カウンセラーは、答えは持っていない。
提示はするけど結論は示さない。一緒に考える。

ワダ:
今回のクエストカフェのインタビューは、臨床心理士の向後善之さんにご登場いただきました。
こんにちは。今日はよろしくお願いします。
向後:
はい。よろしくお願いします。
ワダ:
さて、向後さんとは、僕のお友達で、大好きな人生の先輩である、ピアニストで音楽家のウォン・ウィンツァンさんとのご縁からの繋がりなのですが、それに関する深いお話は、後ほど、させていただくとして、向後さんの活動からお話をお聞きしたいと思います。
向後さんは、ハートコンシェルジュという組織で、臨床心理士として、主にカウンセリングをされているのと大学院でも教えられています。講座も行われていますが、カウンセリングの指導みたいな?
向後:
はい。カウンセラーになりたい人たちの指導とか、それ以外にもプライベートで、セラピストビレッジというコミュニティーを作ったのですけど、そこでカウンセリングに勉強会やワークショップを行なっています。
ワダ:
グループワーク的なこともされていますね。
向後:
そうですね。グループワークは、例えば、ウォンさんと新海さんと一緒に体験的グループセラピーをやったり、あとは一般向けにカウンセリングスキルの勉強会や、プロやカウンセラーを目指す人向けのロールプレイのトレーニングを通して、スキルアップみたいなことをやったりとか。
ワダ:
なるほど。今日、初めてハートコンシェルジュさんにお邪魔したんですが、アロマの香りが心地よく、素敵な場所ですね。
向後:
アロマの香りは、女性スタッフがやってくれてるんですよ…笑
ワダ:
ええ、確かに向後さんの香りじゃないですね。…笑
向後:
僕の香りじゃないでしょ。…笑
ワダ:
カウンセリングの場所が、普通のオフィスみたいな無機質なところだと落ち着かないし、品のいいホテルのような感じですね。環境も精神的に影響を与えるでしょうからいいですね。
向後:
結構お金かかったんですよ。防音にしていて、隣の声が聞こえないようにしました。
ワダ:
素晴らしい配慮だと思います。隣の話が聞こえてもいけないし、集中もできませんね。
カウンセリングって思い悩んで、苦しいから来るっていうのもありますが、本来は日々の日常の中で、何か自分の中に溜め込んでいるものをちょっと聞いてもらえる場所として利用してもらいたいところですよね。
向後:
そういう、ちょっとしたテーマで来られる方が、いま多くなっています。
ワダ:
そうなんですか。
向後:
ハートコンシェルジュはここで10年なんですけど、その前、日本で始めたのが15年ぐらい前かな。あの頃はかなり重篤な人、例えば鬱のどん底で死にたいとかいう方々が、すっごい多かったですね。
そういう人たちは今も来られますが、それ以外に、精神的にトラブルを抱えているレベルではない、普通に会社に行けてる人たちが来るケースが多くなっています。そういう人たちが半分近くになってきてるんじゃないんですかね。
ワダ:
気軽な気持ちで、自分の思いを吐露して、またリフレッシュして帰っていくというか、そんな場所は、大切ですよね。
向後:
そういう人たちは、展開が早いんですよ。大体そういう人たちは5回以内で、実生活の中で適応していくみたいな、あとはメンテナンスで来ていただくというケースが多くなっています。
ワダ:
それは、自分の中で抱えているものを自分でうまくリリースする方法、ワンポイントを伝えてあげたりとか「こんな風にしたらいいよ」とかもあるんですか?
向後:
それもあります。人間関係とか、パワーハラスメントとかで悩んでいるとか、そういう方々が多いんですけど、アドバイスとしては、行動面のアドバイスをちょっとしたり。例えば、パワハラだったら、まず、サイコエデュケーション的に知識の部分で、パワハラとは何かを知ってもらいます。パワハラのパターンって決まってるんですよ。その後、内面に入って行きます。パワハラの被害者の人たちは、自分の感覚、感情っていうものを押し殺しちゃってますから、そこのところを活性化させる何らかのアプローチをして、それで元気になって帰ってもらう。
ワダ:
カウンセリングでは、意図的に、もしくは無意識的に、カウンセラーとしての技というか、テクニックみたいなものは使うんですか?
向後:
それはほとんど意識してないですね。カウンセリングにおいて、テクニックというのは二次的なものだと思っています。
要は、カウンセリングとは、「興味」だと思うんですよ「好奇心」。クライアントに対する興味。「この人は何に悩んでいるんだろうか」とか、「何でこういう考え方に至ったんだろうか」とか、良い悪いではないんですよね。
例えば、アクティングワークで「ワー」となる人っているじゃないですか。何がきっかけで、どのポイントでアクティングするんだろうと。
ワダ:
ヒステリック、感情的になるってことですか?
