【はじめに】
和田:  今回は、伊豆の下田に来ています。いま、龍馬伝が人気で、龍馬ブームですが、ここ下田は、黒船がやってきて、幕末に開国となり、新しい時代の幕開けの始まりとなった場所でもあります。龍馬も黒船を見にこの下田へやってきたエピソードが残っていますが、この開国の地、下田で、今回は素晴らしいゲストにお越しいただきました。
 今回のゲストは、中野裕弓さんです。
こんにちは!よろしくお願いします。
中野:  こんにちは。
こちらこそ、よろしくお願いします。
和田:  今回は、開国の地ということで、僕は、この下田に特別の思いがあるんです。やっぱり、あの幕末が今日の世界を創ったきっかけとなっているし、今という時代に、本当の自分を生きる。本当の自分を開いていくということで、自分の鎖国を解くと言いますか、そういう新しい時代、新しい自分を開くというエネルギーが響く場所なのではないかと思っているんですね。
 そういう意味で、今日、ロミさんこと中野裕弓さんにここでインタビューできるというのは、とても意味深いなと思っています。
中野:  ありがとうございます!そう言っていただけると嬉しいです。
世界が違って見えるようになる「100人の村」
和田:  中野裕弓さんをご存知の方が多いと思いますが、あらためてご紹介したいと思います。実は、中野裕弓さんには、僕はいつもお世話になっていて、お友達でもあるので、いつものように気軽にロミさんでいかせてくださいね・・・笑
 さて、中野裕弓さんは、本もたくさん出されていますが、「世界がもし100人の村だったら」というのをご存じの方も多いと思います。実は、ロミさんは、この「世界がもし100人の村だったら」を最初に日本に紹介された方なんですね。
中野:  はい。もう10年近く昔になりますけど、ひとつのブームを作ったメッセージとなりました。
和田:  当時、世界の人口が60億ぐらいでしたが、地球がもし100人の村と考えて、比率として世界の縮図みたいなものを考えてみたものですね。
中野:  そう。すごいアイデアだと思いませんか。
和田:  そうですよね。
中野:  60数億人と言われたら天文学的な数字で、全く私はイメージできないんですけど、私のところに届いたそのメッセージは、なんと100人の村に縮小されていたんですよ。
 100人の村って言うとちょっとしたスペースに100人入っちゃう。そこに、その当時の統計比率を全部盛り込んで縮小したら、手のひらに乗るくらいの地球儀になっちゃったという、そういう発想ですね。
 ここにそれがあるので、ちょっと読んでみますね。  
 
 「100人の村」
 
 その村には57人のアジア人、21人のヨーロッパ人、14人の南北アメリカ人、8人のアフリカ人がいます。
 52人が女性で48人が男性、70人が有色人種で30人が白人。
 
こんな感じで、ずーっと続いていって、興味深いのは、6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ合衆国籍を持っているという、そんなくだりもあるんです。
和田:  すごいですね。世界の富59%がたった6人の人のもの・・・
(実際の人口比にすると、世界人口約68億9千万人に対して、約3億6千900万の人くらいの人たちが、世界の冨の半分以上を持っているということになります。)
中野:  100人だとすると、たった6人が半分以上の富を分けて、残りの人たちはその残った分を94人で分けてるって!これが、今までの世の中の縮図なんですね。
 ちょっと考えると、勝ち組負け組ができたり、得した国民とそうじゃない国民とかが出てきちゃうというような、そんなイメージが膨らむメッセージでした。
和田:  そうですね。他にもいろんな統計がありますね。
 もし100人だったら、コンピュータは、たった一人しか持っていないという。
中野:  大学の教育も100人のうち一人だけとかね。
そんな数字が並んでいる世界の状況を世の中に伝えたのが、この村のメッセージなんですね。
和田:  これを知ると知らないのでは、世界観が全く変わってしまうと思うんですけど。
ロミさんがこれを伝えられて、いろんな反応が返ってきたと思うんですけど。
中野:  そうですね。 あれは2001年の3月7日でした。私は、世界銀行の勤務を終えて日本に帰って、数年経ったころでした。本を書いたり講演活動をしたりして、新しい世界観を伝えている最中に、まさに引き寄せの法則のごとく、朝、コンピュータを立ち上げたらこのメッセージが入ってきたんですよ。
 そのメールの表題が面白くて「もしも、今日がツイていないなと感じたあなたも、このメッセージを読んだら世界が違って見えるかも」ってありました。
 私はそれをパッと見て「ワー」って思いました。すぐに訳そうと、なんと全文を訳すのに20分、何かに取りつかれたようにすごい勢いで訳しました。その時はどんな感じだったのかと、その後のマスコミのインタビューも受けた時に聞かれましたが、まさに、地球儀が手のひらにのった感じ、世界を身近に感じたんですね。そして、皆さんにお伝えしたところいろいろな反響がありました。実は、その反響に関して私にはとても嬉しい体験があるんです。

和田:  なんですか?
中野:  はい。 これは、ある映画の試写会、「マザーテレサ」という映画でしたけど、その時に、マザーテレサを演じた女優のオリビア・ハッセーさんが日本にみえて、急遽ロイヤルプレミアということで、皇后陛下をお招きして上映会することになりました。そこで私は全体をナビゲートする役をすることになりました。以前「ロミオとジュリエット」であこがれていたオリビア・ハッセーさんとも楽しく話ができて嬉しかったのですが、なんと会の終わりに別室で出演者たちが、皇后陛下とお会いする機会をいただいたのです。その時、わたしは皇后陛下から直接に「100人の村、とてもいいメッセージを訳してくださいました。あのメッセージを読むと世界がとても近く感じますね」とって言っていただいて大感激でした。まさに私が感じたそういう感想でした。
和田:  美智子妃殿下ですよね。
どこで読まれたんでしょうね?
中野:  はい。 多分イベントの前に、出演者全員の資料を宮内省にお届けしていると思うので、そこで読んで下さったのか、あるいは、誰かが先に差し上げて下さったのかなと思います。とても嬉しく光栄な思い出です。
 私は、これを訳す時に「どういうことが伝えたかったんですか」と聞かれるんですが、実は、私自身こういう風に思ってもらいたいというものがなかったんですよ。私が驚いて衝撃を受けたメッセージをそのまま脚色せずに「皆さんにお届けしたい」という思いで、原文をできるだけそのまま訳しました。
 その後、マガジンハウス社から池田香代子さんという翻訳者の方が、その時の統計比率で新しい数字に直して出版されたものが大ベストセラーになりましたね。あのご本をお持ちの方は是非あとがきを読んで下さると、私の原本の訳がそのまま紹介されています。
 これをどう解釈するかは読んだ人によるなーと思ったんです。でも中には「これは、お金持ちの国民が、自分たちがいかに恵まれているかということをただ誇らしげに言った文章じゃないですか?」っておっしゃった方もいました。
和田:  ビックリですね。
中野:  本当にお一人でしたけど・・・それから最初の頃に、このメッセージを教えている小学校の低学年の子供に読み聞かせをした先生がいました。これを聞いた子供が「先生、日本って貧乏な国じゃなかったんですか?」って、手を挙げて聞いたっていうんですよ。それで先生が「どうして?」って尋ねると「僕は周りの大人はみんなお金がないとか、仕事が無くなったとか大変だというのを聞いてて、僕はすごい貧乏な国に生まれたんだと思っていました」ってすごく正直な感想。あ〜、その子には日本はそう見えていたんだ、と驚きました。 このメッセージはこういう風にいろんな人のいろんな思いを飲みこんで拡がっていったのだと思いますね。
和田:  100人の村のメッセージに対して、どういうリアクションというかあったのかというのをほとんど聞いたことがなくて、興味深いです。
中野:  そうですよね。本を出した方が別の方だったので、多分否定的なフィードバックもあったと推測しますが、私のところには来ませんでしたね。
和田:  そういう役回りだったんでしょうね。
中野:  ですね。私はお伝えする役割でしょうか。
 これは、後でわかったのですが、前半後半でお話が分かれています。前半の部分というのはドネラ・メドウスさんという環境学者が「ある村のレポート」という形で数字で世界を表し、その時は1000人の村だったのがインターネット内でぐるぐる回っているうちに、誰かが単位を100人に変えてしまったんです。
和田:  へ〜・・・
中野:  誰だかわからないんですけれどね。
そして後半の部分、例えば「あなたが拷問を受けたとこがないなら・・・とか、家の中に冷蔵庫があって小銭があるなら世界の中で上位8%の豊かな人に入っちゃいますよ」というようなくだりがあるんですが、これは調べたところによりますと、アメリカのあるキリスト教の教会のホームページにたどり着いたそうです。だから名も無き人たちが、自分たちの気持ちを織り込んでどんどん別のものになって広がっていったと言う感じですよね。
 その時、私はドネラ・メドウスさんに興味を持ったんです。それで調べたら、なんと59歳11カ月でお亡くなりになった直後に、私のところにこのメッセージが届いてる。・・・それで、私はそういう時に、妙に日本人なので・・・笑 彼女の四十九日を前に、私のところに世界銀行の元同僚の手を経て送られてきたと知りました。なんか運命的なものを感じません?
和田:  そうですね・・・笑
中野:  だから、私はバトンを引き継いだと思っています。ドネラ・メドウスさんは環境学者ですから、産業廃棄物のことやCO2のことも含めて、いろんなことを懸念してレポートをお書きになったのが、いろんな人の気持ちを経て、私のところに来た時、私が思ったのは、これは「希望のメッセージ」として人に伝えたいと強く思いました。
 これを数字の事実だけ伝えるなら、希望というエネルギーが入っていなかったら、これを読んだ日本の人ってどうリアクション取ると思います?
和田:  どうでしょうね?
中野:  真剣に悩み過ぎて、恵まれていることを素直に喜べず、良くないこと、自重すべきだと思っちゃうと思うんですよ。
和田:  否定的に見ちゃう
中野:  はい。
もしかして、これを読んだお母さんが、子どもに好き嫌いがあってピーマンを残した時に「あなた、食べられない子どもたちが世界にはたくさんいるのに、残さないで食べなきゃ駄目よ」っていう様な事になったり、お金を楽しく使おうと思っている人が「もっと貧しい人を考えたら、私はのんきにお金なんか使ってられない」って思ったりしたら、何かみんなちっちゃくなっちゃうでしょ!
和田:  うん。
中野:  だから、私はある部分だけ、すごく意訳して訳したんですよ。
和田:  そうなんですか。
確かに、そういう罪悪感を抱くというのは、日本人感覚でありますよね。
中野:  はい。良き人間で生きたいという日本人の真面目さ、勤勉さからいくと、自分たちが恵まれているってことに喜べない。それで、深刻になっちゃう性格があると思うんですよ。私はそれを「このメッセージが、みんなのお財布の紐をしめたり、あるいは、喜ぶ人のエネルギーを抑えてしまったらもったいない」と思ったので、あえて意訳したんですね。
 実は、そのことを踏まえて新しく本を書き終わったところで、昨日原稿を仕上げてきたところなんですけど・・・(すでに、出版されました 100人の村と考える種 ビジネス社刊)
和田:  そうなんですか。
中野:  100人の村の10年後の新しい世界観を書いたのですが、まだ記憶がフレッシュだからお話しますと、こういう数字の羅列の最後に取ってつけたようなメッセージが付いているんです。それは、この五行の詩なんです。

