アートの道に進むなんて、全く思ってなかった

ワダ:
今回のクエストカフェインタビューは、インスタレーションを中心に創作活動をするアーティストの小野田マヤさんです。インスタレーションというのは空間全体で作品作りをする、比較的規模の大きなアート作品を制作するものだけど、それだけではなくて、幅広く作品も創作していて、その考え方もとても興味深いアーティストなので、今回登場いただきました。
高校卒業後、アメリカはカリフォルニアの大学に進学し、その後、帰国するまでニューヨークでアーティストとして活動してきました。
とっても感性豊かで、魅力的な作品を創作するマヤさんのこれまでの活動やインスピレーションの源などについて、いろいろと聞かせてもらいたいと思います。
まず、最初にアーティストとして活動するきっかけとなったところなどから聞かせてもらえますか?
Maya:
はい。もともと小さい時から絵とか描くのが好きで、実は、小学校1年生くらいからお絵かき教室に行っていたんですが、そこの先生はこういうふうな絵をかきましょうという感じで教えてくれるわけではなくて、自分の描きたいものを自由に描くっていう教室だったんです。子供だからほめられたいって思ったりして、かっこいいなと思うような絵を描いたりすると逆に怒る(笑) 自分の自由を出しなさいっていう面白い先生で、そういう出会いから始まって、アートって、考えるより感じるものだっていうのを、小さい時からなんとなくそれを知っていたんですね。でも、図工の時間は全然面白くなくて、いつも勝手なものを創って先生に怒られたりとか、人がみんな何かを上手に作っていくのに対して、私は上手に何かを物を作るということにまったく興味がなくて、でもその楽しさは知っていたんですね。
小学校、中学校、高校と普通に経て、その間にはファッションのことに興味があったりとか、やっぱりそういうアート関係に興味はあったけれど、アートを創る人になるとかは全然思っていなかったんです。だけど高校で大学受験が近づいた時に、私は普通にみんなが英文科目指したり、そういう風な感じで英文科を受けようと思って、受験勉強をちょっとしていたんだけど“あれっ?”て思って、英語をしゃべりたいとは思っているけれど、英語の文学なんて全然興味ないやと思って、それで何がしたいんだろうって、いきなり怖くなって、このまま決められたところを走っていっていいんだろうかと・・・みんな忙しく受験勉強しているのに、なんだか全然集中できないし、面白くないしで・・・
ワダ:
そこに気がつくまでは、大学に行くのは自然な感じで?
Maya:
小学校の時は自由にしていたけど、だんだん中学校とかになっていくにつれて、みんなと同じようにして、ちょっとクールに引いているいるようなところがかっこいいというか、そういう感じがあったりしたから、やっぱり変わっちゃいけない、目立っちゃいけないっていうか、目立っている子たちも、みんななんかその中で優れている人たちっていう感じで、やっぱりちょっと距離があって、合わせなきゃいけない、でも、合わせきれないみたいな、だから静かにしていたというような。。。だけど、あんまりそのことは気にも留めず、なんだかな〜みたいな、ちょっとくすぶる感じがありました。
やっぱり高校は進学校だったけど、私服の学校で、結構自由だったんです。新潟県長岡市というところで、結構古い伝統のある高校で学生運動とかして、制服撤廃みたいな運動もした、もともと男子校だった高校で、それでそういう自由なところから生まれた運動だったんだけれども、やっぱり自分が好きな服とか、目立つような格好をしていると先生に目をつけられたりとかして、入学した頃に「君みたいな服装をしている子は絶対にうまくいかないっ!」て言われて、そういう風に先生にぐーって抑えられていたのでなんか全然面白くなかったんですね。だからといって別に反発する気持ちも全然なくて、そんな感じで受験勉強となって、高3になって友だちが留学するって言いだして、なんとなく私も留学しようってなんて思って、いきなりシフトチェンジしたんです。そしたら親にも猛反対され「受験したくないから逃げるんでしょっ」て言われて、高校の先生にも「私アートを専攻しにアメリカに行きます」って言ったら、美術部にも入っていないし、美術の成績もそんなにいいわけじゃないのに、何を言ってるの?って言われて・・・
ワダ:
自分の中では、アートをやりたい、やるんだっていうのは実はなかったの?
Maya:
なんかアート好きだし、しかもアートと英語を両方勉強するにはどこだって考えたら、アメリカだなみたいな感じで。
ワダ:
そのあたりのいきなり感は確かにすごいね。それも地方の新潟だもんね。僕も、岡山の田舎で普通に育ったから、大人になったら会社員になって、とにかく働いてお金を稼いで生きるっていうその程度のイメージしか頭になかったんだけど、アーティスト=芸術家として生きると考えると食えないっていうイメージが若い頃はあったから、デザイナー志したときも、アーティストというのはイメージできなかったけど、アーティストになることと、そこから収入を得ることは繋がってたの?
Maya:
私はどうやって将来お金を稼いで暮らしていこうかってあまり考えてなかったかもしれない。だから、何を学びたいか、何を知りたいかって思った時に、高校生の時とかは、特に自分に成りきれていない部分があって、抑えていたんだと思います。ちょっとはみ出したり、自分の意見を言って何か攻撃にあったり、いじめにあったわけじゃないけれど、あんまり自分らしくなれなかったので、私のこと誰も知らないところに早く行きたいと思って、そしたらもう遠くに離れる選択肢が一番パーフェクトだと・・・
ワダ:
今だからそれは言えるけれど、当時はそういう分析はないよね。
Maya:
あっでも、早く地元から出たくてしょうがなかったのはあります。別にみんなが嫌いとかいうわけじゃなかったけれど、早く抜け出したかったという。
ワダ:
それでいきなりアメリカ・・・東京じゃダメだったの?英語の問題なんかもあるよね。
Maya:
英語は昔から興味があったから、英会話とか行かせてもらっていて、でもそんな暮らせるレベルの英語じゃなかったんだけど。アメリカは親にものすごく反対されて、受験勉強そんなに自信がないんだったら予備校にも行かせてあげるから浪人してでも頑張りなさいって。
ワダ:
海外だけはやめろと・・・
Maya:
そう、逃げだと。日本の大学でこれから美術となるとちょっと遅すぎるし、あと、これから美術を学びたいって言っているのに、なんで受験で自分のデッサン力とか見られなきゃいけないのというのを疑問に思っていて、だって、大学って勉強するところなのに、なんでその学ぶっていうことを平等に与えてくれないのかなみたいな、なんで絵が上手い人だけが行かなきゃいけないのかなみたいなね。
小さい頃行っていたお絵かき教室の先生の影響もあって、昔から上手い絵っていうのはつまらないって思っていたから・・・
絵を描きに行く授業でも神社とか描いて、みんなすごく綺麗に描くのに、私はいろいろな色を使って、カラフルな神社、だけどタイトルは“古ぼけた神社”みたいな。当然、先生からは評価されないし、子どもだから、誰かに褒められたいっていう気持ちもあるし、誉められないからやっぱなんか違うのかなって思ったりとかして、先生に上手いって言われる絵を描いている子たちの絵がいつも選ばれて、展示されて、へ〜っと思って、だから私は、別に自分に才能があるとか、アートの道に進むべきだとかは、全然思っていなかったんですね。でもやっぱり高校の受験の時みたいな機会の時に“ハッ”っと気づいて、何を勉強したいかってなった時に、アートと英語だったらアメリカに行くしかないなってそんな感じだったんです。
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偶然はなく、全てが必然だっていうのをいつも信じていた