向後:
そうそう。感情が爆発しちゃうんですよね。切れちゃうっていう状態とかですね。
例えば、引き蘢っている人たちの中には、家庭内暴力がある場合があるわけですよ。家庭内暴力になっていく時に、暴力の場面と出くわすわけですけど、なんでここまでこうなってしまうんだろうかってね。良い悪いじゃなくて興味があるっていうか、興味があるって言うとちょっと誤解されるかもしれないですけど。
このメカニズムはどうなっているのか、みたいな純粋な興味なんですよ。そうした興味を持って、よくよく見てるとクライアントが、例えば「お母さんの方見てない」ことに気付くんです。
ワダ:
それは視覚的というか、一緒にそういう場面で、お母さんやお父さんがそこに同席されていて、でも本人はそこを見ていないという意味ですね。
向後:
はい。母親の方を見ているようで見ていないんです。少し視線がずれていることが多いですね。そして、彼らの怒りが、やがて僕の方に向かってくるわけです。その時、やはり僕の方を見ない。見てるんだけど見ない。何でだろうな?って思うわけですよ。
見ないっていうのは、彼の中に何かが起こっているんだろうなっていうことになるんです。その辺の興味ですね。
見ていないということは、現実を見ずに、自分のドラマ、ドラマとは思い込みみたいな意味なんですけど、そのドラマで、世界を解釈しようとしていることを示しています。彼らのドラマで見えてない部分で、僕の方が気づいていることがあります。「こんなこともあるじゃない、これはどういう意味んだろうね」と一緒に考える。僕は答えを持ってるわけではない。だから提示はするけど結論は示さない。
ワダ:
「あなたがこういう状態になるのは、一般的にはこういうことだから、あなたはこうです」という診断をくだすわけではなく。。。
向後:
それはほとんどしないですよね。だって診断で根本的な問題が解決するわけじゃないですし。
最近、やたらに「発達の問題」という言葉が氾濫してますし、統合失調症とか、適応性障害がある時バッと増えたり。
適応性障害っていったらさぁ、猫もしゃくしも適応性障害って言って、最近は何かね、朝起きれない子供たちのことを、起立性調節障害って言ってね、名前付けちゃう、それがが悪いとはいいませんけどね、だけどそれを理由にして変な方向に行ってしまうこともあります。
「僕は起立性調節障害だから、学校には行かなくてもいいんだ」みたいに。学校に行かない理由に使われちゃう可能性もあるわけですよ。だから、診断は慎重にしなければいけないと思います。
ワダ:
そういう子どもが増えてるというのは、もしかして単純に学校が面白くないからとか、もしくは親のいうことを聞きたくないからとか。
向後:
いろんな理由があるのだと思いますけど、起立性調整障害ということで、なんとなくわかったような感じになって、なんでそういう状況になったのかという理由が消えてしまうことがあります。本当は、家の中がゴタゴタしているっていうのがあったりね、あとは自分で何も決断できなくなってしまうとか、深いテーマを持っていて、それが朝起きれないので不登校というカタチで現れたりする場合もあるのだけど、それを全て起立性の身体的な問題に還元しちゃうということもあるように思います。「病名」をつけてしまうことで、それ以上の深い探求がストップしてしまって、返ってよくない状況が長引いてしまうということがあります。
photo

見えない虐待の増加。
気づかないうちにコントロールされている。

ワダ:
向後さんは、カウンセリングのお仕事を何年ぐらいされているんですか?
向後:
そうですね、最初にクライアントを診てから18年ぐらいですね。
ワダ:
昔に比べるとカウンセリングは身近になったのでしょうか?
向後:
そうですね、鬱の人、不安の人は相変わらず来てますし、統合失調症の方も時々来られます、その人口はずっといるんですけど、ただそういう人たちがね、特に鬱なんかそうなんだけど、精神科医なんかにわりと行きやすくなりました。
その分抵抗がなくなってきたということで、実際には、近年はちょっと少なくなってきてるんですよ…笑
精神病院っていうところが、非常に行きにくい感じだったんですけど、今はクリニックだとか、心療内科だとかやってて、すごく行きやすくなってきたから、そうしたいわゆる精神病理の人たちはちょっと少なくなってきて、その分心療内科などの医療機関に流れていってます。
ワダ:
なるほど。
向後:
だけど、その代わりに、ちょっとした悩みだとかね、あるいは、いわゆるポジティブカウンセリングっていうか、コーチングというか、前向きな方面の相談でもいいのよっていうことで、いわゆる精神病理じゃない人たちが増えてきたという感じですね。
あとはね、医療機関で薬を処方してもらっていて、カウンセリングだけうちに来る人の割合は増えて来ました。それから、同じような症状でも違う病名を診断されて来られることも多いです。
ワダ:
名前っていうのは?
向後:
いわゆる、以前は、鬱と診断されただろう人が、適合性障害という診断名がついていたりね。(笑)社会が作り出す病名ってあるのかもしれませんね。それ以外にも、新型うつとか。例えば、会社はいけないけど、遊びには行ける鬱の人たちのことです。今増えてるのは大人になってもね、ポキポキ折れちゃう人ですね。
ワダ:
骨が?