お金に執着しないで喜んで働きましょう。
かつて一度も傷ついたことがないがの如く人を愛しましょう。
誰も見ていないかの如く自由に踊りましょう。
誰も聞いていなかの如くのびやかに歌いましょう。
そして、あたかもここが地上の天国であるかの様に生きていきましょう。

これね、その前の文章とミスマッチなんですよ。なんてのんきな!
実は本来のキリスト教のホームページ上では、ここは全部「しなさい」という命令形で書かれていたんです。「こう生きなさい」っていう指針が書いてあったんですが、私はこれだとちょっと重いと思って、勝手にそこだけ意訳させていただきました。全部「レッツ」という「〜しましょう」というお誘いの文に変えたんです。
和田:  なるほど。
中野:  これが不思議なんですけど、これだけの事実を読んだ最後に、〜しなさいと生き方を命令されるとちょっと重いですが、〜しましょうってお誘いされると怖くないでしょう。「こんな生き方もあるんだ」って。
和田:  うん。
中野:  私がこれを訳した3月から、その年のちょうど半年後、9月11日に何があったかというと9・11の同時多発テロです。
 それまでにこのメッセージは、私の手から離れて、ネットや講演会を通して広がっていたので「もうこれでみんなに伝え終わったからいいかなー」と思った時、テロが起きて、その時に反響がすごく大きかったです。
 「心が絶望感に取り込まれたとき、このメッセージで助けられました」と。 それで一気に日本中に広まっていった感じです。私はこの五行の詩が、路頭に迷って、これから世の中どうなるんだろうと思った人に「こういう生き方いいね」って、希望をくれたんじゃないかって思ったんですよ。
和田:  10年前にその部分を意訳されてたんですよね。
中野:  はい。だけどマガジンハウス社の本の中では、割愛されていましたね。
 だから、知らない人は多いと思います。 たぶん私は、このメッセージの素晴らしい部分は、お誘いを受けた人たちが「そうだ、こんなに殺伐とした世の中でも、こういう生き方もあるんだ」っていうその希望のエネルギーが、読者の心を動かしたんじゃないかなって思っているんです。

多様性は大切。違いではなく、共通項を大切にする。
中野:  前半の最初の数字で表された状況を見たら「うわぁ!こんな世界が」、それで後半は「自重しなきゃ」って思う人もいるでしょうね。
和田:  あとは怒りもありますよね。例えば、先ほどの世界の富の半部がって言うのを聞いても、何とかならないのかと思ったりとか
中野:  あります、あります。
「何とかしなきゃ」って言う人もいるかもしれない。
和田:  ちょっと興味深かったのが、89人が異性愛者で、11人が同性愛者ってことで、10人に一人くらいは、同性愛者だっていうのは、すごく多く感じたんです。
中野:  そうですね。これは、最初に訳して、皆さんにコピーを回した時に、反応する方が多かったですよ、日本では・・・
中野:  10年前は、まだまだこういう新しい動きができていなかったですから、今はもういろんな考え方で生きている人たちが、堂々とカミングアウトしてますけど、当時はビックリされましたね。
 でも、世界では、こういう人たちがたくさん集まっているオープンなところ、結婚もできるところがあるっていうことを知るだけでも「へー、いろんな所があるんだな」って思いますよね。
和田:  そうですね・・・50人が栄養失調に苦しんでいるとか、80人が標準以下の居住環境であるとか、70人が文字が読めないとか、世界の状態が具体的にわかりますね。
中野:  私たちって、自分が生まれて住んでいるこの環境で、全ての物差しを作っちゃいますよね。
和田:  そうですよね。
中野:  私は、今まで13年間外国で住んだ経験があるんですが、最初に、18歳の終わりにイギリスに行って、イギリスは結構長くて9年間住んでいました。その間、学生だったり働いたりもしました。近々は、ワシントンDCにある世界銀行で4年働きましたが、世界に出ると驚くことがいっぱいありました。
 まず最初に驚いたのは、イギリスの語学学校に行って世界地図を見た時。日本で見慣れた地図とは違っているので結構ショックでしたね。
和田:  そうですね。欧米は大西洋を挟んでヨーロッパとアメリカ、アフリカが中心ですよね。
中野:  ええ、日本は日出る国ですから一番右端にあるんですよ。日本で見る教科書の地図では必ず真中にあったので「うわぁ!日本がない」って驚いちゃいました。南半球のオーストラリアの地図ではアップサイドダウンですよね。今度は日本が逆立ちしている感じなんです。それを見るだけでも驚きますよね。
中野:  私は1993年から世界銀行で人事マネージャー、後にカウンセラーとして働きましたが、そこでは137カ国の人たちと一緒に働くんですよ。
和田:  世界銀行は、国際機関ですね。
中野:  世界の中から貧困を無くす金融の国際機関です。
和田:  当時、世界の中で加盟している国でスタッフを送っているのが137カ国。世界銀行というひとつの屋根の下に、さまざまな国籍の職員が同僚として働いている。
和田:  すごいことですよね。
中野:  私は日本とイギリスを知っていましたし、その他の英語圏もある程度知っていましたけど、それ以外は初めて接する人たちもたくさん。宗教で言えば、キリスト教圏、イスラム教圏、仏教圏とか全く異なる宗教観を持つ人たちが、チームを組んでひとつの仕事をするんですよね。それはまるでオリンピック村で仕事をしているみたいでしたね。
和田:  やはりイスラム系の人は、時間が来たらいきなりお祈りをするんですか?
中野:  はい。でもいつもじゃないですよ。ラマダンという時期がありますよね。ラマダンはお日さまが上がっている時はイスラム系の人たちは飲みも食べもしない。
世界銀行の中には地下に瞑想室があるんですが、二つ部屋があって、みんな好きな時に行ってヨガをやったり、瞑想したり、座禅を組んでもいいんですね。だけどラマダンのように特別な時は、一つは、イスラム教の人たち専用になります。そこで、一日に何度もメッカの方向に向かって祈るとかやってらっしゃいましたね〜。
和田:  やっぱりそうですね。
中野:  私はある時、皆さん忙しいからランチタイムに会議しようと思って、秘書さんに「このメンバーを集めてください」と頼みました。 茶色い紙袋に入ったお弁当やランチ持参で集まって、ミーティングする“ブラウン バッグ ランチ”です。そうしたら秘書さんが「今ラマダンなので、この人とこの人がメンバーに入っているのはちょっとまずいですよ」と。「そっかー、じゃあブラウンバックじゃなくて食事時間を終えてからミーティングだけしましょう」とかそういうことがありましたね。
和田:  日本人どうしでも、人間関係では、「あの人にこう言われた」とか、自分のちょっと不快な気持があったりすると、当然、自分の感情が高まったりしますよね。日本人という文化的な価値観はある程度共有しているはずなんですけど、そういうところに行くと137カ国の人がいて、全部違う価値観をもっていますね。
中野:  違いますね。私が人事カウンセラーをやっていた時は、私のクライアント1500人の個人データが私のコンピュータに全部入っていてロックされているんですけど、カウンセリングの予約が入った時にそのデータを取り出します。 ある時、調べてみたら1500人のクライアントの国籍は90カ国でした。クライアントのデータを見ながら「この国はどこにあったけ?」なんてあわてて世界地図で探すこともありましたね。
和田:  うーん、全く文化圏が違いますね。
中野:  違うでしょー。そうすると、私の感覚でその人に接して握手を求めてもいいのか、あるいはハグするのがフレンドリーの象徴なのかわかりませんよね。
和田:  そうですね。ロシアの人だったら、顔を近づけてということも・・・
中野:  あります、あります。世界銀行に働き始めたとき、受けなければいけないトレーニングがいくつかあって、その中にダイバーシティ・トレーニングというのがあるんです。
 ダイバーシティ=多様性のトレーニングの中でビデオを見ながら「世界にはこんなにいろんな人がいます、信じているものも、考え方の基盤も違います。だからお互いを理解しましょうね。それで仕事をしましょうね」という内容です。
 私はそれを見て、混乱したんですよ。だって90カ国の人たちの特徴を勉強するほど文化人類学者じゃないですもん。違いを見て考えていたらすごく悩んでどうしようと思ったんですね。
和田:  ええ。
中野:  だから、違いを理解することをあきらめて、私は反対に共通項を見て人と付き合うことにしようと思ったのです。私の世界観はそこにあるんです。
 日本人だって同じ国民であってもそれぞれ地方によって違いますよね。私の好きなテレビの番組にケンミンSHOWというのがあるんですが、その県によって全然違って、その県を出たことがなければこれを常識と思っている。でも出てみると違う。違いを知ることは面白いけど、違いを知って、どうやって相手に対応しようかとピリピリするよりは、共通項は何かということを見る。取りあえずは日本人とか、あるいは地球人っていうように。世界中の人の究極の共通項は何だかわかります?
和田:  ん〜・・・なんだろう・・・
中野:  世界中の何十億という人の共通項は、
和田:  呼吸をすること・・・汗 そういうことじゃないですね・・・笑
中野:  いいですね。生理的欲求があるということは、多分人間だからほとんど似ていますよね。だけどもう一つ時間的なことがあって、限りのある命を生きているということは共通なんですよ。
和田:  なるほど。
中野:  時期が来ると皆死ぬんですね。それはここで言うところの、白人であろうが黒人であろうが、宗教を信じていようが信じていまいが、生まれた時に地雷が埋まっている国に生まれようがなかろうが、つまり生まれた以上、全員が死ぬっていうことですよね。だから、死ぬまでにどう生きるかということが重要だと自分の考えがどんどんシフトしてきています。
和田:  なるほどぉ〜。例えば、僕は幕末にすごく興味があって、中学三年生の時に見た大河ドラマで、明治維新の最中に翻弄する二人のサムライの物語なんですけど。
 当時の交通機関って馬くらいしかないから、基本歩くしかなくて、地方文化の違いというのが、ものすごく差がありますよね。
 例えば、全く違う文化の人たちが集まって、明治政府というものを打ち立てて、これからの時代は、薩摩も会津もないんだということで、理想を掲げて国づくりをしていくんですが、それだけでも価値観が大転換して大変だったと思うんですよ。
 そういう時代の少し前に、ここ下田に、ペリーが黒船でやって来て、その時代に見た、生のアメリカ人っていうのは、一般の人たちからしてみれば、宇宙人を見たような、とんでもないショックだったと思うんですよ。
中野:  そうですよね〜・・・・
和田:  今でこそ外国というのは当たり前だし、日本人もたくさん出ていくし、外国人も日本に来て住んでいますけど、それで、世界というものを、知ったような気になっているんですよね・・・
中野:  これからの時代のキーワードって何かって言うと、多様性のなかの調和なんですね。
 同じ人たちが集まって、仲良しクラブを作っているところは、確かに楽に見えますが、そこに切磋琢磨するエネルギーとか、お互い違う人どうしが醸し出す化学反応がなければ面白くないんですよ。だからこそ、これからの世の中を面白く生きていくためには、多様性に強くなることが大切。
和田:  面白いですねー・・・実は、カナダの人類学者で民族植物学者、冒険家というウエイド・ディビスという学者さんがいるんですが、彼のドキュメンタリーが以前、ナショナル・ジオグラフィックのTVプログラムであって、彼が世界中の先住民族の地を旅しながら、近代化に直面する文化と人々の暮らしに光を当てる番組だったんですが、グローバリゼーションが進むと世界は駄目になってくるということを言ってるんです。 
 例えば、アマゾン周辺には、昔3000もの言語があって、それだけ異なる部族がいたということですが、それが現在はわずか200くらいになっているらしいんですね。それで、面白い事に言語が3000あった時に比べて、今アマゾンの自然は激減しているんです。3000あった言語が200にまでなったというのは、当然淘汰されたり、いわゆるブラジルという国が統合されて、近代化による言葉や文化的な統一が図られてきたわけですよね。
中野:  それ、興味深いですね。
和田:  ブラジルという国家の価値観や考え方、思想というものが与えられ、統合されていって、言語が公用語中心になってくるわけですけど、そうすると何が起こったかというと、自然が非常にダメージを受けてることになっている
中野:  え〜面白い、なぜかなあ。
和田:  結局それは何かな〜と思っていたら、部族がたくさんあるから、その部族同士が互いに境界線があり、争いを避けるために、ある程度、住む場所は限られるわけです。そうすると、その限られた世界の中を保とうとすることを彼らはやりますよね。
中野:  はい。
和田:  実は、それによって自然が保たれていたというんですね。その多様性がものすごく重要だと言っていて・・・
中野:  ほんと、多様性は重要ですね。残念ながら日本って多様性に強い教育をされていないんですよ。 だって、私たち日本人は単一民族って簡単に言っちゃいますけど、本当は、その中にはいろんな人たちがいますよね。アイヌの人たちもいれば、南方系の人も、、、そういうことに対してみんなが同じだって言うと安心する国民なんですね。それで外国人が入ってきたり、あるいは帰国子女が入ってくると、学校でその人たちを仲間外れにしたりする。こういうのは、私たちには、多様性があるから世の中が益々面白いっていうことを、積極的に教える教育を必要としていないからじゃないかなって思うんですね。
 私は、いろんな会社で企業コンサルをしますけど、仲良しクラブの様な会社って、みんながなーなーになっちゃうんですね。それでイエスマンばっかり集まった会社って危ないんですよ。だけど、みんなが違っていて、その個性をお互いに認めて活かしあって、そこから新しいものを作っていこうとするなら会社も伸びるだろうし、自分個人としても人生が面白くなるだろうな〜って。そこにはとても大切なことがあるんです。それは一人ひとりが今の等身大の自分にOKが出せるか出せないかっていうことがポイントなんですよ。
 自分にOKが出せない人って、人にもOKを出さないんですよ。だから、人に対して自分と違うと責めてみたり、人を攻撃してつぶしたりするってところがある。でも自分にOKを出している人って、他人が違っていても、それを面白がる、興味深く知ろうとするっていうところに、進化のエネルギーが生まれると思うんですよね。どう思います?
和田:  そうですね、そう思います。
中野:  うん・・・だからこそ、こどもたちには、一人ひとり違いがあるから面白いっていうことを教えたいって思うんですね。