ワダ:
日本はどの道に進むにしても、早い段階から目標を早く持ちなさいとか、何がしたいのかを問われるというか、アメリカの大学では、海外から来た人もいるだろうけれど、みんな先々の目標や明確なビジョンとか何かイメージを持ってる人はいた?
Maya:
先々どうするの?って言うのは、あまりそういうのはないかもしれない。多分専攻科目によるのかな。日本の大学に進学していた頭のいい友だちは、みんな何学部に行って、どういう企業に就職したいみたいなのがあって、私にはそれがなかったので・・・
ワダ:
アメリカに行く不安ってのはなかったの?
Maya:
逆に何も知らないから何も怖くなかった。
ワダ:
アメリカにどうやって行くとか、受験するとか、当然親は反対しているんだから、全部自分でやるわけだよね。
Maya:
私はとてもめんどくさがりやなので、留学斡旋の会社とかを調べていろいろ電話して、友達とか知っている人にも色々聞いて、アメリカの大学だったらこことかって決めていって。最初に反対されていたから、自分では説得しきれなくていて、確たる大人の説明が必要だったから、そういうのは全部そこに託して、説明会とか無理やり連れて行ったんです。今考えれば、ああいうのを使わなくても自分でできたなと思うけど、やっぱりあの力がなければ親は説得できなかったから、すごくお金はかかっちゃったけれど、でもあのおかげで行くきっかけができたから。
ワダ:
結果、それで行かせてくれたんだもんね。
Maya:
毎日泣きながら喧嘩して、お願いします。私は絶対やりますって手紙を書いて、最後に私が折れなかったから、そこまで言うならやってみなさいって、許してもらって。
ワダ:
お父さんが強く反対したの?
Maya:
いや、お父さんは、今まで私がやりたいとかやりたくないとかに対して口を出さない人で、このとき初めて反対されて、いつもお母さんが口うるさく「ダメ〜」っていう。
私も本当にやる気がない場合は、そこでじゃあいいやってなっていたけれど、反対してくれる人がいるってすごくいいことで、どれだけ自分がやりたいかを本気を試される。だから高校の時の先生にも、すごい抑えられて、お前みたいなもんはって言われていたから、あのおかげで、あの時は先生のこと大っ嫌いだったけれど、でもあの人たちのおかげで今はあって、ああいう風にグってやられなかったら多分、反発する力はなかったと思う。
ワダ:
「英雄の旅」では、スレショールド・ガーディアンって言う、門番みたいなものなんだけど、境界を越えようとする時に、お前は本当にここを越えて行く気があるのかって試すために必ず現れるもので、足を引っ張ったり、自分の行く手を阻むものが必ず出てくる、自分の本当の思いを確認できるし、そこを越えることで、そこからの試練の旅の最初の自信を得ることもできる。本気なら、そこを押してでも出て行くっていうのが大事だよね。
Maya:
本当の自分の本気を試されたっていう。
ワダ:
アメリカに行って、やはりいろんな苦労はあった?
Maya:
それが、最初は楽しすぎて、全然親に連絡しなくて、当時は携帯の時代じゃなかったから、アメリカもポケベルの時代で、電話も家にひかなきゃいけないのに、家に電話をひくのをずっと忘れていて、全然連絡しなかったんです。。。笑
ワダ:
最初は、どこだったの?
Maya:
カリフォルニア。大学の選択肢が3個くらいあって、オレンジカウンティここなんかいいなと、あのハイウェイがあって、ディズニーランドも近いしみたいな・・・笑
そんなこと親に言ったらきっと反対されるからそういうことは言わずに、私はここでちゃんと勉強してみたいな真面目なことを言っていたけど、でも実はそのくらい簡単な気持ちで、直感でここって決めて。
ワダ:
大学は?
Maya:
カリフォルニア州立大学フラトン校っていう、カリフォルニア州立大学は、ノースリッジとかロングビーチとかあって、それのフラトンっていう総合大学で、アート専攻もあって。
ワダ:
英語はいきなりわかったの?
Maya:
わかったのかな?どうしていたんだろう?なんとなくわかったのかな、いや、どうだったんだろう? ・・・笑
ワダ:
大学入る前に英語のトレーニングとかあるよね。
Maya:
ありました。最初、ランゲージスクールに入って、夏だけ入ったのかな?で、TOEFLというテストで何点以上取らないと大学に入れないっていうのがあるから、最初その勉強をしなくてはいけなくて。
ワダ:
その後大学では?
Maya:
やっぱりデッサンをして、受験のために上手い絵を描く練習をしなかったから、最初入った時に、最初のコースはペインティング101と次201とかにレベルアップしていって、101のクラスは基礎を学ぶみたいな感じで、やっぱりそこでも静物画をやらされて、それもめちゃくちゃな色で描いたりしていても怒られないし、毎回絵を描き終わるとみんなで壁に貼って、クリティークという先生が一人を指して、その人が自分がいいと思った絵を選んで、それについてコメントを言う。で、コメントを言われた人は、次に自分が好きな絵を選んでっていう、そういう授業方法で、日本とは全然違う。先生が一方的にこの絵は素晴らしいねって言うのではなくて、君はどう思うかっていう、自分の意見を必ず求められる。それがすごく新しかったし、なんか面白かったし、自分の意見を持っているのが当然で、人に左右されない、そういうのがよかったです。
ワダ:
そこってものすごい大事だよね。多分アートだけじゃなくて、例えば子どもの教育とか、そういう幼少期の授業の中では才能を伸ばしたり、心を成長させるのに、すごく大切。自分の体験を語ることに対して、一切批判も否定もなしでみんな聞くっていう。その人が思っていることは、その人の考えや体験なわけだから、否定する必要はないんだよね。自分は違和感がある、おかしいとか。日本人でいくと日本の文化とかも染みこんでるから、そういう形骸化したものも全部全部取っ払って、そういったものすべてを脱いでいった時にある“個人”っていうのは、実はそこまでいくと、どんな文化的影響を受けていたとしていても、人間としてまずどうだという、存在としてどうなんだというところまでいった時に、ようやく誰しもが共感できるところまでたどり着けると思うんだよね。
そこでその人の個性がちょっと付け加えられたものが一番なんかクールなものになるような気がするんだよね。
Maya:
でもやっぱり知らないものってみんな怖くて、知っている物を見ると安心するから、なんかいいなって思っちゃうところもあって、アートにそれが言えていて、ピカソとかゴーギャンとかもみんな知っていているから、安心して見ている、それがみんないいって言っているから、それを安心していいって言えるみたいな、だから自分の主観じゃなくて、その付随したもので、フィルターを通したもので見ている、だからやっぱり、この絵は山だなとか、認識できる形を見るとやっぱり安心する。
ワダ:
結局、コミュニケーションの材料であって、みんながいいって言うものを、いいよねって言った時に、共通体験をする安心感。帰属意識。ピカソとかを見に来ていて、いったい何を味わいに来ているのか?ほんとは、ピカソの作品や人生は関係なくて、お茶飲んで、おいしいよねっていうのと一緒なんだろうね。
何だか苦しかった体験とか何かありそうなものだけどね。
Maya:
苦しいと思ったこと、あまりないんじゃないかな、なんか、あっ、そういうことかみたいな、それがラッキーなのかも、常に自分のことをラッキーだと思っていて、どんな大変なことが来ても、その時はその時で悩んで落ち込んだり悩んで沈んだりそれなりにするけれど、でもなんか常に自分のことをラッキーと思っているのがいいのかもしれない。
ワダ:
ショックな出来事とかはなかった?
Maya:
いっぱいありますよ。だからといって、あの時大変だったなーって思いだすことが、あんまりないかな。
起こった後に、あっ、これって私がこうなるためにあった、必然的なことだったんだなっていう。
偶然はなく、全てが必然だっていうのをいつも信じていたから、英語だったら Everything happens for a reason=すべて理由があって起こっているっていうことだから、客観視する力がいつの間にかついたというか、ちょっとステップアウトして、これはなんだ?みたいな、いつからかな、最初からそういうのはあって、でも特にそれが強くなったのは、実は結構最近の話だけれど。
ワダ:
ニューヨークでどんどん作品は変わっていったの?
Maya:
カリフォルニアにいた頃は特に、ライフドローイングというヌードのモデルさんが来て描くクラスが大好きで、人間の体の線とか動きとか、すごいフィギュアアティブな作品ばかり創っていて、一番身近にあるモデルが自分自身だったから、自画的な自分のことを反映する絵っていうので、ビジュアルダイアリーって自分は呼んででいたんだけれども、ビジュアル的に日記を付けていくというような感じで、ボディパートだったりとか、顔だとかを描いていたりして、そういうのをだんだん見ているうちに、シミとか人間の体のシワとかに興味を持ちだして・・・ヌードモデルが来るクラスも、毎回同じことをやるから、だんだん見る場所とか自分で工夫したりとかして、ぐ〜って見ているうちに、赤いシミがあったりとかで、シミをマッピングみたいにして描いていたらすごい面白くて。
ワダ:
同じことをずっとやらされている中に、ぐ〜っとひとつのことに入りこんで行ったら、何かもっと深いものが見えてきたみたいな・・・それって今の作品の原点だよね。
Maya:
そうですね、こういうものを描いてやろうとか、こういう風にという思い込みがあるといいものが全然できなくて、私の場合、スパンって時間のコンセプトが止まる感じ、いつもすごい集中して、聴いている音楽も聴こえなくなる状態、あれがこないといいものは全然できなくて、だから、1個のものをやらされて、その中で、何かを見出す、それの訓練になっていたというか、そういう力が身に付いた。
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子供の頃に体験した不思議な感覚