向後:
いやいや、心が…笑
ワダ:
(爆笑)僕が思ったのは、精神的な疾患から、何か骨が溶けだしていくのかと思って…笑
向後:
そういうのは知らないけど…笑 応用力が無いというか、何かちょっとしたつまずきで、この世の終わりみたいになって、会社に行けなくなっちゃうとか、そういう人っていうのがすっごい増えてるような気がしますし、あとは、僕がちょっとパワハラ系の本を書いたからかも知れませんけれども、パワハラ被害の人がすごく増えてますね。
ワダ:
それって例えば、僕の親父は、若い頃、星一徹のように、ちゃぶ台ひっくり返したことが何度かあるんですが、僕たちの世代の親父って、結構ちゃぶ台ひっくり返している人多かったりみたいな、あれもメディアの影響が大きく、当時の時代の空気感として、ちゃぶ台ひっくり返してたみたいな世界があったじゃないですか。
あの頃って、高度成長期で、パワハラをパワハラとも言わないし、みんな一丸となってなんか国家建設のためにやって行く的なムードとしてありましたよね。
向後:
あったですね〜
ワダ:
今の時代は、昔みたいに、ちょっと強引なやり方ってできないですよね。
向後:
いや、あのね〜その側面無きにしもあらずだけど、ほんと気持悪いことやってるんですよ、パワハラって。。。
巨人の星の星一徹っていうのはね、わかり易くてドカーンって。そういうのじゃなくて、ネチネチ、ネチネチ、最近のパワハラは、本当にしつこいんです。それは気持悪いなと思ってるんですけどね。何ていうかな、いわゆる高度成長が無くなったというのが関係してると思うんですけどね。これから良くなるっていう見込みがないじゃないですか。
そんな中でね、自分が頭打ちなのに、まだ上行くぞみたいな欲求に固執しているとどうなるかっていうと、力学的にね、目下のものを潰すことによって、自分の優位性を維持しようとするみたいなところが出て来るわけです。お前はダメで、俺は優れているということをネチネチと言って来る。その辺が、その昔の星一徹とは違う感じですね。ポキポキ折れちゃう人も増えてるのと、ネチネチする人も増えてる。
それとあなたのためよ的な「君のために言ってるんだ」みたいな、首を絞めていくみたいなねちっこい感じだよね。星一徹って、ただのエゴですから分かりやすかった。
ワダ:
(爆笑)ですよね。
向後:
てめぇ〜巨人の星になれって言ってさ、酷いもんですよね。あんな風に言われたら、「うるせ〜!親父」って言えるじゃないですか。
ワダ:
でも、あの星飛雄馬の目の炎とか、一球入魂的なものって、怒りの炎ですよね。
向後:
アハハ(爆笑)かもね…笑
ワダ:
あれはあれで、ひとつの消化した姿なんでしょうけど。
向後:
いやぁ〜それで対抗することができたから、原作者の梶原一騎(高森朝雄)さんがどういう意図で描いたかわかんないけど、対親父っていうことだったら、それがエネルギーに転化しやすいんですよ。ああいうシチュエーションなら。
あなたの為よ的なネチネチで来られたら、何か俺が悪いんだみたいな感じになって、逆らうことができず「すみません、僕がいけないんですね」的な話になり、鬱っぽくなっていく。そういう感じっていうのが今増えてるんだろうな〜って思います。
ワダ:
今は何でもかんでも細分化されてますよね。昔は、ものがなかったり、仕組みが無いから全部自分たちでいろいろやらなければいけなかった。今は、専門分野が増え過ぎてきているというか、新たな分野に名前を付けていくのもそうじゃないですか。
そういう意味で応用の利かない人たちが増えてきていて、レジリエンスがないみたいな。
向後:
そう、それにマニュアルが増えすぎですよね。だからね、素直に怒っちゃえばいいわけですよね。例えば、子供に対しても「バカヤロー!」って言っちゃえばいいんだけど、そういうことを言わずに、だけど決して自分の思った通りのこと以外のことを許さないみたいなことをね、巧妙にコントロールしているみたいなのは増えてると思いますよ。いわゆる見えない虐待みたいなのね。
ワダ:
国がそれをやってる気がしますよね。
向後:
うん、そうかも知れないね。
ワダ:
カウンセラーと一言で言っても、いろいろなタイプの方がいますよね。当然ですが。
生い立ちから何もかも違うし、人生の文化が違う。そうすると、同じようなトレーニングを受けても、その人によって変わってきますよね。
なので、カウンセリングを受けてみたけど、その人とは合わないとかってありますよね?