誰にでも、必ず輝くものがある。
中野:   私がいま関わっているNPO法人で「スペシャルオリンピックス」という知的発達障害をもつ人たちが、スポーツを通して一般の社会にどんどん出てきて、みんながその人生を楽しもうというのがあります。これは、ケネディ大統領のお姉さんがその昔始めたんですね、もう40年になります。
 ケネディ大統領の実の姉に、知的発達障害の方がいて、ユニスさんと言う姉妹が、自分の広大な庭を開放して、そこに、お姉さんを始め知的発達障害の人が集って運動会の様な催しをしたことが始まりなんですよ。私はそこにご縁があって関わることになって3年、今、理事長はマラソンの有森裕子さんです。 今年の11月6日から大阪で全国大会をするんです。
和田:  それは、日本では初めてなんですか?
中野:  いいえ、全国大会は夏・冬2年ごとに開かれています。 5年ほど前には長野で世界大会も開かれました。 でも、まだ知名度は低いんですね。
和田:  パラリンピックとの違いは・・・
中野:  身体的障害を持った方の大会がパラリンピック、スペシャルオリンピックスは知的発達障害を持った方のスポーツの大会。自閉症とかダウン症とかそういう方たちがアスリートです。 スポーツの大会としてはオリンピック、パラリンピック、スペシャルオリンッピクスこの3つが世界で認められている公式大会なんですよ。
 私はいま、ちょっと前にお話をした、多様性が私たちを強くするという点では、そういう人たちも含めた社会づくりを考えていかないと、元気な人、強い人だけが勝ち組を作る社会を作っていたんでは、その社会は先行き暗いなと思うんですよ。
和田:  うん。
中野:  だから、あの方たちを見てると、その方たちがそのまま生まれて来て下さったおかげで、私たちはそこに工夫を凝らしたり、あるいは、助け合いの精神が芽生えたり、お互いに助け合うことができるという、ここも多様性かなーと思っていますね〜・・・
和田:  うん、そうですね。興味深いですね。それは、やっぱりオリンピックだからスポーツ的なことをするんですよね?
中野:  そうですね。素敵なのが、全員が何かの賞をもらえるんです。というのがスペシャルオリンピックスは、ディビジョニングといいまして、ディビジョン決めるんです。最初に予選で、同じ様な能力の人たちがグルーピングして、その中で1位から6位までちゃんと競うんですよ。誰でも必ず賞をとれる、だから何が何だって1番の人がトップで、後は駄目って言うんじゃない。つまり、どんな状況でもあなたには必ず輝く場所がありますよっていうことを提示できる場って素敵ですよね。
 今の日本って、お勉強が一番の人が強くて、そういう人がすごい会社に入って、すごいお金をもうけて、すごい権力をもったらすごいって、そうじゃない人は駄目っていう、すごく不自由な世界でしょ!
和田:  そうですね。
中野:  どこにいてもあなたには輝く場所があり、その場所にみんなでお互いに導きあっていけばすごく幸せですよね。
和田:  そうですね。から共生へってよく言われますけど、そもそも競争というのはどこから生まれたのかな〜って思うんですね。
中野:  どこから生まれたんでしょう?
和田:  やっぱり、生存するための淘汰ですかね。適者生存。そこに競争が起こる。
中野:  生命を維持するためとかね。 でも過剰な競争っていうのは要らないですよね。
和田:  そうですよね。
中野:  誰かが誰かを倒す。例えば、動物はお腹がいっぱいな時は、他の動物を倒さないってよく言いますよね。でも人間だけですよ、欲があって、もう十分に暮らせているのにもっともっとと言って、人のものまで奪いに行く、そこに煽られちゃった競争原理が、今の社会を作っちゃっている気はしません?
和田:  そうですね。僕は競争が嫌いなんですね。競争では勝敗が生まれますから、どうも苦手です。競争しないで、自分自身で輝けばいい・・・
中野:  本当ですね。ただ、競争でいいところがあるのは、よりもっとっていう部分のところに自分を追い込むっていうか、自分を押すエネルギーではありますよね。
 向上心とか、進化っていうのも、お互い同士がぶつかったようになるところに傷つけ合うと競争になるけれど、みんなが同じ方向に向かって、それが進化とか改善に向かってレースしたら面白いと思う、それはOKだと思うんです。
和田:  競争で勝った人が、負けた人に対して、支配的になるとか、威圧的になる。または、負けた人が、妬んだり、悲しんだり、屈辱感を抱かなければ、競争も楽しいかな・・・まあ、競争があるから、お互い大切なことに気づくことも多いですけどね・・・
 勝った人を賞賛する、勝った人は「いやいや、君の頑張りがよかったよ」っていうよう、な、そこに人間性というか人間の美しさ、美徳があるかなと思うんですけど。
中野:  ありますね。日本って恵まれていることを、大ぴらに「私恵まれているの、嬉しいの」ってあんまり言わないっていうのもあるんですね。
 例えば、褒めます。「これ素敵ですね」「これお似合いですね」って言うと、何故か皆さん右手をパッと出して、横に振りながら3歩下がって、“ワイパー”って私は言ってるんですけど・・・
和田:  ワイパー・・・笑
中野:  これは、恵まれていることを素直に喜ぶっていうことを良しとしない、謙虚な、あるいは、何て言うのかしら、おこがましいっていう文化があるんですね。だけど、ある時に気がついたんですよ。みんながみんな、喜びを「わー嬉しい、楽しいんで一緒に喜んでよ」って言わないと、なんか不完全燃焼してるんじゃないかって。
 話が飛びますけど、とっても恵まれている人にお会いしたんです。その方はもう他界して光の国に行かれましたけど、その方に「Sさん、とても恵まれていらっしゃいますねー」って、本当にそう思ったから言ったんです。
和田:  はい。
中野:  通常の日本人だったら「そんな事ないですよ」って言うのに、その方は「そうなんです。私とっても恵まれてるんです。幸せなんです」っておっしゃった時に、結構私が若い頃だったのでビックリしたんですね。こういうことを素直に言う方がいるんだって素晴らしいって思ってました。 お互いにいいところを褒め合い、それを喜び合うっていうことが、お互いの心の飢餓感を払拭するんではないかと思うんですよ。
 私はイギリスが長かったのですが、イギリスで騎士道という精神があって「ノブレス・オブリージュ(The noblesse oblige)」という言葉があるんです。
 恵まれた貴族には、貴族階級の恵まれた人の義務がありますよって言っちゃってるんですよ。
 日本では、白洲次郎さんが、よくその言葉を引用されていましたけど 恵まれていることを謙虚に慎みぶかく、「とんでもないです」「そんなことはないです」なんて言う代わりに、「そうなんです。恵まれているんです。だから、それを自分も喜び、みんなのために使おうと思って、私たち恵まれている人には、そういう義務があるんです」ってあっけらかんと言っちゃう。この神経って必要だと思いませんか?
和田:  そうですね。騎士道っていうと日本では武士道っていうのがありますよね。
中野:  はい。
和田:  王様、殿様への忠義という精神は、結構似てるところがあると思いますが、武士道は、そういう部分をひけらかすことを良しとしないですよね。慎ましく内に秘めるところがあって、そういうのが恥だという様な文化が、でも、武士は貴族みたいに豊かじゃないか・・・笑 武士は食わねど高楊枝・・・
中野:  元々同じだと思うんですよ。やっぱり武士も身体を張って弱者を守っていたと思うんですよ。でも、やっぱり途中の、そのあっけらかんとした部分があまりなくて、贅沢は隠すというか、その傲慢さを戒めるみたいなのはありましたよね。
 その時代を経た上で、じゃあ現代の日本人は、どういう風に改善していけばいいかって思いますね。 なんといってもやはり恵まれているんですね、「100人の村」で読み解けるように。だから、恵まれていることを、素直に「そうなんです。だからこそ私たちには余力があるんです」「そうじゃない人のためにも、知恵を使えるんです」「仲間と組んで、エネルギー回せるんです」って言い切ったら素敵ですね。

