食べ物もそうだし、ストレスのケアがうまくできてくるようになると、便のにおいがなくなってくるので、そこが体質が変わった目安になりますよね。まあ、臭いがあるっていうのは、何か抱えてるんですよ、問題を・・・笑
ワダ:
何か臭うぞと・・・
長沼:
いろんな臭いがあると思うんですけどね。
ワダ:
発酵の状態の問題がおこるからかな?
長沼:
いわゆる腐敗ですね。発酵と腐敗があって、発酵はいいんですよ。いい方向に進むので。腐敗っていうのは、生き方が腐敗してる可能性があるから(笑)、日常とか人間関係、仕事とか、何か原因を自分で見つけた方がいいかもしれない。
人生のなかにアンバランスがあって、食べ物を変えることで回復される場合もあるんですが、根本的には意識が変わらないとダメなんですね。だから、栄養が足りなければサプリメントを取ればいいってもんではないんですね。わかった上で取ればいいと思うんですが・・・
ワダ:
国際線乗るとね、長丁場だし、気圧も下がって、運動もできないから、たぶんガス化しやすいのかな。。。すごくガスが溜まる。だから、密かにね、飛行機はシートの構造的に厚みがあって、座ったままブッてやる。機内って結構エンジン音とか風切り音とか騒音がある。そうすると音がちょうどかき消されるんですよ。ほとんど聴こえない。
長沼:
ああ、はい(笑)おもしろい・・・
ワダ:
機内では多くの人が、人知れずおならしてるはずなんですよ。
長沼:
はい・・・笑 アンケートしてみたいね。。。笑
ワダ:
腸とその辺の関係、おならと腸の関係の本は売れると思うので、期待しています・・・笑
長沼:
はい、わかりました、いろいろ書けると思います・・・笑

photo

ミトコンドリアの時代

ワダ:
今後はどんな展開をされる予定ですか?
長沼:
細胞ぐらいのとこまでは大体見えてきたし、あとはミトコンドリアですかね・・・
ワダ:
ミトコンドリア・・・
長沼:
うん、その先がもう素粒子っていうか、いわゆる波動の世界なんです。細胞をつくってる元素のもっと奥だから、思いとか意識の世界とつながっている可能性もありますね。今後はそっちの方にも軸足を置いて、科学的な視点でどこまでやれるかなと思って。
ワダ:
ミトコンドリアって細胞の中にある、寄生生物なんでしょうか?
長沼:
そうですね、もともと細菌だったんですね。それが細胞内に入って器官になった。エネルギーをつくってくれる工場みたいな役割なんですが、何億年もかけてそういういう風に同化しちゃったって感じですかね。
一つの細胞の中にこうしたミトコンドリアが数百から数千単位で存在していて、食べ物から得た栄養素と呼吸から得た酸素を材料にして、活動するためのエネルギーを作っている。ミトコンドリアが寄生する前の単細胞生物は、栄養素を取り込むだけだからあまり大量のエネルギーが生み出せなかった。だからひたすら分裂していたんです。生も死もない、時間もない、我々から見たら何もない世界で延々と・・・
生命が進化して、ここまで複雑化していったのは、ミトコンドリアが細胞に宿って有害だった酸素の処理を引き受けるようになったからなんですね。毒を処理してエネルギーに代えるわけですから、原発なんかよりもはるかに高度なシステムですよ。笑
ただ、もともと毒だったわけだから、エネルギー製造の過程でどうしても廃棄物のようなものが出る、それが活性酸素なんですね。
酸素はエネルギー源になる、だから呼吸はとても大事なんですが、同時に酸化もうながす。人にとっては老化する、そしてやがて死が訪れると言うことですね。生と死が循環する輪廻の世界はスピリチュアルの領域ですが、生物的にはミトコンドリアによってもたらされたとも言えるでしょうね。細胞分裂するだけの生き物には死がありませんから。
ワダ:
ミトコンドリアは卵子と精子の段階からすでにその中に入ってる?
長沼:
ええ。
ワダ:
一体化してる・・・
長沼:
そうですね、ミトコンドリアの数は体の器官によって異なっているんですが、卵子のなかには10万個くらい存在してるんですね。これに対して、精子は数百個程度。要は、卵子に到達するまでのエネルギーしか与えられてないという感じですね。男のほうは、基本的にかわいそうなんです、存在として。笑
ワダ:
へ〜精子は本当に全精力を注いで泳いで行くんですね〜。。。笑
長沼:
そういうことです・・・笑
それで、興味深いことにミトコンドリアは細胞の一器官なのに独自にDNAを持っていて、勝手に増殖しているんですが、母性遺伝といって遺伝情報は母方のものしか伝わらない。ここでも、男の要素は排除される。その意味では、ミトコンドリアって女性的な器官なんですね。
ワダ:
興味深いな〜。。。やはり、女性の時代、女性性のスイッチが入る時代。だからミトコンドリアって気がしてきました。
長沼:
実際、細胞内でミトコンドリアがしっかり働いている状態というのは、栄養素と酸素がしっかり補給され、とても安定しているので、体調だけでなく気持ちのほうも穏やかになる。男性性よりも女性性のほうが増してくる。男の場合でも無駄な力が抜けて、性格が丸くなる。先ほどお話しした「柔よく剛を制する」の世界ですよね、ミトコンドリアの世界って。
ワダ:
これからは、ミトコンドリアをもっと活性させないといけない。これからの時代の鍵があるような感じがしますね・・・
長沼:
ミトコンドリアはもともと細菌だったわけですが、僕たちの体の中にはこのほかにも常在菌といって、ウイルスも含めていろいろな微生物が棲んでいます。内部に無数の他者が同居していて、宿主であるヒトの生き方を操っているところがあるんですね。
だから、外にインフルエンザウィルスがいて、それに感染して風邪になるわけじゃなくて、はじめからインフルエンザウィルスがいるかもしれないんですよ、体内に。なんかの理由で、それがぽっと発病につながるという・・・その人の生き方、いろんなタイミングで。うん、だから、僕たちは共存してるんですよね、すべての生き物と・・・
ワダ:
そこ、大事なとこですね。
長沼:
それが全部に影響している。
ワダ:
僕も何年か前に、腰のヘルペスが出て大変だった。水疱瘡した人は、ウィルスが脊椎にもう入ってて、体調が悪くなったり、何かのきっかけで活性する。。。
長沼:
ウイルスが常在していることを「キャリア」っていうんですけど、みんな大体何かのキャリアなんですよ。でも、それは完全に排除できるようなものではなく、その人の生き方の中に発病するかしないかのヒントがあるという。
ワダ:
だから、どっかに傾いたときに、それはメッセージだったりするわけですよね。
長沼:
そういうことですね。目に見えないものがその人の生き方に関与しているっていうのは、生物学的に見れば当然のことなので。。。
ワダ:
体の声を聞けと・・・
長沼:
そうすると 菌もウィルスも協力してくれるんですよ。別に悪意がないですからね。
ワダ:
菌所づきあいしましょうっていう・・・笑
長沼:
そう、菌所づきあいするのが一番。共存してね、エコロジーは体から始まるっていうとこでいいんじゃないですか・・・笑
ワダ:
今日は楽しい話をいろいろありがとうございました〜!
ミトコンドリアに迫る。。。楽しみです!
長沼:
いえいえ、こちらも楽しかったです! どうもありがとうございました。
* 制作協力 : 網まどか
facebookコメント ご感想などご入力ください。
【取材後記】