向後:
ありますね。だから、例えば、僕に合わない人は、別のカウンセラーに行った方がいいよね。僕も抱え込まないで「僕よりこの人の方がいいですよ」みたいにね、伝えるって必要だと思うし。
そもそも、僕はすごくへそ曲がりなんですよ。よくみんな信じられるなぁと思うのね。新しいカウンセリングやセラピーの理論とか出てくるじゃないですか。これからは認知行動療法だって言ったりね。「DBT」だ「ACT」だと言ったり「マインドフルネス」だと言ったり、最近は「ソマティックス」とか流行ってるでしょ。
いや、みんな正しいんですよ。でも「これからは」っていうのは違うんじゃないかなぁ。どの理論だってね、限界があるんですよ。認知行動は認知行動の限界があるし、ソマティックはソマティックの限界があるし、どうもそれが「絶対」になっちゃうんだよね。
ワダ:
特にそれをやっている人たちにとっては、自分たちが気がついたというか、知り得た新しい知識っていうものをやっぱり印籠のように「すごいんだぞー」と出したい人もいますよね。
向後:
大してすごくなくても「すごいんだぞー」と言ってる場合ありますね〜…笑
ワダ:
いろいろやってみて、その人にフィットすればいいですよね。
向後:
そうそう。そういう検証も必要なんですよ。まず一番最初に、目の前にいるクライアントが一番大事でね。その人がNLPが合うんだったらやればいいし、認知行動療法が合うんだったらやればいい。
だけど、そういう理論の奴隷になってはいけないってことですよね。欧米で考えられた理論が多いわけで、日本人にはちょっと、アレンジしないと当てはまらない理論だって沢山あるわけだし、その辺のことを考えながらやっていかないとね、なんかカルトじゃないけど、そんな感じになっちゃうのは嫌ですね。
photo

大手石油化学会社の工学系会社員から
アメリカ留学、そして心理カウンセラーへと転身。

ワダ:
向後さんは、実は若い頃は、岡山は倉敷、正確には水島に住んでいましたね。
向後:
元々はエンジニアで、金属が壊れないようにするには、どうしたらいいかっていう破壊力学をやってたんです。
ワダ:
水島工業地帯の大きなコンビナートですね。
向後:
その中のM石油で働いていました。
ワダ:
岡山でご結婚されて、そして、なぜ会社を辞めることになったんでしょうか?
向後:
そもそも、最初に心理学に興味を持ったのは、高校のときなんですよ。僕は理系でずっときてたんで、ある時に宮城音弥さんってね、東工大の先生なんですけど、精神分析の先生が書いてる一連の本が岩波新書からでてて、それを何かたまたま手に取ったんですよ。それで読んだら面白かったんですね。
何とまぁ精神分析って論理的じゃないですか。ある面、数学的、論理学的なんですよ。文系の中にも、こういう素晴らしい理系的な、論理的なのものがあるんだと思って、すごい興味を持ってね、それで読みまくったんですよね〜。
だから現役の時にそうやって読み始めて、それで大学は心理学科を受けようかなーと思ったんです。だけどね、理系のトラックで来ちゃってるから、変わるの難しくてね、理系に入って文系に変わろうかなって思ってたんですけど。
工学部から文学部ってそんなに難しくないかなって甘いことを考えてて、それでまぁある大学を受けたんですけど、2年連続第一志望の学校に、落ちましたね。
それ以上浪人するわけにはいかないから、どうしようかなぁと思っているうちにね、遊んでばかりいたので、文系へ変わるなんてとても無理になってしまって、結局ずるずるとそのまま受かった学校の工学部に通いました。その後石油会社に入ったんだけど、大学・大学院時代、心理学の本をずっと読んでいたんですよね。
その頃、マズローの本とか、ロジャースの本とか読んでたんだけど、そのうち吉福さんのトランスパーソナルの本とか読み始めちゃって、そこで、かなり洗脳されたんですね。強烈なインパクトが。(笑)
会社員になってからも、ケン・ウィルバーの意識のスペクトルなんか読んでたら、面白くて。会社員になってからもそんなのばっか読んでたんですよねー。
ワダ:
会社を辞めるに至ったのは、やはり、その道に行こうと決意してと言うことですか?
向後:
始めは、東京のゲシュタルト研究所というところでやっていたワークショップとかに、岡山から週末のワークショップへ金曜の夜に行って、そのまま丸2日ぐらいのものを受けて、日曜日の夜中に帰るという。いま思えば、よくやったねなと思うんですけど。あと自己啓発とかも行きましたね。
ワダ:
それはゲシュタルトセラピーということですか?
向後:
ゲシュタルトと言ってもね、ゲシュタルトみたいなっていう感じで、年8回くらいのコースだったんだけど、いろんな先生が泊まりがけのワークショップをやるんです。
それは面白かったですね。いろんな方面から自分を探求していくみたいなね。そういうことをやっているうちに、その中でアメリカのリッキー・リビングストンっていう人がいて、奥多摩で泊まりがけのワークショップで食事してる時に、いま僕はエンジニアだから、将来、放送大学に行って、セラピストでもやろうかなと言ったら、リッキーが「何でいま行かないの?」って…笑
アメリカ人って能天気だなって思うんだけど「何で行かないのって」言ったて、僕は、その時英語がほとんどできなかったから、通訳の人にお願いしてしゃべってたんだけど、英語だってこの通りだしね、工学部で進んで受入れてくれる大学院なんてどこもないですよ。
そしたら「アメリカにいっぱいあるわよ」って言われて…笑
だから俺は英語がそんなにできないって言うと。英語勉強すればいいじゃないって言ってね。
「アメリカ人はみんな英語しゃべってるわよ」って、そりゃぁそうだろうと思うよ。それで、だんだんインプットされていって、取りあえず英語の勉強を始めたんです。勉強すりゃ英語って伸びるもんだと初めて思いましたけどね。それで英語が伸びてきたから、本気で考えるかみたいになって、それで願書出して受かっちゃったと。
ワダ:
それはいくつの時ですか?