豊かさマインドがあれば、幸せになれる。
和田:  日本という一つの括りで見ると豊かもしれないけど、現実は低所得の人もすごく多いいし、日本の中でも100人の村が出来てますよね。
中野:  はい。ありますね。
和田:  世界から見ると、経済的に全然豊かだけど、やっぱり豊かと思えない人たちも多いじゃないですか。
中野:  多いですね。
和田:  そういう満たされていない人たちの感覚からすると、やっぱり羨む気持ちというか、例えば、税制の問題とか不公平と感じたり、なんで思うように豊かになれないのかって葛藤している人も多いと思いますしね。
中野:  そうですね。現実の数字を見たら本当に暗くなりますよね。これは格差社会で、どうにもならないって。 でもそんな事はないと思うんですよ。いくらでもやり方はあると思って、これは個人レベルではたくさんあると思ってるんです。
和田:  そうですね。
 それをずっと突き詰めていくと、その人の考え方、価値観とか、そういう信じている世界観っていうものがあって、自分には出来ないって思っているからそこから前に進めなかったりとか、後は、幼少期の頃から大人になっていく過程でのトラウマとかね、いろんなことが複雑に絡み合ってくるから、でも、そうやってきちんと見ていけば、次の世界を作っていくことができると思うんですが・・・
中野:  そう!すごくシンプルに作りましょうよっていうことです。 
 私、世界銀行を辞めた理由は、実は日本の国づくりに参加するためと辞表を書いてきたんす。帰って来て十数年になりますけど、大人への講演会だけでなく、現役高校生にアプローチしたりとか、いろんな分野で、いろいろやっているんですけども、思うのは、一人でも多くに人が“豊かさマインド”を手に入れればいいということ。
 豊かさマインドっていうのは、銀行にいくら入っているとか、どれだけ大きいクルーザーを持っているかではないんですよ。豊かさマインドっていうのは、喜びを持って、自分の豊かさを享受し、人と分かち合うことができるっていう。ここに、武士は食わねど高楊枝的なカッコよさがあるんですね。そういうものを身につけて、豊かになってしまったらどうかなあって思いますね。
 自分の経験から独自に研究してきて、ある時に『お金持ちマインドの育て方』という本も書きました。私はいつも心の持ち方のことを書いているのに、初めてお金持ちマインドというキーワードを出したら、それで男性読者がいっきに増えたんですよ。
 お金持ちになりたいって言う人が、お金持ちマインドを学ぼうと読んでくれたんですね。その感想文におもしろいものがいくつかあって、例えば、びっくりするんですけど、「元世界銀行の人が書いたから、どこに投資したらいいか絶対に書いてるって思って買ったら全然違いました」とか。投資やお金を持つ前に、お金がどれだけ降って来てもつぶれないだけの精神力っていうか、体を作っておかないと潰れるんですよ。だからお金に強い体を作る本を書きました。
和田:  なるほど〜。
中野:  その中で言いたかったのは、お金持ちマインド、豊かさマインドを先に手に入れておかないと、お金が楽しく使いこなせないって・・・
和田:  僕は、この先どんな人生になるかっていうことなんですが、その後の僕の結果を見た人が「言ってることと、違うじゃないか」って言われるかも知れないですけど、いまこの時点では、僕は、100%絶対にお金に不自由しないって、ここ何年も信じてるんですね。
中野:  素晴らしい!
和田:  ありがとうございます!・・・笑 
 だから、例えば、僕の会社のやり方にしても、絶対的に信じているものが核にあるんですよ。
 だから、それは自分のスタッフや家族もそうですけど、自分の人生の中で必要なものは、絶対に自分のところにやってくる。でも、それが数十億だったり、100億だったり、あるいはもっとだったりすると、それが僕の人生の中で、果たして必要なのかと考えた時に、多分自分にとっては必要ないんですね。そういうお金を活用することを、僕は人生として計画してないし、選んでいない。そうすると、自分の人生が経済的に困らないで、やりたい事は絶対にできると信じていて、実際に、ほぼそうなっている。
中野:  はい。今、さらっとおっしゃったけど、これ聞いて「うわぁー、すごい!」って思った方が、たくさんいらっしゃるでしょうね。「そこが知りたい」って!
和田:  うーん・・・汗 だから、多くの人は、お金持ちになりたいって言うと「じゃあいくら欲しいんですか」と聞くと、具体的に何も考えていないと思うんです。
中野:  そうですね。
和田:  ただ、どこぞの豪邸に住んでいる、そういうお金がありそうな人を見て、羨ましいなと思っているだけで、具体的に、その人の生活でいくらかかかって、税金いくらで、そういうところで結構神経を使っていたり、いろんなことがあると思うんですけど、そういう具体性やリアリティがほとんどないと思うんですよ。
中野:  お金持ちでいるというのと、豊かさを自分の生活に取り込むっていうのは違う話なんですよ。それも楽しく・・・
和田:  そうですね。
中野:  宝くじが当たりました。何億当たりました。明日からお金持ちですよ。だけど、お金持ちマインドや豊かさを許容できる身体のサイズがないと潰れちゃうんですよ。
 ラスベガスで追跡調査をしたら、ジャックポットが当たる前よりも、当たった後の方が不幸になる人が、俄然多いんですって。 漠然とお金持ちになりたいって言っている人が、そうじゃなくてちょっと頭切り替えれば、和田さんのように自分が思うものは引き寄せることが出来て、それを楽しむことが出来て、人と分かち合うことが出来ますよね。
和田:  そうですね。例えば、食事でも、毎日晩さん会のような事をしないじゃないですか。ルイ十何世見たいなね・・・笑
中野:  メタボで問題が起きそうだわ。
和田:  僕、パイレーツ・オブ・カリビアンのジャック・スパローが大好きなんです。
ジャック・スパローって何も持ってませんよね。
中野:  うん。
和田:  小汚い格好をして、ふらふらしてて、でも、必要な時に必要なものを手に入れる。まあ海賊なんで、盗みは当たり前なんですが・・・笑 それを良しとは思わないけど、例えば、港について、お金がなかったら、その辺にいる軍艦の番人をだまして、彼の懐から必要なお金をいただく。さらには、大英帝国の戦艦まで軽く奪っちゃうじゃないですか。あの辺の身軽さというか、何も自分が所有する必要がないから、不要になったらあっさり捨てて、次には別のところに行ってるでしょ。
中野:  なんかネズミ小僧みたないなところがありますよね。そういうのってどう言うかっていうと、自分のお財布の底が世界のお財布に繋がっているんじゃないかと思うんです。
 「お金は天下の回りもの」って上手いこと言っていますよね。自分が所有するから無くなることが怖くなるんですよ。回していればいいわけでしょ。
和田:  うん・・・笑
中野:  そう思ったら、今回していることを思い出しちゃったけど、いま、私が目指している国づくりってどういうことかって言うと、一言で言うと「ソーシャルリース」なんですよ。
和田:  なるほど・・・
中野:  ソーシャルリースの「リース」って、クリスマスにドアのところにリースを飾りますよね。あの花の輪っかのリースなんですけど、社会をその輪っかみたいに繋げるんです。それで、どこに生まれたとしても、そこの輪っかに手を伸ばして繋がる、その輪を両手を掴めば、この輪っかの中に流れる豊かさの中から必要なものを享受できるシステム。自分の持っているもので人と分かち合えるものをそのリースの中に入れてみんなで回しちゃうんです。グルグルグルグル。
 例えば、私の場合はカウンセリングが出来るから、カウンセリングスキルを入れます。お金がある人はお金を入れます。体力ある人は体力入れます。人脈のある人、アイデアがある人、土地がある人グルグそれぞれがリースに入れて回します。グルグル回っているうちに、それが今必要なところにちゃんと届く。そういうものを一つに繋げてみんなのところに必要なものが必要なだけ届いて、みんなが笑いあえるような社会を作ろうとしているのがソーシャルリース=社会の輪(社会の環)です。
和田:  素晴らしいですね。
中野:  AとBを交換するというのじゃないんですよ。もっと多くの人と豊かさを分かち合う。
 ただそこには、ソーシャルリースの輪の中に全員が入っているというのが必要ですね。
それから必要なものが回ってきた時に、自分はこれを頂くだけの価値があると思えるかどうかです。価値があると思えない人のところでは素通りしちゃうんですよ。そうすると「僕のところには来ない、私のところには来ない」って不平を言いながら、来ている人をうらやましがって格差が起こる。 だから豊かになるには、受け取る覚悟が要りますよ〜。
和田:  笑・・・そうですね。自分が豊かじゃないって言ってると、何か降ってくるんじゃないかって、何か得られるんじゃないかっていうところで、ずっと言い続けてる・・・