ワダ:
初めて会ったときに、さすがにアーティストだなって感じたのは、注意力というか、興味の対象にぐ〜っと近づくパワーというか。。。すごいなと思って。。。笑
Maya:
私、日本語だとシャイなんですが、興味持って見ちゃうからかな。英語だと誰かれかまわず話しかけることができるんです。エレベーターで会った人にも「それかわいいね。どこで買ったの?」とか言うし、外国行ったとたん、イミグレーションのおじさんと話し込んだりとか、なんか変わる。ひょっとしたら、これが本当の自分なのかもしれない。
ワダ:
それはあるかもね。日本人ていうのを被っている。
Maya:
敬語を使わなきゃいけないとか、独特の空気を読まなきゃいけないカルチャー、もちろんそれはとても美しいことだし、人が言わなくてもわかってあげるって素晴らしいことだと思うんだけれど、言わなきゃわからない時もあるし、空気を読むっていうのをすごいずるく使っている人もいるから、空気を読んでいて、逆になんか「ここ空気読めよ」とか、自分勝手な発言をしている時もあるから、なんかそういうのもあって、日本って結構自分をさらけ出すっていうのは難しいからかもしれないカルチャー。いいところも悪いところもあって、英語もいいところも悪いところもあって。
独自に発達していった言葉だったり文化って、面白いものもあったりするから、悪い側面だけじゃなくて、でもそこから一度外に出て、中を見て見るっていう経験をさせてもらったことがすごく大きくて、外から内を見る、客観視できる、自分が育ったところとか、それを当然だとか、それが固定概念になったりしないっていうのは、外に出れたおかげでできたことだから。
私は姉がいて、7歳離れているから、一人っ子みたいなもので、小学校6年生の時にはお姉ちゃんは大学に行っていて家に一人で、しかも学校も、新潟大学の付属の学校に行っていたから、学区の小学校じゃなかったので近所に遊ぶ友だちもいなくて、家に帰ってくると一人でいることが多かったんです。親は会社をしているからいなくて、一人で考える時間が多くて、一人遊びしていたんです。空想の中に生きていたというか、いつもおもちゃ見てボーっとしているみたいな、今思うと瞑想状態みたいな、ぶっ飛んでいる・・・笑
ワダ:
普通は、孤独感とかさみしさ感じたり、自分は親に愛されていないんだとかって、そういうのはなかったの?
Maya:
なかった、なかった。
ワダ:
そこが、持って生まれたものがあったんだろうね。
Maya:
人はこうするべきだとか、小さい時に人と接しなかった分あまり植え付けられなかったんだと思う。あと、今思うと不思議な子どもだったから。
小学校1年生か年長さんくらいだったかな・・・お母さんが横になってリラックスしていて、それを見た時に、お母さんはお母さんであって、お母さんではないんだなって思う瞬間があって。その時に、今分析すると、縦に血縁で脈々と続いていた流れの他に奥行きがあって、多分5次元くらいの世界?その魂の世界っていうか、お母さんというこの人は、今お母さんとしてここにいるけれど、これは個の存在であって、箱なんだなっていう感覚があった。だからなんか別みたいな。
ワダ:
面白いね。ニュアンスがちょっと違うんだけれど、僕も小学校の5、6年生の時に授業で、先生が宇宙の図鑑を広げて、星の一生の図が描かれていて、説明していたのね。要するに、星が生まれて、最後はとんでもなく巨大になって急激に小さくなっていくか、大爆発を起こして超新星で終わるかみたいな図があって、それを見た時に、太陽はこのまま大きくなって、いつか地球は太陽に飲みこまれると言う話を聞いた時に、それが何十億年先とかなんだけれど、もう恐怖で。その時に感じた恐怖ていうのは、地球がなくなったら誰が宇宙を見るんだっていう。人間がいなくなったら、誰が宇宙を観察するのか。何も存在しない世界、宇宙、虚空というのかな、どこまでも落ちていくようなそんな、そこにとてつもない怖れを感じてた。
Maya:
人間の能力ではくくれないものは怖いから、私はゼロと神様が生まれてたと思っていて、ゼロと神様の概念は同じ。でも、それに気づいたのは最近で、ゼロと神は一緒だっていきなりきて、でも先日、脳科学者の人と話していたら、実はうちの娘が3才なんだけれど、今数字の概念を勉強していて、1,2,3とか数えたりしていて、ゼロを習った時に泣き叫んだって。人間が便宜上創ったものだから、あるようでないっていうか、あって存在しないもの。
ワダ:
なんでその3歳の子は泣き叫んだの?
Maya:
ゼロが怖くて。だから一緒。その宇宙、くくれないものを見てしまった。聞いてしまった、その情報の中に収まりきらないものを知ってしまった時の怖さ。
ワダ:
多分それだね。無くなる怖さだろうね。
Maya:
でも、無くなることはなくて、ただ言葉で言い表せなかったり、感覚で体現できないものだから、言葉が生まれて記号化して、ひょっとしたら、その脳科学者の人とも話したんだけれど、これを赤として見ているけれども、実は全然違う色を赤と呼んでいる可能性もあって、でもそれは本当にそうらしくって、だからこの感覚も、悲しいって思っている感覚って、悲しいってこういうことだって自分では思っているけれども、他の人の気持ちにはなれない。
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すべてを受け入れられてスッキリした