向後:
受かったのは37才の頃。
ワダ:
すごいですよね。普通の人からすれば、M石油で安定してて、奥さんもいて、それで辞めてアメリカに行くっていうのは、やっぱりなかなか飛び出せないですよね。
向後:
そうだね〜でも、迷いましたよ。奥さんには早くから言ったんだよね。こういうことを考えてるんだよって。かなり悩んで「どうしようかなぁ」と言ったら、あっさりしてますよね。「いいんじゃない、あなたサラリーマン向いてないから」って…笑
ワダ:
奥さんすごいですねー!
向後:
「行くのはいいけど、路頭に迷うのは嫌よ」っていわれてね。そりゃそうだなぁと、でもその確証もなかったから。
ワダ:
奥さんも一緒にですか?
向後:
はい。
ワダ:
でも良い時間だったですね。日本に帰ってから、すぐにカウンセラーとして活動されたんですか?
向後:
大学の教員のオファーがあって。こんな美味しい話はないよと思って、いいのかなと思いながら、その頃日本の大学で、臨床心理学科っていうのができ始めていたんですよ。それで、実際にカウンセリングをしている人って当時は少なくて、それがきっかけで帰国したんです。
3年大学に勤めながら両国に自分のオフィスを作って、そのオフィスを1人でやってたんですどね。そんな時、ある商社の人たちから「カウンセリングのビジネスを一緒にやりませんか」って言われてね、それで結局、青山にオフィスを移してそこで何年間かやり始めて、それでクライアントは結構ね、宣伝費は出してくれたから増えて、その次に渋谷ですよ。
渋谷の一等地にオフィスができて、そこでずっとやってたんですけど。そのうち商社も気づいたんでしょうね。そんなに儲からないと…笑
ワダ:
なるほど。
外資系で東京に来てる外国人の精神的なケアなどで、リーマンショック前までは、受容は大きかったんじゃないですか?
向後:
そうですね。それまでは右肩上がりで、リーマンショックでがたんと落ちて、それから少しづつ回復してきているという状態ですね。
photo

僕らができるのは、その人がつまづきそうな時、
「ここに小石がありますよ」と言ってあげるくらい。

ワダ:
僕は、20歳の時に、吉福伸逸さん関連の本に出会ったんです。もう30年くらい前ですね。
向後:
80年代。ちょうど盛りあがっている頃ですね。
ワダ:
一番最初に見つけたのは「精神世界の本」かな平河出版の、今も持ってますけど。
ありとあらゆる精神世界の内容を網羅している本の紹介本で、あと工作舎のパラダイムブック。あれが、僕のエッセンスだったんですよ。
向後:
僕もそうですよ、あれ。
ワダ:
あ、そうなんですか。当時、全然意味がわからず、ただ、わかんないんだけど知的な内容にとても惹かれて、すごく刺激があって、全然わかっていないのに、友達や先輩にそれを一生懸命説明してました。。。笑
向後:
僕もすごく影響されて、ワクワクしながら読みましたよ。あれ面白いもん!テーマは繋がり感なんだけど、何か希望があるじゃないですか。
ワダ:
パラダイムブックのどこかに書いてあったんです。
神秘の山を科学者たちが登り切った山頂に、瞑想をしている老師がいたみたいな、東洋思想では最初からわかっているところを一生懸命科学しているみたいな、そういう比喩があって。当時は、ようするに精神世界でいいんだと、感覚的にもわかっている事だし、そこにもうあるもんだからということで、逆に知ったような気持ちになって、科学的なプロセスを大切にしない時期がありました。下手したらカルト的なものにポンポンポンと腑に落ちるところがあったら、そっちに転んでたかもしれない。
向後:
いや多くの人がそういう感じを持ったと思うんですよ。僕も言ってみればその頃、そのワークショップや何かでていた時で、元理系の論理的なものからもっと直感的なところに吸収していくわけじゃないですか。「こっちの方が正しいんじゃないか」っていうようなね、錯覚みたいなものを持ちましたよね。バランスが必要なんだけど、その辺のところは一歩間違えれば、僕もカルトの方に入ってもおかしくないところですよね。
ワダ:
向後さんは理系だから…笑
向後:
ただ僕の場合はね、へそ曲がりなところがあるんですよね。キラキラキラって輝いて来られてもどうだかなってしまうんです。あるワークショップに参加した時に、それは留学する前なんですけど、お昼休みがあって、それで目の前のちょっと可愛い女の子からしげしげと見つめられて何か嬉しい気分になって、その子が言うには「向後さんは、何とか星から来ましたね」って言うんだよ…笑
えっ?って思っても可愛いから話合わそうかなって思ったけど、でもこうなっちゃうと僕の中で違和感が出てくるわけですよ。それで踏み止まったって感じかな。
ワダ:
最終的にやはり行き着いてる感は、自分の感覚を大事にするということと、その感じてるものが本当なのかどうかは誰にもわからないみたいな、そこの中から感じてる事だけが真実であるみたいな、何かそういったことを気づくことによって「それってどうなのかな?」好奇心を持って今の状態を見るっていうかね。それと繋がっているような気がするんですけど…
向後:
僕もそう思いますよ。吉福さんもたぶん80年代とか90年代は、当時、僕はまだお会いしてないので、その頃どうだったかわからないのですが、おそらく僕が会った2000年代の吉福さんとは大きく違うと思うんですよ。実際、吉福さんもハワイに行ってた10何年の間に、自分自身の考え方を見直して、がらっと変えていったらしいんですよね。
だからやっぱりトランスパーソナルだとか、スピリチュアルだとかのエッセンスは残しながら、無駄なもの矛盾しているものを全部剥いでいってたんでしょうね。
そんな彼のやってたワーク、セラピーから最も教えられたところは、自分自身をいかにごまかさずにいるかってことですよね。
自分の中のエゴがいろんな働きをするわけですよ。エゴも、超自我も。例えば、クライアントさんを目の前にして、その人に最もいいようなカタチで働きかけると、拮抗するカタチで働きかけるって、僕は言うんですけどね。
向こうの反応と同じような力で支えていくっていうような、そうすると自然にプロセスが進み始めるっていう考え方なんですけど、相手に完全に寄添っていく、その時に自分の中の偏見なり思い込みなり、欲求や執着。そういったものを捨てさらないと、完全には寄添えないというような考えですね。
ワダ:
それは何かクライアントに対しての判断が、どこかに入っているってことですか?