私には、幸せが似合う。
中野:  ほんのちょっと考え方を変えるだけで、思った通りの人生が引き寄せられるんです。
 私は今その実験を始めていますが、いつかそれを簡単に10項目ぐらいで皆さんに話そうかと思ってるんです。だってね、これを知っている人だけが得するというのはおかしいでしょう。みんながやったらいいですよね。みんなが豊かに幸せになったらいいですよね。
和田:  そうですね。
中野:  その10項目の中で今日この対談で、私が今ここで言うとしたら、
「私は、幸せが似合う」っていう考え方を採用するというのはどうですか?
和田:  「私は、幸せが似合う」
中野:  うん。これキーフレーズなんですよ。「幸せになりたい」っていうのと「幸せが似合う」っていうのは全然違うんです。
「なりたい」っていうのはエゴが入っていて、下手すると願望が執着になるんです。また予定通りお金持ちになっていない自分を卑下してみたり・・・
和田:  それを肯定しちゃいますよね。
中野:  そう!諦めてみたり。でもね、「私に似合う」っていう言葉はすごく良くできた言葉で、全然ここに力が入らないのに「私は幸せが似合う、豊かさが似合う」と言ってると、見事に引き寄せちゃうんですよ。だから、これを読んで下さった方は、ちょっと今日からゲーム感覚で「私は笑顔が似合う」とか「幸せが似合う」とか「私は喜びが似合う」って「似合う」って連発していると、気が付いたらそういうものを間違いなく引き寄せてる。そうやって、みんながみんな幸せな人でいたら、どういう社会が出来ると思います?
和田:  それは、幸せな世界ですよね・・・笑
中野:  でしょ!幸せな社会以外作れないんです。
和田:  そうですね。
中野:  でもその中に一人「わたしは幸せになっていいんでしょうか?」「わたしには幸せは似合わない」なんて幸せを拒否する人が一人いたら、その人は、みんなの後ろを、虎視眈々と狙いながら「おこぼれが欲しい」って。ここで奪い合いが起きる。だから、まずは一人ひとりが自分を幸せにすることに真剣に、きちっとすれば世の中は簡単に良くなるとほんとに脳天気にそう信じています。
和田:  いやー、僕もすごくそれは共感しますね。
 自分は幸せを願うとか、幸せになりたいという願望。先ほども言ったように「自分が今の状態を幸せじゃない」って肯定していっていますよね。だから、幸せじゃない状態がずっと続く。じゃあもっとアファーメーションで「わたしは幸せなんだ」って言いきることは「だって、本当に幸せかな〜?」って思ってしまう人もいる。
中野:  そーなの!
和田:  「お金持ちなんだ」って言っても「だって100円しかないし」とかね。(笑)
なるじゃないですか。でも「似合う」って言うとやっぱ柔らかく、スーッと入ってきますよね。
中野:  似合うはね、何処にも抵抗が出ないんですよ。お金持ちになりたいとか、お金がないとか言うのは、どうしても、どっかに欠乏感がチラッと覗くんですよ。でも、似合うというのは張り合うライバルがいないんです。「だって似合うんだもん!」って感じで(笑)
和田:  うん。これ大きなキーワードですね。
ロミさんとは、時々、色々な話をさせてもらっていますけど、よくロミさんから「国づくり」って聞くので、う〜む、僕には「話が大きいなー」と思ったんですけど・・・笑
中野:  ウフフ・・・笑
和田:  あっそうかと思って。国づくりって、全然大きくなくって、自分自身の生活や生き方そのものと直結している話じゃないですか。
中野:  ほんと、ボディーサイズで良いんですよ。
和田:  ですね。そこで、自分は今言った様な「幸せが似合う」って言う感覚で、自分の身の回りを作っていくと、それは結果的にみんながそうすれば・・・
中野:  みんながそうすればいいんです。それを、わたしが世界銀行にいた時にも、テロリストの人たちもそう思えるようにするにはどうするかって考えてました。
 だから、一人ひとりが今日の自分の人生を「すごく幸せだわ」「幸せが似合うわ」って思うのは、一人ひとりの自分の課題であり、一人ひとりのお仕事なんですよ。それさえ満ちていれば、集まった人はサミットしようが何しようが、もっとみんなにとって、より良い方向に考えることが自然にできますよね。
 私は、国創りに参加しようとアメリカから戻ってきました。でも大げさな運動ではなく、「フライパンの先に世界が見える」っていうキーワードを打ち立てたんですよ。毎朝お母さんが、子どもたちや夫のために、フライパンで卵焼きを焼いています。自分たちだけがよい、家が満足ならいい、それだけで終わったら単に自己満足でしょ。
和田:  うん。
中野:  でもね、フライパンで目玉焼きを焼いてたら、そのずっと向こうに、ふっと別の窓があって、向こうの窓にはバングラディシュのお母さんとか、あるいは、ネイティブアメリカンのお姉さんとか、ドイツのお母さんがいて、それぞれの家族のために朝ご飯を用意している。あるいは、野菜やミルクや木の芽を取って来てるっていう図が、目の前のフライパンと直結してるっていうイメージがあるんですよ。そうすると、何か不思議なんですけど、私とあなたという個々を隔てる垣根が消えて、そこにはWe=ウィーという「私たち」がいる。私たちって誰?と言ったら、宇宙船地球号の乗組員っていう感覚ですよね。それで世界は繋がっていると考えると、私が次に打ち出しているヴォルテックスという考え方につながるんですよ。
 ヴォルテックスというエネルギーが高まった渦巻の状態の中に自分を置いて、自分の周りに幸せをきちっと確保した人たちが集えばそこにすごいうねりが起きて、化学反応が起き、そこには肯定性のみが動きだす、素晴らしいことが起こりだすんですね。
和田:  共鳴し合うわけですね。
中野:  共鳴し合います。
和田:  その共鳴って言うのは、よく100匹目のサルって言いますけど、その共鳴の輪がある程度臨界点に達すれば、爆発的に拡がっていくみたいな、だから、みんながみんな全員が出来なくても、意思ある人たちが始めればいい。
中野:  そうですね〜、飛ぶんですよね。臨界点を超えたら大きくジャンプする。 私は、ベルリンの壁が流血しないで壊れたのも、その100匹目のサル現象、世界の人々の、小さな平和を願う思いが集まって、臨界点を超えた瞬間に飛び火したのではないかと思うのです。そういうこときっと、もうあちこちで起こってるでしょ。
和田:  そうですね。
中野:  だから、ヴォルテックス的考えを自分が取り入れない手はないなって思って。じゃなかったら人界戦術で、世界中の人たちが時間をかけて汗水たらして頑張んなきゃ進まないでしょ。
 実は、私は壊れたレコードのように、根拠のない夢のようなことをあちこちで言い続けるのが、多分、今のお仕事だなと思ってるんですよ。
和田:  まあ、そういう変化っていうのは、自分自身に「あっそうだ、ロミさんの話すごいわかる、共感する」「そういう風にやってみよう」そういう風にいった時に、この前もロミさんとそういう話をしましたが、「じゃあ、いつかわるの?いつやるの?」と聞かれて、「明日から」って僕言いましたよね。
 ロミさんが、「なんで今じゃないの!? 」って言いました。それですよね。
中野:  そう!
和田:  パッと気が付いたら、今からやればいいんですよ。瞬間からね。
中野:  その変わる力を、変える力を全員が持っているっていうことです。
 今日は、お話をする時間がないですけども、過去を一つも否定しない自分の持論もあるんですね。
和田:  うん。
中野:  それから自分を自戒するとか、自己嫌悪に陥るとか、過去を反省するっていう考え方もないんですね。
和田:  すごい、おこがましい・・・笑 どう言ったらいいんだろう・・・笑
中野:  頭が高い? 笑
和田:  ハハハ・・・爆笑

幸せに生きるには、シンプルが一番。全部気のせい・・・
                  
中野:  いま若い人たちにも、メッセージを私の体験を通して伝えているんですけど、誤解されちゃうことなど恐れずに、「人生は楽しむもの」って言い切っています。本当に、このぐらい脳天気でお気楽な人がいないと、子どもたちが社会に出ていこうという時の勇気や楽しみに繋がらないと思うんです。
 この夏、5回目になりますが、全国現役高校生サマーセミナーをやります。今回、岡山で初めて開催することになったので、岡山でどなたかゲストスピーカーをお願いします探していたら、推薦されたのが和田さんで、そのご縁でお会いできたのですよね。
 子どもたちに、夢を叶えるというお話やお仕事をどうやって切り開いていくかというお話をしていただこうと、今からとても楽しみにしてるんですけどね・・・。