ワダ:
まったく作品ができなかった2〜3年から、その後、現在の作品、カレイドスコープが生まれるプロセスについて教えてください。
Maya:
自分のことについて、すごく考えさせられる時期だったんです。ニューヨークでのアーティストビザの関係で、書面上で私はこれだけやってきていますよ、こういうアーティストですよっていう、どれだけ価値のあるアーティストだかっていうのを証明しなければいけないわけですよ。
それまで別にグラントもらったりとか、個展をやったりとかして、充分に経歴はあったので、あまり心配はしていなかったんだけれど、運悪く弁護士が全然働いてくれなかったりとか、イミグレーションに全然取り合ってくれなくて、でも申請を出したらそこから国を出れないわけですよ。
ビザって3年分取ろうと思っていたのに、2年間待たされて、そんなのは全くないケースで、私も早く切り替えて、お金を払って新しい弁護士を雇って早々に方向転換をしていれば、そんな問題はなかったと思うんだけれど、だけど2年間弁護士もちゃんとやってくれなくて、ペンディングって待ちの状態で、弁護士を変えた途端スルスルスルって上手くいって、ポーンて出て、なんだって感じで。
でもその2年間という間、私がひょっとしてダメなのかなってすごい自己嫌悪に陥る時期があって、そのくよくよしている時期も長くは続かなかったけれども、外に発信するのではなくて、内側を見てみるいい時期になって、その間、今までアウトプットしていたのをインプットする時間になり、いろいろ考えている間にいろいろなものに出会って。
その時バイトとかしていたから、あまり話したことのない人がバイト先にふらっと来て、この本読みなよってパッて貸してくれた本に、私がその時思っていたけれど言葉にできなかったことが全部書いてあったりして。
私それまで、本も読むけど、そんなにたくさん読む方ではなくて、どちらかというと小説とかを読んだりしていたんだけど、その時渡されたのが、横尾忠則さんの閃き(ぼくは閃きを味方に生きて来た)ひらめきの本で、それでスパーンと来て、貸してくれた人も私がそういう状況にあるって何も知らなかったんだけど・・・そこから始まって、だんだん小さい時のもうちょっと不思議な力と不思議な感覚を信じていた時の自分に戻れるっていう時が来て、その時は、横尾さんの本も読みあさったし、ヨガもすごくやったし、何かを見直したというか、自分て何なんだろうみたいな、そういう時を経て、最初は焦っていたけれども、だんだん今はこういう時期なんだなっていう静かな時間、動かない、全てを見て受け入れる時期ってわかった時にスッキリして、全部受け入れて、なるほどなるほどって、2年くらい経った時に、あっ、お腹がすいたっみたいな、やりたいっみたいな感じになって。
ワダ:
そのできなかった時期っていうのは、どちらかというと作品を創りたくない、見たくないとかは思わないの?
Maya:
見たくない、拒否もしていなかった。最初はなんか、友達がショーをしているのが羨ましかったりとか、私には出来ないなって思っていたけれども、そういうのも途中でポンってなくなって、なんかこういう時期でしょみたいな。でも、人に、あなたは何をしている人なの?って言われたら、アーティストってやっていないけれど答えていて、その時から割り切れるようになって、物理的に何かを放出していてもしていなくても、自分のことを自分でアーティストって呼べば、誰でもアーティストだろうって思って、それからアーティスト。で、何をやっているのってなると、今はないみたいな。そういう感じで、だからその時会った友達は、きっとMayaはアーティストだって言っているけれど、一体何をしている人なんだろうって、多分思っていたと思うし、でも自分の目の前に降ってくること100%頑張るみたいな感じで、その時は、めちゃめちゃ忙しくて靴屋さんでバイトとかしていたから、すっごいボスがいい人で、そのボスのために頑張って働いてあげようみたいな感じで、その中で、いろいろな出会いがあったりして。
ワダ:
映画監督とかいつも思うんだけれど、全然作品を作っていない映画監督っているよね。すごい有名な監督で生涯で3本しか撮ってないとかね、でも一つ一つの作品がすごいいいとかね。1本作るのに10年かかったりとかね、そういう人もいるじゃない。
Maya:
人によるんだと思う。アーティストっていっても毎日絵を描く人と、多分毎日こう出していかないとダメな人と、私はそういうタイプではないから、描きたい時に。で、無理やりやったりするといいものができなかったりして、いいのができる時は、やっぱりこう、ポンってする時で、なんかあって思って、例えば紙だったら紙を見つめていて、何かを描かなくちゃいけないって描く時は、こうでこうでって、無理矢理自分を圧すのだけれど、全然よくなくて。いいのができる時は、ここにこれがある、ここにこれがあるって何もないところに見えてくる。で、気づいたらできるみたいな、そういう状態だから。
カレイドスコープも2年間インプットして、いろいろなものを蓄えて、創りたいものが初めてできた、でもそのカレイドスコープを創る前に何枚か絵を描いていて、その絵も過去の作品をリサイクルして、見ていたら、あって思って、そこからパッて切り抜いて、マウントして違う作品にしてって言う風にして、やりたいもの、人にどう思われるかとか、どういうものをしたいかじゃなくて、これはこうなるべきでしょっていうのが、なるようになるもので創った。カレイドスコープはその流れで生まれ出たインスタレーションで、実はカレイドスコープは日本に帰って来てからできた作品なんです。
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アートなんて理解するものじゃない