向後:
判断というか、思い込みですね。判断はどこかでする場合があると思うんですけどね。いろんな意味でクライアントに対する判断というか、僕自身が「対応できないぞ」という判断もしないといけないし。それなのに、エゴが出て来てできるふりをしちゃったりするんです。例えば吉福さんのワークに出ていると突然吉福さんが「向後さん何かやってよ」っていうので、いろいろ反応が出ている参加者に対応するわけだけど、一応、僕はアシスタントだし、プロだし、となるといい格好を見せたくなるわけですよ。どこかで。そうすると、いろいろ恥ずかしい事をやっちゃいますね。
ワダ:
笑 具体的にはどういうことですか?
向後:
例えば、クライアントが泣いたら感動したような気になるじゃない。その手のことをやっちゃうのね。そっちの方に誘導しちゃうんですよね。
ワダ:
無意識にやってしまう…
向後:
半無意識と言った方がいいかな。だから、クライアントさんのための参加者だけど「あなたのためよ」と言いながら、無意識に誘導してしまったら、今日の最初の頃に話した、社会とか家庭がやっている、見えない虐待と同じ事をやっちゃうわけですよ。
ワダ:
例えば、グリーフセラピーという言葉がありますけど、自分の中にある抑え込んでいる悲しみみたいなものを出して泣けると楽じゃないですか。
向後:
はい。
ワダ:
そういうワークとしてセラピーとしてあるけども、その人が悲しみとか、持っているものがあるとした時に、ただそれでその人が泣きそうだなぁという時に、意図するわけじゃないけど、持っていって泣いちゃったら、結果的にはいい感じになっているように見えますよね。
向後:
そうですね。
ワダ:
でもそれは決して、正解とも言えないわけですよね。
向後:
自然に泣きたきゃ泣けばいいし、泣いてる中に、もっと違うものが出てくるかもしれないけど、例えば、泣き始めるまでは自然に起きたとしますよ。そこのところで、どんどん強化していって、もっと泣けみたいな感じで、悲しい場面もどんどん思い出せちゃうみたいなのは違うんです。
ワダ:
なるほど…
向後:
自然に泣きました。泣いてるけど何か違う場面を思い出してきました。「悲しい」という感情だけではなくて、他の感情が浮かび上がってきましたみたいな、そういうプロセスに付き添っていくということが、僕らの役目だと思います。せいぜい僕らができるのは、何かつまづく小石みたいなのがあったら、それを「ここに小石がありますよ」というぐらいなんですよね。だけどカッコいいとこ見せようとパフォーマンスしちゃうんですよ。
ワダ:
それを吉福さんに後から指摘されちゃうわけですか。
向後:
そうそう。だから「過剰介入だ」とか言われましたね。過剰介入でもなく、過小介入でもなくというそのバランス、完全にクライアントのプロセスに完全に添っていくっていう方法を学びました。ある時は、僕は過剰介入だったし、過剰介入し過ぎたなと思ったら、今度は過小介入になって「何で行かないの」とか言われてね。
photo

「僕はこう思っていますよ」って、はっきり表明する。
それは、自分自身のトレーニングでもある。

ワダ:
僕は吉福さんとはたった1度しかお会いしてないんです。今から13、4年前かな。それより前に、吉福さん、8年ぐらいワークショップとかから離れて、隠遁してた時期がありましたよね。たまたまご縁あって、8年ぶりにマウイ島でワークをやるというものに参加できたんですけど、それで初めてブレスワークをやりました。進化の過程を辿るワークとか。結構きついというか、激しいワークでした。。。自分のトラウマを見たりとか、この時の体験が、僕の人生の分岐点のひとつにはなってる気がします。
吉福さんとお話して「それってどうなの?」「それって本当なの?」みたいな言葉が印象に残っていて、いまもどこかで響いていて、そのように自分を省みるというか。
向後:
「それってどうなの?」っていうのは、吉福さんは仮面が嫌だったんでしょうね。仮面でしゃべるっていうのが。今の社会ってみんな仮面を被ってて、それが仮面なんだかどうなのかすら、自分でもわかんなくなっちゃった感じとかあるじゃないですか。そういのを近くに来た人たちと「それは仮面なの?それともあなたなの?」みたいな感じで聞いてくるみたいなね。
ワダ:
ああ〜なるほど。誰かが批判するかも知れないけど、ありのままの自分でいる。それは開き直りではなくて、すべて明け渡すというかサレンダー=降伏する、、、そういう自分のポジションを築いておくとすごく楽だなぁ〜って思います。
向後:
そうなんですよ。自分をさらけ出すっていうこと。例えば、僕みたいなひねくれ者は受入れられないものについては、だまっておこうというのが基本的なスタンスだったわけですよ。
表面的には「そうですね、そうですね」って、良い人を演じているっていうのが僕のパターンでした。だから、今では逆に、ブログでも何でもね、自分の思ったことは言ってしまおうと思っているんです。ただ制限はありますけどね。本当はもっとぼろくそ言いたいところだけど…笑