長沼さん、とっても面白い。。。何だろう、愛すべきキャラなんていうと怒られるかな。。。笑 何だか人なつっこくて、ちょっと地味な感じなんだけど、身体とつながる世界についてとても深くて。。。何だか植物学者とか、動物学者、はたまた、地質学の先生のようなオーラを感じるんだけど、身体について研究する長沼さんは、ある意味でそんな研究者と同じなのかもしれない。

長沼さんは、腸や内臓だけでなく、実は、スピリチュアルなことについてもいろいろと研究していて、身体と深く関わるスピリチュアリティについて、今後もっと深めていきたいという。ここは、僕もすごく共感するところだ。僕も、これからの時代は、本当に身体が大事だと思ってる。

身体と感情がつながっているのはよく理解していた。いやつもりだったかもしれない。腸が僕たち人間にとって、ん〜、生命にとってかな。。。すごく重要な臓器だって意識はなかった。やっぱり臓器でもっとも重要なのは、心臓で、次に、脳。脳って臓器かな?その次に、肺。そして、胃と来て肝臓。。。その他みたいな感じがしていたんだけど、これは僕の個人的な感覚ね。

何よりも驚いたのは、生命は腸から始まっていたということ。。。そうなのだ。。。エネルギーの元となるものを取り入れなければ、エネルギーはつくり出せない。それを効率よく取り込むためにチューブ状になったものから進化して、人間にまでなった。。。僕たちは、腸から進化したのだ。。。だから、腸は超古いわけだね。。。なんてね、、、笑 でも、だからこそ、生命体としても意識が腸にやどっている。つまり、もっとも古くからの生命体の記憶が腸にあるわけだから、腸は身体の中では、いわば長老とも言えるわけだね。だから、身体のことは長老である腸に聞け。。。腸老だ!そういう意味でも、お年寄りを大切に。。。これからは、頭=思考で考えるのではなくて、ハラ=腸に聞こう。老賢人はいつもハラで見守ってくれているのだ。。。

長沼敬憲 プロフィール

サイエンスライター

1969年、山梨県生まれ。サイエンス・エディター&ライター。20代の頃より身体論、生命論に興味を持ち、身体感覚としてのハラの重要性に着目。30代で医療・健康・食・生命科学の分野の取材を開始したことを契機に、新谷弘実氏、安保徹氏、森下敬一氏、光岡知足氏、村上和雄氏、栗本慎一郎氏をはじめ同分野の第一人者の多くの知遇を得る。また、5年前よりエネルギー波動の臨床的研究を行う種本丈司氏の指導を受け、食と生命、身体(肉体・感情・意識)との関わりについて理解を深めている。2011年8月、「生命科学情報室」を開設、公式ホームページをオープン。同年12月、『腸脳力〜心と身体を変える【底力】は【腸】にある』(BABジャパン)を刊行。村崎那男の筆名で「サムライ」(幻冬舎)「脳を超えてハラで生きる」(地湧社)の著書も出している。「月刊秘伝」誌にて「腸能力を磨け!」「秘伝・生命栄養学」「現代兵糧食のススメ」を連載。

ページトップへ戻る