ワダ:
マヤさんの作品、カレイドスコープは僕は、多次元的な世界がこの3次元、4次元的な世界に表現されたようにも感じたりするんだよね。。。
Maya:
紙を見て、何がここにあるべきかっていうのは、マテリアルとの会話だと思っていて、私はインスタレーションとか絵にすごくシミを使うんですね。最初のシミを使いだしたのが、ニューヨークのダイナー(食堂)で、コーヒーを飲んでいる時にナプキンにシミが落ちていて、ふとこのシミから派生させて、いたずら描きをドローイングしているうちに面白くなっちゃって、自分のスタジオに帰って、飲んでいるコーヒーを紙でベチャベチャベチャってこぼして、次の日帰ってきたらものすごくかっこいいことになっていて、そこからストーリーを創っていくっていうのをやりはじめ、そこからシミを使う作品ができるようになったんです。最近は、特にストリートにあるシミも集めていて、立ち止まって犬のおしっこの写真とか撮っているから・・・笑 変な人だと思われているかも。。。笑 最近だんだん変だって思われるから、意識するようになって、人がいない時を見計らって写真を撮ってたりします・・・笑
ワダ:
まあ、何をやってるんだろうって、ふと目をとめる人もいるけど、大丈夫だよ。。。笑 シミの専門家に。。。笑
アートもいろんな考え方や見方があるけど、ただそれを楽しむというか、味わうというか、そういったとこの大切さとかね、そこに豊かさみたいなのを感じる力みたいなものをもう一回取り戻していかなきゃいけない気がするよね。
Maya:
私もアートってどうやって見たらいいかわからないからっていう人に出会ったりするけれど、そういう人にそんなことも忘れられるくらいなものを創っていくようにいつも思っていて、やっぱり見る力と感じる力両方を持ってて、ただそこに好きか嫌いか、自分で勝手に決めればいい、ただそれだけのこと、アートなんて理解するものじゃないし、しかも、アーティストがこういうコンセプトですよっていっているのは、他の人はどうかわからないけれども、私の場合後付けの方が多くて、ただ自分がやりたいものをやって、後でなんでこんなことをやったんだろうって考えたのが、ステートメントだったりとか、コンセプトだったりとかするから、そういうのは知りたい人だけ知ればいいし、だから、やっぱりちょっとわからないって言っている人たちに、ハッて、何これとか、よくわからないけれど面白いとかって言わせるものを創らないと。
ワダ:
そこ、本当に共感するね。アートは理解しなきゃいけないものだって言うような世界あるじゃない。この絵はどういう意味があるのかっていうね、意味なんかどうでもいいんだよね。本質的には全てのものに意味がないっていう。だから、体験して、どう感じるかだけで、その人が感じたもの全て真実であって、否定されるものでもない。ある作品にすごい価値を見出す人もいれば、別にそれは自分には価値がないなって思う人もいて、結局、観察者、体験者の心、意識の内を感じ、思うということだね。
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見えないけど見えるものを形にすること