そこのところまでは言わないですね。個人攻撃はしないで、自分の言いたいことは「僕はこう思っていますよ」って、はっきり表明するってことは自分自身のトレーニングでもあるんで、そのつもりでやってるんですよね。それを可能にしてくれたのは、吉福さんとの付き合いですね。あの人自然ですから。
彼はね、道で出会った人とでもすぐに話し始める。よく吉福さんとワークショップの前に散歩に行ったんですけど、漁師の人には話しかけるわ、そのへん歩いてるおばちゃんにも話しかけるわ、中国のマッサージの女性にも(笑)
ワダ:
人が好きなんでしょうね。
向後:
すごく好奇心旺盛でね、面白いですね。「何が釣れるの」って入って行くし、マッサージの子には「お客さん来ないの?」とか…笑
それでね驚いたのは、その時にずけずけと言いにくいことを言うんですよ。僕ら遠慮するじゃない。
ワダ:
はい。
向後:
ところが彼は、中国っていうのは都市部と地方部で随分格差があるらしく、地方の人は都市部に入入りにくいんだそうですね。それで、都市部の仕事はしにくいというような話を、吉福さんは話を、中国人の女性に投げかけていくの。「そうなんでしょう」って。
向こうは答えにくいんだろうなと思ったらそうでもなくて、自分からペラペラ話し始めて、ひとりっ子政策の話とかになっていって、実は2人目もいるんだよとか、実は総人口は、13億人ではなくて16億人だとかいう話が出てきたりするんです。そうすると、吉福さんが嬉しそうに、「向後さん16億人いるんだってさ、3億も違うね、日本の3倍だよ」とかいう話をね、無邪気にやっていく。何の構えもなくす〜っと入っていく姿を見たらね、ああ〜いいなと思ったんですよね。
ワダ:
無邪気さって大切なポイントなんでしょうね。社会全体を見ることも大事だけど、こうした個人との身近な付き合いのなかに本質を見つめるというか…
向後:
僕は吉福さんの書いたり訳したりしたトランスパーソナルの本を読んで、宇宙との一体化みたいなことをイメージしてたのですよ。元々トランスパーソナルってそんな感じがあったじゃないですか。ただ、そのこと自体には、ずっと小さな違和感を持ってたんだけど、ずっこけちゃったのは、吉福さんと会ってちょっとした頃かな「僕は上座部仏教だよ」って…笑   ※上座部仏教(小乗仏教→昔は大乗仏教に対して小乗仏教と言われていました。)
皆さん繋がってますってのは、上座部仏教っぽくないじゃないですか。上座部仏教って、あくまで自分のことを追求していくみたいな感じで、宇宙との統一かなんてわかりませんって、せいぜい目の前にいる人と目の前にある自然と繋がってるかなっていう感覚はあるけどということで、徹底的に自分を見つめるっていうところに戻っていったみたいな感じなんですよね。
ワダ:
なるほど〜
向後:
ちょっと待てよって言いたくなりますけどね。トランスパーソナルで、個を超えるってさんざん言ってたのに、最後は自分かっていう…笑
吉福さんは、どこか違和感を感じていたのでしょうね。
「スピリチュアリティっていう言葉に色がついた」ってことをいわれたことがあって。まぁこれは僕なりの解釈ですけど、「スピリチュアリティ」っていう名前の元に、何か「私はこれができていますから、あなたたちより優れてるんです」というスピリチュアルなエリート主義みたいな意識が見え隠れするでしょ。
僕はああいうことを言ってるのかなぁと思っていますけど、もっと広い意味で言ってるのかも知れません。
ワダ:
もし吉福さんがまだ元気でおられたら、また10年後にはまったく違うことを言ってるかも知れないし…笑
向後:
そうですよ!だからね、吉福さんは絶対化しちゃだめなんですよ。
ワダ:
トリックスターですよね。
向後:
吉福さんは、最初ね、岡山から早稲田の高等学院に行くわけじゃないですか。超エリートとか超頭いい子ですよね。早稲田にいて、それでジャズにハマって、結局、早稲田大学辞めちゃったでしょ。それでニューヨーク行って、ジャズを突き詰めるために、バークレー音楽院に行くんですよね。それも辞めちゃって、その辞め方もね、本の中に書いてたけど、ようは自分がついていけないと。吉福さんは、超一流を突き詰めるんですよね。
ワダ:
吉福さんプロとしての活動的なことも、全米を回ったりとか、相当なレベルでしてましたよね。
向後:
そう。ウォンさんによればね、あの時点で日本ではトップクラスだっていう。吉福さんがジャズを辞めた一つの理由は、ヤマ・ハマーというピアニストとセッションをして、限界を感じたということです。ヤマ・ハマーっていう人は僕もよく知らないんだけど、ものすごいピアニストらしいんだよね。ウォンさんによれば、超絶技法のピアニストだとのことです。
ワダ:
そこがすごいですよね…
向後:
あと、もうひとつ理由があって、一緒にセッションをやってた人が、ジャズの演奏中に強盗にあって殺されちゃうんですよね。吉福さんは、九死に一生を得るわけです。
ワダ:
ええ〜!