※岡山の閑谷学校での高校生サマーセミナーは、30人の元気溢れる情熱一杯の高校生たちが集まって、感動の中に無事終了しました。
和田:  はい。
中野:  高校生たちに、希望を持つことをしゃべれる大人がもっと増えた方がいいと思うんですよ。それなのに、現実を見ながら「世の中厳しいよ」とか「このまま行ったらCO2で世界が破壊される」ようなことばっかり言ったら、これから社会に出ていく子供たちが暗くなっちゃいますものね。
和田:  そうですね。
中野:  そう考えた時に、一人ひとりが自分の持っているモノや能力を生かして世界を明るくして、それを皆さんと分かち合っていくっていうのは、すごくワクワクする大人のクラブ活動だと思いますね。
和田:  ロミさんからネガティブな言葉を聞いたことがないので、どうしたらそんな風になれるのかなってことを、以前聞きましたが「これからは自我自賛しかないわよ」って言われて・・・笑
中野:  そうですね〜、何も否定しないこと、自分も否定しないことですね。
 今の現実はネガティブなことも多いけれど、私には否定性は似合わないって思うことにしてるんです。どんな出来事もきっと必要があった訳で、無駄はない。 私はお財布を落としちゃったり、外国で掏られちゃったりとか、結構ドジやってるんですけど、でもどんな時でも自己嫌悪にはなりませんねえ(笑) 
和田:  そうなんですか・・・
中野:  普通で考えたら「これ、ちょっとまずいんじゃない」って言うことも、私にとってはそうじゃなく思える性格になっちゃったんですね。
 私が作った標語のひとつをご披露すると、「失敗しないように生きる人生より、失敗という考え方のない人生を歩む」、つまり良しあしで裁く生き方より私は別のルートを選んだんですよ。それは、過去は予定通り、現在はこの手の中に、そして未来は自由自在という生き方です。だから「中野さんは強気ですよね」とか「ちょっと考え方が甘いですよね」とかおっしゃるかもしれないけど、失敗がないという生き方を選んだ人はみんなわたしと同じようにお気楽になっちゃいます。例えば、あそこでリストラにあったのも実はピンチではないんですよ。「次なるチャンスの種ですよ」という考えになると気が付いたら、意識して否定的なことを言う必要が無くなって。
 自分に対しても、相手に対しても否定を言わなくなったら、ストレスが減ったんですね。今まで不平不満とか、ネガティブなことを言えば言うほど「人を呪わば穴二つ」で、エネルギーを取られていたんだなっていうエネルギーの法則に気が付きました。だから、その反対に「ありがとう」とか「嬉しいわ」とか「幸せ」「わたしイケてる」とか自我自賛していると、エネルギー倍増しますよ。それだけで良いってことかなぁ〜。
和田:  この前も講演で言われていましたけど、みんな100のエネルギーが割り当てられていて、朝降ってくるって言われてましたよね。
中野:  朝降ってきた100のエネルギーを出来るだけ垂れ流ししない状態キープできたら、夕方、夜まで楽しいはずなんです。調子いいんですよ。でも、朝テレビをつけました、なんか殺戮だとか、強盗だとか「まったく世の中は・・・」と言った途端に、ザザって5エネルギーぐらい減って、会社に行こうかなと思った瞬間に、嫌な上司の顔がパッと浮かんできたら、そこで10取られて、満員電車で足を踏まれて不機嫌にギャって言ったら、そこで5エネルギーがまた流れるわけでしょ。
和田:  うん。
中野:  そんな事をして、無防備にどんどんエネルギーが流れていったら、会社に着いて、お昼ぐらいになったら、もう100が半分になっているわけです。これってエネルギーの法則があるのに、それに気がつかないで、マイナス思考におちこんだまま固まっていたり、あと、もっと深いのがトラウマです。
 私は、世界銀行で人事のカウンセラーでしたが、実は学校で心理学や人事学を学んだことがないんですね。短大を出た後はすべて独学です。一切そういうことを専門に学んだことがないので、随分昔に「トラウマ」と聞いて、本当に「それはどういう漢字を書くんですか」って聞こうと思ったぐらいですよ。
和田:  ハハハ・・・虎と馬でね。
中野:  そうですよ・・・笑
ほんと、虎と馬かと思ったんですよ。と言うのは、トラウマというのは深い心の傷ですが、昔、私のところにカウンセリングにこられた方が、自分が受けた傷が残っていますって、その「トラウマは・・・」って言ってくださる方に、「それは、虎とか馬とか、牧場で飼ってるのを止めて、牧場は開放して、みんな野に放っていい」っていって「虎とか馬を飼っている場合じゃない」とか言って大笑いするんだけど、トラウマってそんなもんなんですよ。そこに価値を見出して「私はこういう人間だから、こうなのよ」って言った途端に、成長が止まるんです。だから、トラウマは研究したい研究者のもので、一般の人たちは「気のせい」って読み替えた方がいいと思います。
和田:  あっなるほど!気のせいですね。
中野:  気のせい! 「小さい時から愛されたことがないんです。それがトラウマで」って・・・「うん、それって気のせいじゃない」って・・・笑
和田:  爆笑
中野:  そう言うと、すーっと行けますでしょ。そういうもんなんですよ、世の中って。すっごくシンプルにできてるんです。
和田:  みんな気のせいですね。
中野:  気のせいです。
和田:  思い込みばっかりですもんね。ほんとはそうじゃないんですね。
中野:  だから、幸せに生きるにはシンプルがいいと思う。
 自分がこういう考えに気づく前は、大変シリアスな人間だったんですよ。自分に厳しいから、人にも厳しくおっかない上司もやりました。お局さんもやりました。嫌な奴もやりましたって言って、ある時にふっと「あれ、これって効率悪いな」と後日気がつくんですけど、みんな死ぬのが同じだとしたら、死ぬまで楽しく生きるのは、自分の工夫次第だと思ったんですね。それで今思うことは「人間は命が限りなくあって、全員死ぬんだ」と思った瞬間に、生き出しましたね。
和田:  そこを逆に、ただみんな死ぬんだっていう風に思ったら刹那的になっていくでしょうね。
中野:  なっていく人もいますね。
和田:  それはどうなんでしょうね?
中野:  私は、本当の意味での刹那的になります。
 「刹那」って仏教用語で「一瞬、一瞬」っていうこと、だから「今に徹して生きる」ってことなんだけど、それが後に曲解されて「今さえ良ければいい」って変わっちゃったんですね。本当の仏教の「刹那」っていうのは「過去も引きずらず、未来も憂いず、今しかない」っていう、ここにしか意識がない状態。 だから、刹那で生きられたらいいでしょうね。
和田:  刹那って、今を生きるっていうことなんですね。
中野:  そう、そう理解できますよね。
だから、本当の意味で刹那を意識して毎日過ごしたらいいと思う。
和田:  今の気持ちをネガティブに感じたりするのは、全部気のせいだと。から、今楽しいって、スイッチを切り替えるだけでいい。