ワダ:
マヤさんにとって、アートっていうのは、どんな存在なのかな?
Maya:
アートとは何か・・・今改めて考えて言葉にしてみると、一言でいうと「見えないけど見えるものを形にすること」っていうこと。
この世の中に、私が信じているのは、無の状態、空っぽの状態っていうのは全くなくて、全てがある状態。だから、私たちが神って呼んだりしている絶対的意思みたいな、そういうものには私たちはなれないから、私はアートを作ったりする時は、その全てがある状態で無から創造する。
創造するってことではなくて、あるものをサンプリングして、自分のフィルターを通して、こんな感じで見えるよっていうのを人に見せるみたいな、全てがサンプリングかなって思っていて、それに直感的に反応して、それを違う角度から見せるっていうのが、アートかなと思っています。
あと直感の部分でいうと、私は小さい時の自分に憧れがあるんです。小さい時にいろんな不思議な体験、言葉では説明できないような体験をしたりとか、あと、もっと素直に直感的に動いていたところがあるんです。特に今思うとこれはそうじゃないかなって思うんですが、ひょっとしたら全然違っていたことかもしれないんだけど。
家族とか親戚で、毎年恒例で行く温泉旅行があって、そこで森を通った時に「私が私でなくなっちゃう瞬間」というのを体験をして、確実に覚えているのは、私は私でなくなっているってストーンって思って、その後初めて今まで泳ぎ方を知っていておぼれたことなかったのに、プールでおぼれちゃったりとか、いとこが遊んでいるのを傍目に見ていて、私はなんか同じ私じゃないから、あの人たちと今一緒に遊べないなって思ったりとか、なんかそういう気持ちになっている時とかあって、その経験をする前って、結構いろいろ自分なりに宇宙だったりとかを感じることが出来ていた気がするんですね。あと、幽体離脱の経験とかしたこともあったし、そういう時の、小さい時の直感的な自分にちょっと憧れがあって、その自分に繋がるために、アートっていう道具があるかなっていう風に思ったりする。
ワダ:
面白いね。
Maya:
だけど、時間的にとか歴史、自分の生きてきた歴史の流れでいうと、どういう風にことが進んで、どうしてこうなったかって今正確には覚えてないけど、いつもおもちゃを持って、どこかに吸い込まれていた時の自分とか、お母さんがそういう私をすごい心配していたりとか、私は別にただ闇に溶け込んでいたというか、そういう感覚があって、だけど、いつの間にか、そういうことができなくなっちゃたから。
ワダ:
何歳くらいから、できなくなった感じがあるの?
Maya:
多分その森を通って、自分が自分じゃなくなってしまったっていう瞬間が、小学校1年生くらいの時だったと思うから、そのあたりから幽体離脱とかもなくなったと思うし、あの時はだって、天井を見つめて、天井にある木目とかからいろいろなイマジネーションが発生してて、一人で何時間も何時間も遊んでいて、空想の中だけですごく満足していたから、だからそれを今体験して何か他の形に現わしているのが今やっていることなのかなって思ったりするけど。
ワダ:
小さい頃、時間の感覚はあったの?
Maya:
ないと思う。何かスパンって時が止まるような感覚。今もすごい集中状態に入れると、アートとか作っていて、最初やっぱりのらなかったりとかして、締切があってやらなきゃいけないとかがあったりすると、なかなか最初はそういうことにはならないんだけれども、気づいたらどっぷりボーンってはまっている時があって、そういう時は全く時は止まっちゃっていると思う。
ワダ:
アイデアにしてもそうだけど、何かやろうと思っても、気分がのってこないといいものも出てこないけれど、何かと繋がる時とかあるよね。そこがその子どもの時はずっとあったって感じなんだよね。
Maya:
そう、トイレに行った時とかも、パッて暗くなるっていうか、宇宙みたいな感覚になって、ファーって吸い込まれる感覚とか、何だったのか全然説明できないけど、ああいう風に、なんか面白い体験をしたこととかは、すごい覚えているから。
ワダ:
怖くはなかったの?そういう体験っていうのは。
Maya:
体から抜けちゃっていたような幽体離脱みたいなのは、すごく怖かった。
ワダ:
それは、戻れないかもみたいな?
Maya:
寝ていたはずなのに、いつも寝るときに起こって、気づくと、多分体はないんだけれど、それは今ちょっと覚えてないんですけど、違う部屋にいたりとか。
ワダ:
意識はあるけど体はないってやつ?
Maya:
壁と壁の間にいるみたいな、小さいから、人がみんな寝ているのに一人だけ暗い部屋にいたりとか、怖かったし、なんで私ここにまたいるんだろうみたいな、さっき寝ていたはずなのにみたいな、早く戻らなきゃみたいな。
ワダ:
そりゃ聞いていても怖いよ・・・笑
Maya:
早く戻らなきゃとか思って、でもちょっと飛ぼうみたいな感じで、飛ぼうってことは足、体が残ったと思うから飛んで戻って、グルグルグル〜スポって、そういう感覚しか覚えていないな。
ワダ:
クルクルって回って戻るの?
Maya:
なんかこうグルグルグルって。
ワダ:
渦の中?
Maya:
なんかグルグルグルってなって、ドンって。
掃除機のコードを最後押して、シュルシュルシュルっ、スパンって。自分でもあんまり覚えてないんですけれど、あれはきっと、幽体離脱ってやつだったのかなって思うけど、どうだったんですかね。もう、お母さんとか、私が全然覚えていないのに、昨日私の枕元に立っていたでしょとかって言ったりとかして、立ってないよって言って、そういうのとかあったりとかして、うちの母親も覚えていないと思うけれど。
ワダ:
それは、何度もあるわけだよね。
Maya:
結構毎日。でも、私は小さい時はあれは夢だと思っていたから、あんな夢はもう見たくないって思って、でも、さっき言った森を通って、私が私じゃなくなっちゃった瞬間からあまりしなくなった。
ワダ:
私が私でなくなっちゃった時っていうのは、こっちの世界に来たってこと?
Maya:
どうなんですかね。でも、その時に、覚えているのは何か自分から抜けていく感覚。女の人だったんだよな。
だから、今まで通りの自分じゃないってことなのかな。だけど、今まで慣れ親しんでいたものを多分失ったわけだから、ちょっと困惑みたいなものがあったりして、なんかこうお手伝いでお風呂掃除をしていても、私は私じゃないんだよなって思って悲しくなってきて、泣いていた。
お母さんにも直接、私は私じゃないんだけどって言ったことがあると思う。だけどやっぱり、何言っているの?って言われたから、そのまま流して、いつも通り生活して、そんなことも忘れて。でも大人になって、こんなことを思い出すようになって、最近よくわからないけど、いろいろ人に話すチャンスがあって、いろんな人にこのエピソードを、そういう時期なのかもしれない。
ワダ:
結構いろんな人に、似たような体験の話を聞いたことがあるんだけれど、みんな思春期を超えるころに、だいたいなくなっちゃうんだよね。子どもの頃幽体離脱をやってたり、霊が見える人が、思春期にそういう能力がなくなってしまったとかね。で、そのまま無くなった人もいるし、二十歳くらいで戻ってきた人もいるし、そんなこともあるけどね。
Maya:
私は今逆に興味があるから、幽体離脱できるものなら、もう一回やってみたいけれど、そんな上手いことはいかなくて・・・笑
ワダ:
意図してなかなかできるものでもないかもしれないけどね。
Maya:
そう、だから直感とかをもうちょっと研ぎ澄ますためにアートが今あるのかな。でもこんなね、シリアスな話じゃなくて、もっと単純な話で、私にとって、きっとアートってものは、ただ本当に遊び、生きる中の遊びかな。
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私たちが目にしているものはイリュージョン