向後:
その二つがあって辞めてブラジルに行くんだけど、その理由もよくわからない。とにかく自分一人で考えたいからだと思うんだけど、言葉がまったく通じない所に行きたいって言って、ブラジルの何だか奥地に行くんです。そこから、帰って来たら今度は、サンスクリット語でしょ。サンスクリット語をやって、しゃべれるようにもなるんだよね。
ワダ:
すごいですよね。
向後:
ねえ、そんな人いないですもんね。だけど、サンスクリットの先生と意見が合わなくて、それで辞めちゃったそうです。
ワダ:
でもあの頃、パラダイムブックで取り上げられてるようなものを読みあさってたわけじゃないですか。
向後:
うん。
ワダ:
それも英語の専門的な文献で、それこそ量子力学の世界から、もっと哲学的な思考のいろんな文献もありますよね。英語だって難しい表現してると思うんですよ。
向後:
すごいですね。
ワダ:
そういうの全部読みあさって解説して、翻訳して解説するとかすごい頭脳ですよね。
向後:
すっごい頭いいですよね。ああいうのは一気に訳さないと駄目だっていうことで、自分でプロジェクトを作ってね、そのエネルギーものすごいですね。
ワダ:
吉福さん、残念ながらもうご存命ではないので、会えなし、ワークショップなどにも参加できないんですが、向後さんが、その精神を受け継がれていて、また、新倉さん、新海さん、ウォンさんを通じて、吉福イズムを味わえるチャンスもあったりすると思います。
自分を見つめるなり、自分という存在、本質的なところを知ることによって、ある意味で、悩んでいる事や人生で行き詰まっていることって何だったのかなとか、そもそも悩みが悩みでなくなるみたいな展開ってあるじゃないですか。トランスフォームというかな。そういったものを、判断なしで、今そのものを味わい体験していく、そこから何が生まれるかわからないみたいなものを僕は体験して欲しいなと思うんですが、向後さんもワークショップとか行われてますよね。
向後:
はい。ウォンさんたちと、年に1回ぐらいはやったり、僕自身もやったりしますけどね。結局、最後に吉福さんが目指していたのはね、セラピストに対するワークだったんですよね。
それで、彼がやりたがったのは、統合失調症に対するケアができるセラピストを育てるみたいなのが大きな目的でやってたと思いますね。
統合失調症っていうのは、ものすごく敏感な人たちなんで、僕らがちょっとでも嘘をつくとね、ごまかすとねみんなバレちゃうのですよ。
オーセンティックにと言うんだけど、自分を歪めずに見つめる必要があります。吉福さんは、結局、そういうオーセンティックな姿勢で挑みましょうというようなことを言ってたんだろうなと思います。
ワダ:
なるほど〜。自分をゆがめずに見つめる…いいですね。この姿勢で、見つめて行きたいと思います。まだまだお話をお聞きしたいところですが、また、聞かせてください。今日は、長時間ありがとうございました。
向後:
どうもありがとうございました。
facebookコメント ご感想などご入力ください。
向後 善之 プロフィール

臨床心理士/ハートコンシェルジュ

神奈川県に生まれる。石油会社での会社員生活の後、渡米。CIIS(カリフォルニア統合学大学院)では、統合カウンセリング専攻。サンフランシスコ市営のRAMS(Richmond Area Multi-Services)他でカウンセラーとして働く。現在、アライアント国際大学/臨床心理学大学院東京サテライトキャンパスで臨床心理学を教えている。著書に「自分をドンドン傷つける『心のクセ』は捨てられる!(すばる舎)」、「人間関係のレッスン(講談社現代新書)」、「カウンセラーへの長い旅―四十歳からのアメリカ留学(コスモスライブラリー)」他。共著に「仏教心理学キーワード事典(春秋社)」。

ページトップへ戻る