今の私が大好き。これからは自画自賛が大切。
                  
中野:  大脳は騙せるんですよ。
 私は学者さんではないので、詳しいことはインターネットで調べればお解りになるとおもいますけど、大脳のある部分は、目の前に起こった現実なのか、想像のバーチャルリアリティーなのか、区別がつかないっていう有難〜い性質があるんです。それをどう理解するかは別として、私はそれを聞いた時に「やった!」と思ったんですよ。大脳を騙そうって!それ以来、大脳を騙しています・・・笑
 どういう風にかって言うと、私は、騙す用語として使っているのが「似合う」っていう用語です。似合うって抵抗がないから、自分にも抵抗がなくて「私は幸せが似合う」「私はプリンセス」と次々に自分に似合うものを引き寄せちゃったんですよ、アメリカにいる時ですけどね。
 「私はプリンセスだわ」って「自分がとても大切で、みんなに愛されてる」「なんて素敵なプリンセス」って思ってたら、大脳は騙されて、「私はプリンセス」って疑わずに信じ込んじゃったわけね。笑っちゃうけど。
 それで、自分がプリンセスだと思ったら、何が違ったかって言うと、人に対して「私をプリンセスのように扱いなさい」っていうことが無くなった。「私を誰だと思ってるの」って怒ることが無くなったのは、常に自己完結で自分が自分をプリンセスだと思ってると、人がどういう様な扱いをしようが気にならなくなっちゃんたんです。
和田:  「だってプリンセスなんだもん」って
中野:  「だってプリンセスなんだもん」って・・・笑
和田:  笑
中野:  たった一人しか住んでいない、召使も上もいない国のプリンセスで、自立しているプリンセスだと思っていると、他人から見てもプリンセスに見えるようになるらしい(笑) 当然、お互いを尊重するっていうことが自然になり「尊重しないといけない」っていうんじゃなくて、自然にそうなっている。
和田:  要するに、一人ひとりが他国のプリンセス。プリンス、プリンセスなんですね。
中野:  そう!そこには礼節があって、なあなぁーになったり、しがらんだり、甘えたりがなくって、取っても心地よい状況になるんですよ。
和田:  自分をどういう存在であるか、あればいいのかっていうことを、自分の理想とする最良の自分そのままになりきればいいわけですね。
中野:  はい。それも足したり引いたりしない、今の等身大の自分を好き!と言っちゃうことが前提ですよ。 まずありのままの自分を完璧に肯定したうえで、プリンセスだと思い込むと無理がないでしょ。
 調子がいい時だけはプリンセスだけど、上手くいかない時はダメな奴だって自分を非難したら、そのゲームはスイッチオンにならないんです。だから、足したり引いたりしない今の自分を丸ごと受け入れちゃうところからスタートです。もしかしたら言葉に誤解を招いたり、あるいは誰かを無意識に怒らせちゃっているかも知れない、そこを一々反省後悔せず「そう言うつもりはなかったの、ごめんなさい」って素直に言えて「今の私大〜好き」って肯定できた時に、プリンセスゲームがスイッチオンになるんです。でも、皆さん反省が好きよね。
和田:  僕もよく反省してますからね・・・笑
中野:  私も昔、そうでした。父親が「反省しないと進歩しない」って言っていましたから。
 それ昔の常識だと思うけれど、今もそう信じて、反省第一と思っている人が多いと思う。でも反省しすぎて、心が疲弊している人が世の中に多すぎる。何かあった時にはすぐ「私が悪うございました」って。ぐだぐだ反省、後悔するより「ごめんなさい」って一言潔く言って次に行けばいいんです・・・って思いますね
和田:  何でしょうね。罪悪感とか、それは多分、僕も最近かなり減ったと思うんですけど、よくあることは、自分が認められたい気持ちとか、自分の存在価値を証明しようとする気持ちから、その相手に受け入れてもらおうと一生懸命になってしまう、つまり、関係性を維持していこうとするところに執着が出てくる・・・
中野:  そうなんです。まさに素晴らしい分析ですね。
 自分が認められたいって思っているということは、自分自身をそのまま良しとしていないということでしょ。だから自分自身を良しとすればいい、自分で認めちゃえばいいって思う。他人の承認を求める前に、自分が自分を認めていますかっていう話ですよね。
和田:  はい。そうです。
中野:  人に認められて、例えば、これだけ評価されました、これだけファンが増えました、これだけ本が売れました、ていう人からの評価に一喜一憂する前に、まず自分を全面的に認めちゃうっていう姿勢が必要なのですよね。反対に、それさえあれば、人からの評判は二の次というか、おまけの結果になっちゃうんですね。
和田:  多分、この話を聞いても「でもね・・・」って言う方は多いかな・・・笑。
中野:  うん、おっしゃるでしょうね。そうすると、きっと私はニコっと笑って「う〜ん、そうね、あなたには、でもねぇーが似合う」って言っておしまい・・・笑。
 「でもねぇー・・」とか、「そうは言うけど、中野さん」と聞くととても残念だなって思う。「僕は、中野さんと違いますよ」とか「中野さんは、特別ですよね」って言われると、とても悲しい気がする。
 私は難しいことを言っていると思っていないの、自分が体験したことしか言っていないんですよ。あれこれ難しい学問を学んだわけでもないし、本もあまりたくさん読んでいない人なので、自分が体験したことしか言っていないんです。
 ある時「中野さん、ブラックボックスは出していますか?」って言われて、つまり究極のことを隠さずすべて出しているかって言われて、「はい、全部開示しています。試したことだけ語っています。」だから、幸せになるのはそう難しいことではないと思っているんだけれど、それでも「でもね・・・」って言う人には、「でもねぇーが似合う人」なんだわって思っちゃってます。
和田:  素直にそのまま受け入れる人は、どんどん変わっていきますよね。
中野:  そうですね。素直さとか無邪気さは大事。
ワハハと笑って「でもねぇーが似合うって言われちゃったよ」って言う人は、多分その後どんどん変わっています。
 心がオープンだからね。「でも、でも」と自分をいかに言い訳ばかりする人は、多分こういう話も聞き流しで「ふ〜ん、こういうこともあるか、でも自分の場合は・・・」でおしまいでしょ。
和田:  うん・・・
中野:  だけど、学ぶ気がある、本来の自分の中の光を取り戻す気があったら、野や山やチョウチョを見てるだけで、ひらめくことは山のようにあると思いますよ。
 なぜ人は幸せに生きることが簡単だって思えなくなったんだと思います?
和田:  やはり、否定的な価値観というか、そういったものが染みついているんじゃないですかね〜・・・
中野:  染みついちゃったのは何でなんでしょうね?
 エゴに振り回されちゃう。人間って放っておくと競争しちゃうのかな。さっきおっしゃった、農耕民族でさえ競争心がある。それで食べられなくなったらえどうしようという恐怖感が、やっぱり自分を武装しなきゃ強くしなければと煽っていくのかもね。そういう状況の中にいると、段々と何か普通に平穏な幸せは手に入らないものって思いこんじゃった気がする。
和田:  日本だけじゃなくて、いまの世界は恐怖がベースに成り立っていますよね。
中野:  恐怖ベースですよね。だから、私は地球儀を手のひらにおいて「フッ―」って気を送って肯定的にしちゃう。それから出かけてったら、肯定的な気に包まれたそういう人生になるんじゃないかって思います。これを聞いてウソ、ありえないと思う人は、恐怖ベースの道を行ってもいいと思います。歯を食いしばって頑張る道もあり、ですから。でも今まで頑張って下さった方たち、あるいは自己を犠牲にしながらも世界のためにほんとに粉骨して下さった方たちのお陰で、私のようにすごくお気楽なことを言いながら、楽しい波を自分の周りに広げることができるのだとしたら、何万年の歴史の過去の人たちみんなに感謝したくなりますね。
 私は生まれて何十年でその人の人生が終わるのではなくて、脈々としたものがあって、命のバトンタッチしていくんだと思うんですけど。そう考えると幸せに生きることの方が本当は無理がなく簡単なんじゃないでしょうか。それを苦労だととらえていく方が辛いんじゃないかと
和田:  昔のTVドラマ、おしんの様に、こんな風にして生きないといけないんじゃないか、つまり、その中からしか成長が得られないんじゃないかとかね。人も苦労しているのに、自分も苦労していないととかね。
中野:  新しいパラダイムを提供するのが今に生きる私たちだと思うんですよ。
中野:  自分の過去をどこも否定しないことがポイントです。でも従来通り、未だに頑張る人、自己犠牲しながらもこの世は修行だと思って歩む人には「どうぞそのままでいてください」って。 なにも否定せず、でもその道以外に「お気楽に楽しく人生を歩む道もありますよ」って選択肢を増やすのがいいですよね。つまり、多様性に強くなって、誰でも自分が選んだ道を行けますよっていうのが、これからの生き方の新しいパラダイムでしょうか。
和田:  そうですね。人それぞれの価値観はあると思うんですけど、だから努力して、そのあげくに最終的に自分の思う様な理想にたどり着くっていうのが、山の登り方として、そういう登り方が好きな人もいるだろうし・・・
中野:  好きな人がいる!
和田:  ヘリコプターで、チョンと山頂に行って「山頂の見晴らしっていいね」ってそれでもOKだと思うんですよね。
中野:  そう!そこでどっちがいいか、どっちが上なのか、高尚なのかって言った途端に、いつものレースが始まるんです。何でもあり、どれもお好きなように、少し山を登ったけど、あとは途中からヘリコプターあり、エスカレーターもあり。こういうとっても自由な世の中にわたしたちは生を受けていて、自分の人生は自分次第で生きていく、いくらでも。そして、いい仲間に囲まれて、毎日美味しいご飯が食べられるって、なんて素敵なのかしらんって思えれたら素晴らしいことだと思います。