ワダ:
さっきの話やシミとかもそうだけれど、なんとも形容できない世界ね、あれって。そういう多次元的な何かね、多分思うんだけれど、こっちの世界から見ると、これ不思議だなっていう、でもなんか、温かさとかいろいろなものを感じたり、その人なりに感じるものがあるんだけれども、あの作品の次元に行くとなにか論理的な構造があったりとか、ある意味一つのプログラムで全然違うものに見えたりするのかもしれないって、思ったりしたんだよね。
要するに、あっちの世界の何かエネルギーや存在物をこっちの世界にダウンロードすると、ああいうソースになっちゃうんだけれど、あれを元の世界に戻すと、もっと具体的なものだったりするのかなって思ったりね。つまり、コンピューターのプログラムって見ると0、1のコードじゃない。0101101100とか並んでいるわけだけれど、それだけ見ると何だかわからないけれど、コンピューターに通すと具体的なものとして現れるでしょ。
Maya:
なるほど〜。インスタレーションとかは、特定の場所に創る場合は、その場所からインスピレーションを受けて、あっ、この場所にこういうものが生えているっていう、生やしたいみたいな、育てたいみたいな、なんか生き物的な感じでこう、はびこらせるみたいな、そういう感じ。しかも、私のインスタレーションはサイズも大きかったりするけれども、小さいものの積み重ねでどんどん大きくなっていっているものだから、で、自分一人の力っていうか、どこかに発注してこういうデザインなので作って下さいっていうものには全く興味がなくって、自分で一つ一つ興味があるから、最終的にはでっかくなったりとかするけど、実はすごい小さい段階をいろいろ経て、できている感じかな。
ワダ:
面白いね。マヤさんにとって、生きることとはどういうことだろうね?
Maya:
生きること。繋がることかな。繋がって初めて自分が存在するっていうか、こういう“個”では成り得ないものだけれど、AがあってBがある、BがあってAがあるみたいな。繋がって存在することが生きることっていうか、もっと言えば、愛すること、自分を知ること、だけど、生きる、いつもなんでここにいて、今生きて死んでいくのかなみたいなのは、ずっと生きている間の永遠のテーマっていうか、でもその答えが出ないから生きることが面白い。生きている間ずっと考えていくことなんだなって思って。
さっきのアートとは何かっていう質問に戻ると、その質問を探求するツールが多分アートだったりして、自分を知るためのツール、両極の話じゃないけれど、やっぱり死がないと生も成り立たないわけで、だけどひょっとしたら死んでいく人っていうのは、ニュートラルな状態、何をもって死とするかってね、多分体はただのボックスで、それに脳みそっていうコンピューターが入っていて、それを制御しているのが魂で、だから、魂のレベルの話で言ったら、死と生っていったらあり得ない状態。無限の世界だから、死んでいくっていうのは、同時に生きることでもあって、そういうことを螺旋的に、最近よく考えるんだけど、答えは見つからないし、多分死んでいく時にしかわからないことなんだろうなって思って、死んだことがないからわからないし、きっとそこに、答えが、今見つけられないから、いろいろな面白いことをして生きていくんだろうなって思ってます。
ワダ:
生きるっていうのは、生を確認する作業っていうか、無駄なことも含めて、なんでそんなくだらないことをやっているんだろうとかあるじゃない人間って。それはその人なりの生(せい)の確認作業っていうか、それは無意識の中にあるんだろうけれどね。
Maya:
そういう部分、直感的に、反応しちゃうのがきっとアートだったりするのかなって。生きている証っていうか、そういうどうしようもない答えがわからない、なんでここにいるんだろうっていうところに、無力さを感じたりするけれども、そこに悲観的になったりとか、面白みを見つけて、これ面白いよって見せるのがアートなのかもしれない。
ワダ:
そう考えたらね、ある意味で人生そのものがアートだからね。どのように人生の作品とするのか、みたいなところに行き着くんだろうけどね。
先日、病院で死に行く叔父さんに会いに行ったんだけど、あと何日も生きられないという状態で、もうすでに意識も朦朧として、多分意識はほとんどないわけだけれど呼吸が荒くて、そんな叔父さんを見ながら、僕ははこれだけ明確に意識があって、やろうと思えば何でもできるはずなのに、なんかね・・・1分1秒を大切にできていないっていうのをすごく感じてね。
Maya:
人体的にはすごく弱っていたけれども、魂からものすごい濃いパワーをもらってきたっていうことなんですね、きっと。
ワダ:
だって、すごく生きようとしてるんだよね、身体は。肺の機能がかなり失われているから、酸素の供給量が少ない。そのために一生懸命呼吸して、酸素を得ようとしているわけでしょ。でもそれは、おじさんの無意識がそうやっているわけじゃない。
Maya:
無意識、それか魂が身体からどんどん離れて行っちゃって、そうなるとWiFiが届かないみたいになっちゃって、そうするとだんだん息も荒くなったりとかして、反応が悪いっていうか、自分はこう操作したい、機械に動かされているって、そういうところにひずみがでちゃって、呼吸の粗さとか出るのかなってさっき思ったりしていた。
ワダ:
そういうのあるよね。臨死体験中だったのかな・・・
Maya:
そうかもしれない。臨死体験から戻って来て、本当に生きようって思う人も多いんだけれど。そういう人たちは、必ず死を恐れなくなるって聞きますね。死ぬことっていうのが、終わりじゃないっていうのを見てくるから。
ワダ:
先日、立花隆の臨死体験についての彼の研究の最終結果のようなものをNHKスペシャルでやってて(NHKオンデマンドで見れます)、その中では脳内の反応であるっていうのをオチにしていたのね。そんな悲しい、寂しいこというなよみたいな・・・笑 終わったら全部終わりかよみたいなね。今の科学的にはね、そういう風な結論しか出せないのが、科学の限界だとは思うけどね。
Maya:
科学って、結局、人智を超えることはできないから、人智を超えるその体験だったり、そういうものは説明は絶対にできないんじゃないかなって私は思っていて、でもそれってきっと探求するのが面白みで、だから科学ってあったりするんだと思うんだけれど、やっぱり脳みその中にある、私たちが持っている情報っていう枠内の中で、ものを把握しようとするから、有限なもの、限りのあるものが出てきて、実は、無限と有限には境界線はないんじゃないかなって私は思っていて、だけど、ゼロと神様の話じゃないけど、どうしても私たちが把握しきれないものにわざと言葉っていう記号を与えてあげて、額縁をつけてあげることで、なんとなくわかった安心感っていうか、恐れをなくすっていうか、そういうことで、実際に枠組みって、多分言語だったり、人種だったり、国境だったりとか、そういうもので、私たちが便宜上、これは黄色ねって呼んでいるものは、ひょっとしたら私が思っている黄色とロビンさんが見ている黄色は全く違うかもしれないけれど、それを私はロビンさんになれないから、確かめることもできないわけで、四角いよねって触っているものであっても、四角って思っている四角が四角じゃないかもみたいな、そう考えると、全てのものは、実はただ脳みそがこういう風に反応しなさいよっていう、私たちの持っている情報だけの反応で、なんていうか、私たちが目にしているものはイリュージョンの可能性があるっていうかね。だから、そうなると、無限と有限に差はなくて、実は全部がほんとは無限だけど、生きていく上で、名前をつけたりとか、共通言語をもったりとかして、私たちが囲いの中に入れて把握した気になっているのかもな〜と。
ワダ:
なるほどね、面白いね〜。 人間の認知はどこまでも怪しい。。。笑
Maya:
面白い。
ワダ:
いやあ、本当に面白いです。話は尽きないんだけど、また、いろいろと互いに深めて行きましょう。今日は本当にありがとうございました!これからも、素敵な作品を期待してます。
Maya:
こちらこそ、楽しかったです。ありがとうございました。
* 編集協力 : 天田由紀子
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【取材後記】

アーティストという定義は難しい。これは僕の考えだけど、アートを追求していくと行き着く先は生き方になると思う。アートの語源は、ラテン語のアルスと言う言葉で、「自然の配置」「技術」「才能」などという意味があるらしいけれど、アートも人間が何か手を加えて創造すること、人工のとかそんな意味もあるようだ。

アート=芸術というのは何を表現してもいいと思う。それはその人がどうしたいのか、何を表現したいのか、その品質のレベルはともかく、その人が表現したいことを自由に表現するものはすべてアートであって、他人がとやかく評価すること自体、意味が無いと僕は思っているのだ。。。もちろん、芸術評論家とか、鑑賞者がアートを見て、どうこう思い、それについて発言するのは自由だし、それはそれで構わないことだけど、それらの意見や評価に一喜一憂するようでは、芸術家=アーティストとして真っ直ぐじゃない。

アートというのは誰かの評価のためにやるのではなく、自分で表現せずにはいられない思いを表現することであって、売れる作品を狙って制作したり、評価されるために制作するのは純粋なアートとは言えない。もちろん、そういう商業主義や大衆の反応そのものを作品の一部と考えるものもあるので、それはそれでアートなのだろう。。。

まあ、僕のアートに対する定義はともかく、マヤさんの活動は、生き方や生活の一部となっていて、やっぱりアーティストらしいアーティストだなって思う。そもそも、何をやってる人ですか?って訪ねられたら、答えようが無いから、アーティストって言ってあげると、相手が納得したり、安心する→思考の混乱を避けられるという意味で、そう言うのがいいのだと思う。ほとんどの人は、行為に意味を求めるし、何か箱や引き出しに整理すると落ち着くように、何かのカテゴリーに主分けすることで、理解できる快感があるからだろう。

いずれにしても、ものの見方だろうけど、生きると言うことはアートだと思う。もっと自由でいいし、評価なんか気にしないで、好きなように生きればいい。。。制限を外して→法律の範囲で。。。笑 やりたいように、生きたいように生きる。いわゆるアーティストから感じ、学ぶことは、そうした自分という存在、人生をいかに表現するかへの挑戦というところだろうか。。。僕はアーティストをそのように見ている。

僕は、これまでニューヨークは3回しか行ったことがないけど、ニューヨークは大好きだ。若い頃、ニューヨークに暮らしてみたいという憧れもあったりした。僕の友達には、マヤさんを含めて何人かニューヨークで何年も暮らした友達がいるけど、そうした友達と交流を深めながら話を聞いていると、いつの間にか自分と友達とニューヨークがひとつになって、住んだことはないのに、ニューヨークが自分の一部になったように感じられて面白い。海外の生活、自分が体験したことのないことを身近な人が体験していると、不思議だけど、自分がやったような気になって、それはそれで意識が拡がるし、そもそも自分と他者をわけるものはないという本質からすれば、そうした身近な人の体験を自分に取り込んで人生を深めて行くと言うことはとても大事だし、生き方を深めて行く中で重要な事だなと思う。

マヤさんのインスタレーション作品は大きなものが多いので、なかなか展示の機会に巡り会えることが少ないかもしれないけど、彼女が制作するコンバーススニーカーへのペインティング作品なら購入することもできる。このシリーズは、コンバース社からもそのコレクションにセレクトされていて、そんな素晴らしい作品を履くのはもったいなくもあるけど、オーダーした人に、その人だけの世界でたったひとつのコンバースを手に入れることができる。僕も持ってるけど、興味ある人はぜひ、おすすめの一点です。他にも手提げトートなどもあります。

▼ ご購入は、こちらから
Ciccone : http://cicconejapan.com/

Maya Onoda プロフィール

インスタレーションアーティスト

主に紙を使ったインスタレーション(空間アート)を制作。

1998年、渡米。

2011まで、NYを中心に活動。
同年、8月より拠点を東京に移す。

https://www.facebook.com/mayaonoda1129

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