 
「ゆんたく」で拡がるエネルギー
                  
和田:  ロミさんが最近、お仲間を集めて「ゆんたく」をやってるじゃないですか。
これは、実は、みんなそういう意志があれば、それぞれみんなどこでもやればいいと思うんです。
中野:  「ゆんたく」そのものは沖縄の方言で、おしゃべりとか、みんなが集まってしゃべることをいうんですね。私の「ゆんたく」っていうのは、一種の怠け心からでた、とても嬉しいアイデアなんですけども。 というのは、私が膨大な量の本を読んだり、映画を見たり、さまざまな体験をすることって、中々全部できない。でも、それを嬉々としてやっている方々をお招きして、テーブルを囲んでそれぞれの体験を話し、お互いの話から学び合うっていうオープンマインドの会を開いたら、自分プラス8人いたら8倍の効果があるでしょう。そう考えて、仲間とゆんたくを始めて何年にもなりますね。アメリカから帰って来てすぐですからもう十年以上。
和田:  へえ〜
中野:  一晩泊まりで行っていたこともありますし、今の様に午後から集まって話をすることも。ゆんたくをするうえで私の大切にしていることは、一にも二にも人選が大事、なんです。
 現実の数字ばかり追っていて、否定的なことを言って、評論家みたいな人は、私はゆんたくのメンバーにはお誘いしていません。だけど、夢ばっかり追っていて、ふわふわして現実味のない人もお誘いしていません。現実と夢見る心の両方を持って生きている人たちが集まったところのゆんたくのエネルギーはすごいですよね。そして、何という結論も出さないんだけど、その場で練ったエネルギーをそれぞれが持ち帰る。 その持ち帰ったエネルギーで翌日、職場で家庭でひらめきが多くなったり、ツキを呼ぶ体質になったりしている、こういう「ゆんたく」を皆さんが各地で始められたら面白いですね。
和田:  そうですね。やり方っていうのはないですよね。
中野:  はい。持ってきて欲しいものは、好奇心とオープンマインドと言っています。いろんな人の話を聞くのに興味がある、それからオープンマインドで多様性に強い、つまり「へ〜そんな人がいるんだ」とか「こんな考え方もあるんだ」とかをオープンに受け入れられる人、子どもの様に無邪気な人っていいですよね。
 そういう人たちと一緒にいるとエネルギーが高まり、すごくアイデアも湧くし楽しい。それが大人モードで、常に上から目線の人はゆんたくには向かないかも。
 お食事をしながら、ワインを飲みながら、あるいは、お茶を飲みながらでもいいし、みんなが参加して、とびきりの時間を過ごす。 それからもう一つ、そこでは理論ではなく、自らの体験をしゃべるのがいいと思います。よくたくさん本を読んで、うんちくを語る方がいるんですね。そういううんちくばっかりだと、何かその人が見えてこない。だから、必ず自分の体験に落としたことを、自分の言葉で語ってくれると、そこには大変豊かな知恵がある。これがゆんたく。
和田:  そこを信じることでしょうね。その人選も、ゆんたくをちょっとやってみたいなと思われる方は、自分のこういう世界を話したいっていうか、自分の一つの理想があって、それに合った人を集める。
中野:  そうですね。自分の夢を語って、現実がいかに悲惨かっていうデータじゃなくて、そういう事実があるんだけど、例えば、選挙を踏まえてこういうところが自分には夢がある、あるいは、こういうことを実現したいって話して、それに触発されて、みんながそれぞれの体験を語るなら、そこには高校生が入ろうが、90歳の長老が入ろうが、体験を話すという貴重な場だから、すごくリッチな場になると思います。
和田:  そうですね。フリートークでいいわけですよね。
中野:  どうやったらいいかと言うと、必要なのは「場」。それが、スターバックスでも何処でもいいんですけど。出来れば一つテーマを決めて、それについてみんなでしゃべりましょう。オープンマインドで、否定したりとか、対立するようなことは言わずに「なるほど」って聞くこと。それから、お互いに無邪気な好奇心を回すことっていう事でしょうか。
和田:  なるほど。
中野:  私は以前、ネイティブアメリカンの「ウィズダムサークル」知恵の輪という話を聞いてそのやり方を少し取り入れてるんですよ。ウィズダムサークルっていうのは、何か問題がある時に、みんなで解決する場。 そこではトーキングオブジェクトっていうのがあるんです。
和田:  トーキングスティックみたいな・・?
中野:  そう。トーキングスティック、話し手が持つ棒だったり、松ぼっくりだったり、トーキングオブジェクトを真中に置いて、みんなが囲んで、誰かがしゃべりたいって思ったら、これを持っている人だけがしゃべり、残りの人は、“心ある聞き手”役をしながら、次から次にしゃべっていく。この方式で2年間ほど試みました。そしたらね、おしゃべりの私が、心ある聞き手として聞いている、この満足度が高かったんですよ。今までは、すぐ人の意見に何か言ってあげたくなる。でもこのウィズダムサークルで静かに聞くことの豊かな体験に気がついた時に、今のゆんたくに発展したんだと思います。
和田:  なるほど〜。これから、あちらこちらで、これを読んでいただいて、やってみようかなっていう人がどんどん出てきてくれたらいいですね。
中野:  エネルギーが高回転して、そして、いつもならぼやきや愚痴で終わるものが、そこの場から帰ってきた時には「なんとかなる」とか「まあいいか」って思える体質になっていたら、それまさにヴォルテックスですよね。
和田:  そうですね。気のせい、気のせいって言って・・・
中野:  そう、明日は明日の風が吹く、感じですよ。
和田:  それが響き合って、自分たちの生き方や全てが良いものに変わっていくっていう一つのきっかけになりますね。
中野:  なります。まさに、このスピボイで和田さんがずーっとやって来たことも、いろんなきっかけを作って来ていて、一つの発信をしているわけですよね。そうすると池の中にポチャンと投げ込んだ石のまわりに波紋が広がるように、必ずどっかに良い影響が出て来てるんだと思うんですよ。それを信じて、楽しんでいくこと、でしょ。そう思います。
和田:  ありがとうございます。
 今日は、いろいろお話を聞きましたが、ロミさんも、これからいろんな活動をされていくと思うんですけど、当面はどういったところに注力されるんでしょうね。
中野:  当面はですね、新しい社会システムを提供したいなと思っているんです。それが先ほどちょこっと言ったソーシャルリース的社会の作り方、コミュニティーの作り方です。
私は、以前アメリカで、終末カウンセラーとして、末期の患者さんのお話をうかがったりすることがあったんですね。そういうことを踏まえて、人間に共通な「必ず人生の終わりが来る」ということに注目したいと思っているんです。人生の終わりのところをもう少し素敵な感じにしたい、終わりよければすべて良しという日本のことわざをそこに取り入れたらどうなるだろうと。老人ホームやグループホーム、ホスピスなどやほんとに人生の最後のところをもっと楽しい場にして、そこを包み込んだ地域のコミュニティーが出来たらと思っているので、それをゆんたくをしながら、いろんな人の意見を入れながら、練っているところです。
 これは、確実に実現していきます。それは、中野裕弓が実現しなくても、それを聞いた人が自分なりにやって、その何か遺伝子みたいなのが、私が受け継いだ過去からの遺伝子がまた次に引き継がれて何か形になっていくという事に疑いを持ってないし、それを少しでも早く実現させて、私もその中で笑って暮らして、笑って終わりにしたいなっていうのがビジョンです。
和田:  具体的に、ゆんたくをしながら、そういう構想を練っているんですね。
ロミさん自身も形が明確には出ていないということですね。
中野:  そうなの、まだわかりません。このプロセスが面白いですね。
 すべてわかってしまったら、後は頑張るしかないでしょ・・笑。実は、ゆんたくなどを通して気を練っていく中に、いろんな活動を含めて、人の交流を深めていく。このプロセスの面白さというのは、完成させる前のなんと楽しい、面白いことであろうかと。
 世界が100人の村のように、最後は、あたかもここが天国のように生きていきましょうっていうのを、私は実地で体験しているんじゃないかって思える。そんな気がしています。
和田:  これから、いろんな所でゆんたくが始められて、同じようなテーマで語り合って、別に誰がどんな形をしようが、参考になりますね。
中野:  全国に「ゆんたくツアー」っていうのを作っていこうかしら。
和田:  あっ、いいですねー。
中野:  ここで反応してくださった方が「うち、ゆんたくやりますけど、どうです」って言ったら、美味しいものがあったら、行っちゃおうかしら。
和田:  食いもんですか・・・笑
中野:  美味しいものと温泉には弱い中野裕弓ですから・・・笑
和田:  爆笑・・・いいですね〜!そういうのも面白いかもしれない。
中野:  和田さん一緒にどうです。
和田:  いいですね。でも、後を辿ったら、温泉地ばっかりだったりになります・・・笑
中野:  ゆんたくキャラバンっていうのも、楽しいと思いますし。
和田:  本当にいろんなお話を聞きました。これからもますます活動忙しくなりそうですね。
中野:  はい! 和田さんを介して、スピボイを通してご縁のあった方たちも、きっと偶然はないんですね。
和田:  ええ。
中野:  100%偶然はないので、ご縁があってここに来て、もしかしてこの中で、二人の対談の中にキーワードを見つけることが出来るとしたら、もうそこから何かがスタートしているそんな気がします。それで、みんなでお祭りしましょう。
 「人生は楽しい〜」って、地球に生まれて来て良かったというお祭りをしながら、楽しい人生を歩むっていいですね。
和田:  とっても力づけられますね!
中野:  やりましょう。ぜひ!
和田:  ぜひ、皆さん参加して、いろんな形で拡げて行けたらいいですね。
中野:  いいですね〜〜〜。
和田:  はい。今日は楽しかったです。本当にありがとうございました!
中野:  こちらこそ、楽しかったです。どうもありがとうございました〜!
  
中野裕弓 / プロフィール
人事コンサルタント、ソーシャルファシリテーター。
横浜生まれ。9年間の英国生活を経て、東京の外資系銀行にて総務人事、教育研修などに携わる。1993年、ワシントンD.C.にある世界銀行本部よりヘッドハントされ、日本人として初めて人事マネージャー、のちに人事カウンセラーとして4年余り勤務する。1998年、内なる自分の声に従い、帰国して独立。 現在は企業でのマネジメントコンサルティングや研修、コミュニケーションカウンセリング、執筆、全国各地での講演など幅広く活躍中。ベストセラー『世界がもし100人の村だったら』の原訳者としても知られる。最近はソーシャルリース(社会の輪)という構想を打ち立て、世界中の人々が有機的につながる社会のあり方を提唱。現在、認定NPO法人・スペシャルオリンピックス専務理事も務める。趣味はガーデニングとおもてなし。休日には自宅で仲間たちとユンタクを楽しんでいる。
【取材後記】

 ここ何年かの中で、ロミさんとの出会いは僕にとって大きかった。ロミさんと出会って、これまで曖昧だった感覚や自分自身を否定的に見るところがあったけれど、曖昧だった感覚は、明確となり、否定的に見るところは、自分への愛情に変わった。

 それは、ロミさんが、徹底的に、自分自身に優しく、自分を大切にしている。自分が大好きな人だからだろう。ロミさんが、人を大切にして、人を愛する力の源泉は、何よりも自分を愛しているからだ。インタビューの中でも、自画自賛の大切さを話していたけれど、特に、日本人は、自分を謙遜することが美徳とされるし、そのような文化の中で育ってきたので、それが行き過ぎて、自己否定的になりがちでもある。

 自分を大切にしないで、人に尽くす。自分を犠牲にして、他人に尽くすのは、一見、素晴らしいように思えるけど、自分を犠牲にして、1人に尽くすならわからないでもないが、10人に尽くすなら、一人のために犠牲になっていては、9人に尽くせない。変な理屈だけど、そういう意味でも、自分を大切にすれば、実際には、たくさんの人に貢献もできる。何よりも、嫌なことは続けられない。だから、自分を大切にする。自分の思いを大切にする。自分に正直になる。これはとても大事なことだ。

 僕も、最近は、こうした調子で、自分大好き人間になった。自分に甘くて、わがままにも思えるけれど、そのくらいで丁度いい。そうすると自分が満たされるから、求めることも少なくなる。だから、他人にも優しくなれるし、寛容に、受け入れることもできる。

 人からの批判も気にならない。人には、人の考えがあって、それは、その人の中で起こっていることで、その人の価値観なのだ。だから、気に病んでもしかたがない。ただ、自分にウソをつくのは、自分を傷つけてしまう。だから、正直になるのだ。そうしていれば、人からの批判も、自分が正直ならば大丈夫。そうしていると、そもそも批判も起こらない。批判されるようなことはしないからだ。

 僕の中で、曖昧だった感覚とは、スピリチュアリティに関してのこと。自分の中で、明確にあったけれど、それを軸に人生を生きることを躊躇していた。スピリチュアル・ボイジャーズをやっているにもかかわらずだ・・・笑 でも、軸足をスピリチュアルに置くことを進めてくれたのもロミさんだけれど、そうしたときに、自分の人生が軽くなった。そうだ、それでよかったんだ。スピリチュアルな人でいいじゃない。そういう人と言われてもいいじゃない。そう、なんでもいいのだ。

 ロミさんとは、公私ともに親しくさせていただいている。いつも元気をくれるロミさん、ありがとうございます。これからの国づくり。楽しみながら、やっていきましょう。応援しています。

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